光の一閃と共に大地を割った男は、傲然と右腕を上げた。
振り下ろされるそれは、断頭台の無情。
血飛沫が散った。









こんなものなのか。

四肢を深々と断ち割られたその姿を、シュラは冷然と見下ろす。
いや、激痛にのたうち回らないだけでも上出来か。
磨羯宮まで登ってきた龍座の聖闘士は、既に満身創痍だった。
その身に残された最後の命を燃やす小宇宙は、たしかに青銅の域を出るかもしれないが、
大きさより不安定さが勝る。
そんなものは何にもならない。
肉も、聖衣も、小宇宙も、別なくシュラは紙のように斬り捨てる。
後は首を落とせば、それで終わりだ。
こんなにも簡単に、全てが片付く。

それなのに、あれは、何故。
































 " 死んだよ、彼は "



淀みのない小宇宙に呼吸が止まる。
しかし、

「……何を言っている」

 " 彼は死んだ。でなければ、彼が敵を通すわけがない "

そんなことはとっくに知っていた。
だが言葉が止まるはずなかった。

「馬鹿を言うな。あのふざけた男がそう易々と死ぬか。
相手は青銅だぞ? いったい何をッ どう間違えればあいつが死ぬというのだ。
あれはまったくどうしようもなくて、救いようのないほどいい加減だが、それでも黄金聖闘士だ。
たかが青銅を前にして負けるなど、そんなことが信じられるかッ」

胸につかえた苛立ちを吐き捨てた。
それでも不快なものは後から後から込み上げてくる。
右目の上で神経が弾けた。
視界が朱に染まる。

「何故、死ぬのがあいつなんだ!」

あの時、笑っていた。
そいつがそれまで生きていればな、と言っていた。
あれは、昔から平気な顔で嘘を吐く。


 " 本物の女神が帰ってきた、ということだろう…… "


双魚宮の主は語る。
しかしそれは、友の意識を震わせることなく、流れ過ぎる。
まるで独り言のように。


 " 審判が始まったな。この13年間保留にされてきた、我々一人一人への、そして女神自身への。
  彼は臨み、戦い、そして死んだ……巨蟹宮はもうただの聖なる形骸だ "


シュラは目を見開いて、世界を睨んだ。
身の内にあるのは全てを薙ぎ払う嵐。感情という形すら取れない何か。
それが喉奥を突き上げ、絶叫に変わってしまうのを歯を噛み締めて堪える。
決して口に出してはいけないと思った。
しかしそれが何なのかもう自分でも分からなかった。
知る術は死者と共に消えた。


代りに、怒りを込めて言い放つ。
冷徹な真実を。

「あいつが弱かったということだろ」

 " ……そうだな "

「ここで死ぬというなら、それがあいつの弱さだ」

無力とは唾棄すべき罪悪。
何を望もうとも、何一つ為すことはできない。
弱ければ死ぬだけだ。
その先には何もない。
だから、この身を焦がしているのは、脆弱な死人への赫怒なのだろう。


 " 彼には "

双魚宮の主の小宇宙は不思議なほどに静まっていた。

 " 退くという選択肢はないのだ。たとえ神を前にしたとしても、な。
  だから力及ばねば、後は死ぬだけだ "

その伝える意志は穏やかな水面のようで、
シュラの臓腑はますます軋む。
喉奥に籠った熱が喉を焼いた。

「……何故、退かない」

 " 彼が選んだのは女神ではないから "

「それで自分が死ねばただの阿呆だ」

 " そうだな "

その小宇宙の中に、シュラは初めて感情を見たような気がした。
旧友は哀れむように微笑んでいた。
だが、その哀れみは何に向けられていたのか。
裁きに倒れた友へのものなのか。
それとも。




 " 君はどうする "

シュラは顔を上げた。
下の宮にはもう一瞥もくれず、磨羯宮の中に戻る。
真っ直ぐ前を射貫くその眼差しには、鋭利な冷たさがあった。
身体の奥底で荒れ狂っているものを、ゆっくりと一刃に研ぎ澄ませていく。

 " 君はこの戦いの本当の意味を知っている。君が何を選ぶかは君の自由だ。
  おそらく、今この聖域にいるどの人間よりも、君は自由なのだろう "

「俺は誰にも跪かん」

あの男にも、まして非力ゆえに放逐された女神になど。

「悪いな……俺は、あいつやおまえとは違う」

 " ……知っていたさ、そんなことは。だから私も彼も君が好きなんだ。
  いつかまた地獄で会おう、シュラ "

「アフロディーテ、おまえ」

 " 勘違いするな、易々と道を開ける気は毛頭ない。私はピスケス。
  力無き者に教皇へ拝謁する資格は与えられんな "

旧友が、鮮やかに笑った気配がした。

 " 世界の秤はまだどちらにも傾いてはいない。
  教皇か、女神か。正義を謳うのなら勝たねばならん。ならば、私は私の責を果たすだけだ "

「……そうか」

 " 君は見定めるのか、上ってくる者たちを "

「何であろうと、俺の前に立つのなら斬り捨てるだけだ」

 " それもいい。
  だができることなら、君には違う選択をしてほしかったよ "

繋げていた小宇宙が緩やかに解かれていく。
別れ際に一つ言われた。

 " 彼は最期に何を見たんだろうな "












そんなものは、知りたくもない。














































抗う手を、逃げ惑う足を、喚く首を、断ち落とす、屍の地平。
その腕に宿る刃は脆弱な一切を切り伏せる。

しかし、シュラは今。
死に瀕した敵を前にして、その命の炎を消し去れずにいた。


まだ、動くのか。
穴の開いた心臓から血が噴き出し、まともに技を打つことも不可能なはずが、まだ。
立ち上がり、拳を向ける。
何故その目は諦めない。
いたずらに苦痛を長引かせて何になる。
その身体で何ができると思っている。
何もない。
ただ死があるだけだ。

だが、俺は何故こうも手間取っている。


シュラには分からなかった。
あと一太刀と知りながら、焦燥に似たものが聖剣の軌跡に僅かなぶれを生じさせる。
冷静さを欠いているのが自分でも分かる。
しかし、何故。

 『アイオロスの無念もすべてこめ』

耳障りな言葉を思い出す。
拳に掛ける理由としては実に下らない。
逆賊として討たれた者の無念など、生者の自己欺瞞の産物に過ぎない。
この聖域の、いったい何を、知ったつもりになっている。

英雄は逆賊のまま死んだ。
何一つ為せぬまま死んだ。

あの日生き残った俺の腕には決して折れぬ刃が残され、だから全てを斬り捨てると決めた。
俺は生きると決めた。



それなのに、何だ、これは。



















シュラを亢龍覇が飲み込み空へと消えた。




















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