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幼子は、おじいさんの家で養われることになりました。
おじいさんは密かに心配していましたが、おばあさんは文句なんてありませんでした。
寧ろ大はしゃぎ。
幼子に懐いて傍を離れません。
逆じゃありません。
おばあさんが幼子に懐いていました。
さて、その幼子はすくすく育ちまして、三ヶ月ほどですっかり成体へと進化し、
おじいさんと肩を並べられるようになっていました。
幼子は名を、かぐや姫、とつけられ、水際立った美丈夫として。
あ、いやいや。
美しい姫君として、広く知られるようになりました。
おじいさんは、たった三ヶ月でそこまで育ったかぐや姫を眺め、
やはり普通でなかったとしみじみ思いましたが、
割と、どうでもいいと思うようにもなっていました。
その程度でいちいち驚いたり凹んだりしていられません。
かぐや姫自身のことで、おじいさんはいっぱいいっぱいでしたから。
幼子の時分からその片鱗を見せていましたが、成体になったかぐや姫は、なかなか凶悪でした。
さて、その凶悪っぷりを理解していない世の人は、広く知られたかぐや姫を一目見ようと
おじいさんの家を訪れました。
心を伝えようとする文や歌も引っ切り無しに送られてきます。
けれど、かぐや姫はそんなものを眺めても
「うざい」
の一言でした。
冷めた瞳には欠片の情も浮かびません。
貴賎は関係ありませんでした。
誰にも会おうとしませんし、文や歌に返しをすることもありません。
そのつれなさに、堪らなくなった者が夜中に忍んで来ることがありましたが、
決まって朝になると路傍に無残な姿を晒すことになりました。
世の人はそれを、おじいさんのせいだと思っていました。
が、濡衣です。
実際は、かぐや姫のやったことでした。
そういう連中は、退屈していたかぐや姫にとって、ちょっとした遊び道具に過ぎませんでした。
大抵の場合は一発殴って終わってしまうので、遊び道具にすらなりませんでしたけれど。
そんな日々を送っていましたが、それでも三人は面白おかしく暮らしていました。
おじいさんはちょっと、気苦労が多かったですけれど。
それなりに、平和だったのだと思います。
ある日のことでした。
五人の貴族がおじいさんのもとにやってきました。
何度も何度も通っているにも拘らず、かぐや姫にちっとも相手にされなかった五人が、
それでも諦めきれなくて、とうとう泣きついて来たのです。
五人はそれぞれ皇子として、或いは朝廷の要職にあるものとして、地位も財力も持っていました。
そんな貴族達が口を揃えて曰く、
「それほど美しい姫ならば、我々のように高貴な身分の者に庇護されて然るべきで云々……」
要するに、
自分が世話をしてやるから、さっさとかぐや姫を寄越せ、という話です。
泣きついて来て言う台詞じゃありません。
おじいさんはちょっと呆れましたが、泣きつきたくなる気持ちも分からなくはなかったです。
相手があのかぐや姫なら、外に方法も無いでしょう。
お話自体は、いいものでした。
五人の貴族の内、どれを選んだとしても、かぐや姫は勿論おじいさんもおばあさんも一生安泰でしょう。
けれど、おじいさんは憂鬱になるのです。
かぐや姫が何と答えるか、もう分かっていましたから。
おじいさんが五人の話を伝えると案の定、かぐや姫は不機嫌になりました。
いえ、不機嫌なんてものじゃありません。
秀麗な相貌に浮かぶ青白い鬼気の恐ろしさを、知っているのはおじいさんだけでした。
かぐや姫は何も言わぬまま、物憂げな気配すら漂わせて立ち上がります。
おじいさんは慌てて制止しました。
それをかぐや姫は凍えた燐火のような瞳で見据え、唇の端を吊り上げました。
「おまえは俺に、アホ貴族に飼われろって言いたいのか」
酷く冷たい声でした。
おじいさんは項垂れそうになるのを堪え、顔を上げました。
「まさか。そんな無謀な話、恐ろしくて言えませんよ」
「当たり前だ」
かぐや姫は形良い眉を顰めて嫌な顔をし、おじいさんの脇を通り過ぎます。
その足が向かおうとしている先には、五人がいる筈でした。
「ちょ、ちょっと待ってください。あんた何する気ですか」
「ん?つまんねー話わざわざ持ってきやがったから、俺が直々に答えてやるんだよ」
「……どうすんですか」
「殴る」
かぐや姫は、当然といった風に続けます。
「耳の穴から脳味噌出るまで殴る」
おじいさんの憂鬱が当たりました。
「あんた、人の話聞いてんですか! 向こうは皇子とか右大臣とか大納言だって言ったでしょうがッ!
殴ったらまずいでしょ、殴ったら……」
「おまえこそ、俺の話をいつもどうやって聞いてたんだ」
「は?」
「そんなのは、俺に関係ねぇだろ」
「んな事言っても相手は」
「関係ねぇ」
かぐや姫は言切りました。
冷たい色をした双眸は炯々として、揺らぎません。
確かに、気に食わなければ帝ですら殴り倒すつもりでしょう。
そんな性分であることは、おじいさんも良く分かっています。
けれど、それでも考えねばならない事がありました。
ここで五人を殴り飛ばしたら、話が政治的な方向に行き兼ねません。
それはやはり、この不遜で傲然な人にとって、面白くない事態になるでしょう。
だからどうしても制止の言葉を吐かねばなりませんでした。
溜息、ついちゃいますけれど。
「……じゃあ、今日だけでいいですから、もう少しだけ穏やかに行きません?」
「もう少しってどれくらいだよ」
かぐや姫は明らかに不満顔で、おじいさんの傍らに座りこみました。
「あー、せめて殴らないぐらいでお願いします」
「……無理言うな」
「無理じゃないでしょ」
かぐや姫は瞳をきゅうと細め、おじいさんを間近に射竦めました。
その眼差しが、肺を押し潰されるような沈黙を、おじいさんに突き付けます。
けれどおじいさんは、その瞳から目を逸らすことだけは出来ませんでした。
ふと、午後の緩い風が通り過ぎました。
かぐや姫はもう飽きたのか、おじいさんから視線を外して立ち上がると、
おじいさんが何か言おうとする前に、艶然と微笑みました。
「殴りは、しねぇよ」
おじいさんは肩から力が抜けていくのを感じました。
「はあ、それはどうも。……あ、蹴るのも無しですからね」
「一々うるさい」
五人が待つ所へと向かうかぐや姫の瞳は、悪意と嘲弄で煌いていました。
殴る代わりに、かぐや姫が五人に出した提案は、児戯のようなものでした。
自分が望む品を持ってきた者の申し出を受ける、という提案でしたが、
かぐや姫が望んだのは、どれもおとぎ話の中でしか見れないようなものでした。
求めたところで現実に掴める筈はないのです。
けれど、五人の貴族はからかわれたと憤慨するどころか、
一縷の希望を見つけたとばかりに奔走し、挙句その身を滅ぼしてしまいました。
哀れな末路を伝え聞き、おばあさんなどは罪も無く笑いましたが、
かぐや姫は後になって、おじいさんだけに言いました。
「……本気でやるなんて、思わなかったんだけどな」
少し困ったように、戸惑うように、自分がやらせたくせにそんな事を言うかぐや姫が、
おじいさんはちょっと好きでした。
そしてまた平穏な、
と言うには少し騒がしいですけど、いつも通りの日々が戻ったように思われました。
けれどそれも束の間でした。
結果として五人の貴族を破滅させたかぐや姫の噂は、
京におわします帝の耳にも届くようになっていました。
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もう帰る