誰もいないところに行きたい。

あの時、自分が吐いたのは戯れ言だったのか、ブルースは判然としない。
気が付いた時、彼はコーストシティに独りで立っていた。
破壊され、世界から放棄され、今は瓦礫だけが広がる地平。
雲もない、果てしなく青い空の下、あらゆるものの死に絶えた街。
寂しい大地を、なにか夢見心地で彷徨う内、形の残っているアパートを見つけ、歩き疲れてそこで眠った。
それがハルの部屋だった。
“パワーリング”
兄のファイルで見たことがある。
スタインのラボにいるはずの被験者が、何故コーストシティにいたのか。
ジョニーが知っていたとは思えない。
この場所にブルースを連れてきたのは、冗談のつもりだろう。

ハルを甘やかすのは面白い。
病んだ仔犬の面倒を看ているようだ。
最近は食欲が出てきて、顔色も良い。
性格は極端に臆病。
他者の害意を酷く恐れる反面、攻撃性は非常に高い。
ブルースがまだ生きているのは、ハルが彼を脅威として認識してないからだ。
否、ある種の庇護者であるとさえ思っている。
幻想だ。
彼の微笑はただ、顔面の皮膚と筋肉で構成される。
その下にあるものが何であるか、見透かせるのは兄しかいない。

ハルの表情は明るくなった。
以前よりは、おどおどしなくなった。
しかし、右腕に蔓延る“根”の進行は止まらない。
“パワーリング”は、寄生者の名称だ。
宿主の意志を叶えながら、その肉を喰らい、全く異質な何かへと変貌させていく。
何故、コーストシティは壊滅したのか。
ブルースはそれを考えている。
突然現れた正体不明のメタヒューマンと軍との交戦で、建造物の多くが崩壊した。
直接的、間接的に巻き込まれた被害者は、膨大な数に上っただろう。
だが、コーストシティは西海岸第一の都市だった。
大規模災害が起こったとしても、何割かの人間は生き残っただろう。
しかし、実際には生存者0。
兄やスタインの調査では、交戦地帯の外で発見された死体は皆、無残な肉片として撒き散らされていた。
建造物の倒壊による絶命を免れた者も、シェルターに避難した者も、同様に。
その日コーストシティにいた人間達は、明白な“悪意”によって、一人残らず殺戮されたのだ。
その全てがハルの意志であったとは、思えない。

ある時、ブルースの欠けた中指を、ハルが“リング”で作った。
その“指”は、ブルースの意識に従い、滑らかに動いた。
“指”には感覚があった。
彼の切断された骨、筋肉、神経と、“指”は完全に結合し、血流は遅滞なく巡る。
ハルが期待に目を輝かせるので、Good boy.と褒めてやった。
だが、ブルースは本当は、寒気がした。
繋がった“指”を介して感じる、ハルに寄生する者の貪欲な“意志”。
“リング”は生きている。
それは高度な知性と、へどろのような“悪意”も具えている。
頭を撫でてやると、ハルは無邪気に喜ぶ。
幸せそうに、ブルースにキスする。
寄生者がいる限り、宿主はやがて、身体も精神も喰い尽くされるだろう。
ブルースは、何も言わない。
ただ微笑んでいた。









その日は晴れだった。
ブルースとハルは、ずっと昔に閉鎖された動物園に遊びに行った。
二人とも、これまで動物園というものを見たことがない。
アイスを食べながら、誰もいない園内をぶらつく。
空の檻には、動物を紹介するプレートが残っていた。
それを読んでは好きなことを言い合う。
ハルは、ライオンをドラゴンと同じような想像上の動物だと思っていた。
しかし、ブルースも、過去にそういう動物が存在したという知識を有しているだけで、実物を見たことはない。
サバナは完全に砂漠化し、地球最後のライオンが死んだのは、二人が生まれる大分前だ。

「ライオンが絶滅したのなら、ドラゴンもそう?」
「次はロンドンだな。 ドラゴンの檻があるかもしれない」

ゾウ、キリン、カラカル、チーター、ベルベットモンキー。
絶滅した檻を見て回る。
なかなか面白い。
入口まで戻ると、錆の浮いた看板に、この動物園についての説明書きがあった。
動物園の役割は、貴重な種の保護・研究です。 地球の未来のため、我々の子供達のために……
読み上げていくと、ハルが、わかんない、という顔をした。
ブルースもわからない。
自然保護の考え自体、地球から絶滅した。
ハルは、にこにこしてブルースの手を取る。

「帰ろ」

しかし、ブルースは違う方角を見ていた。
動物園同様、前世紀の跡の残る大路を、向こうからパトカーと装甲車の一団が近づいてくる。
ハルが怯えて後ろに下がる。
けれど、繋いだ手を離そうとはしない。

「ハル、動物園の中で待っていて」
「でも」

ハルを中へ行かせる間に、パトカーの一台が入口に立っているブルースの前に停まる。
残りの車両は少し距離を置き、道路を塞ぐ。

「Mr.ウェイン? 警察の者です」

車から降りてきた制服の男が身分証を見せた。
ブルースは男の携帯する銃器と、後ろに控えた装甲車の数を一瞥する。
少ない。
この地区の治安を受け持つ、尋常の分隊だろう。
ブルースの視線を勘違いしたのか、男は媚びるように笑った。
嘲りが透けて見えた。

「失礼、驚かせるつもりはありませんでした。 家出人ひとりのために大袈裟な迎えかもしれませんが、
 どうしてもあなたを迅速にお連れするよう署長が命令を、」

そこまで言いかけた男の左腕が、肩から引き千切られた。
血が飛び散り、身体がぐらりと揺れる。
しかし、男はただ、目を丸くしていた。
感覚神経から伝達される“痛み”の信号を、脳が受け取ってから“痛み”として処理するまでの間には、
人体の不思議とでも形容すべき、空白がある。
などと思いながら、ブルースは、男を後ろに庇って振り向いた。
鼻先まで迫っていた“それ”が高速で方向転換し、装甲車を刺し貫く。
中にいた人間達は皆引き摺り出され、大声で喚く身体がアスファルトに叩き付けられる。
人の形をしていた物が、ただの肉塊になる。
ブルースの後ろで悲鳴が上がった。
先程片腕を千切り取られた男が、逆さまに宙へ持ち上げられる。
ありありと恐怖の浮かんだその両目を、ブルースは静かに見返した。
次の瞬間、男の身体は真っ二つに捩じ切られた。

殺戮者に姿は無い。 音も無い。
“影”だ。

空間が軋む。
空気の中を何か巨大なものが蠢いている。
視覚では直接捉えられない。
だが、それが腕を伸ばすところ景色は歪んで見え、角度によってオパールのような遊色がちらつく。
重力レンズ。
そんな言葉をブルースは思い出す。
まるで、途方もない質量の塊が、この時空間の一点に姿を現そうとしているような、
目では見えないその“影”が、恐ろしい速さで人々に襲いかかり、もぎ取られた人間の手足が宙に舞う。
異様な虐殺の震央に、ハルがいる。

コーストシティを一日で壊滅させた、“パワーリング”

その右腕、皮膚下に張り巡らされる“根”が見る間に増殖し、蠕動する。
リングの光が生き物のように怪しく揺らめく。
得体の知れない、背筋を凍えさせる何かが、こちら側の次元に這い出ようとしている。
その“悪意”を、ブルースは知っている。

「ハル」

さほど距離があるわけでない。
それなのに、ハルは答えない。
ハルの顔がはっきり見えない。
別人の“影”が重なっている。
嫌な表情だ。
コーストシティが壊滅した日、最終的にはクライムシンジケートがパワーリングを行動不能に追い込んだ。
同じ芸当を、ブルースが出来るはずがない。
しかし、彼は無造作に足を踏み出す。
血と臓腑を撒き散らした世界を、そよ風の緑野を行く人のように。
そして、ハルの唇にキスした。
瞬間、雷に打たれたようにハルの全身が震える。
明るい鳶色の瞳が、ぱっと大きく見開かれる。

「……ブルース?」

いつも少し目を潤ませ、物陰から怖々と世界を覗いているような、彼の仔犬がそこにいた。
その首に腕を絡ませ、ブルースは微笑する。

「帰ろう」

真っ赤な顔がこくこく頷いた。




















*


あたたかな、やわらかな昼下がりの。
テーブルの上、帰りに買ったパステルカラーのカップケーキ。
ブルースはカウチで読書。
膝の上はハルのもの。

ブルースが読むのは、6600万年前に北アメリカ大陸を闊歩していた、最後の恐竜達について。
それは、ノースダコタで発見された、ある化石を巡る研究者達の“紙”の記述書で、
NMNHの廃墟でそれを発掘した時、彼は狂喜したものだ。
しかし、ブルースは今、別のことを考えている。
彼の膝を枕に、ハルは眠っている。

先刻の部隊は、兄の指図でない。
兄はあんな失敗をしない。
トーマスに取り入りたい人間が、弟であるブルースに気づき、差し出そうとした。
彼が一体何を連れているのか、考えようともせず。
兄は、もう全てを承知している。
ブルースにはそれが分かる。
兄がもしもその気なら、弟がどこにいようと、誰といようと、必ず家に連れ戻しただろう。
しかし、トーマスは沈黙している。

「ハル」

そっと囁くと、夢の中で答えたつもりなのか、
口の端が小さく笑った。

ハルの症状は悪化している。
右腕は肘まで“根”に覆い尽くされ、先端は今日、首に達した。
痛い、とハルは言う。
けれど、ブルースと一緒にいると、痛くないとも言う。
生憎、他人の存在によって痛みが軽減したという経験がないので、その言葉に賛同しかねるが、
ハルが痛いのを、ブルースは好まない。
しかし、彼がいようといまいと、リングは宿主を喰い続けるだろう。

あの“影”を、ブルースは知っている。
リングがチャージを求める時、次元の狭間からこちら側へ“あれ”は腕を伸ばす。
実体ではない。 あるいは、まだ実体を持ってない。
その姿は、人間の脳では適切に処理出来ないのか、ただ総身を慄然とさせる忌わしさが記憶されている。
リングは地球外の存在だ。
宿主を導管にし、現れ出でようとしているものは何なのか。
興味がないわけでもないが。


前時代の古文書をじっと眺めていた彼は、膝の上に視線を落とした。
ハルは良く眠っている。
何も気遣うことなどないように。
ブルースは、手に持っていた書類を脇に置く。
そして、ハルを起こさないよう、カウチから音もなく立ち上がる。
眠っている人間の傍を抜け出すことに関しては、彼は兄より長けている。
ブルースは、最初に着ていたジャケットから自分のセルフォンを取り出した。
ゴッサムを出てから一度も使ってない。
電源を入れると、無限に続く兄からのメッセージを全て削除し、一言だけ送信する。

『トミー』


















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充電切れてるでしょ、と思ったけど、充電しながら使ってんだよ、たぶん。

アース3は終末世界の地球みたいな感じで。
リングが何故うねうねしてるかっていうと、JL#26のチャージ場面がうねうねなので
ラブクラフト的なあれだったらいいねと。
パワーリングについては2014年7月現在でも進行中のお話なので、本当のとこはどうか知らん。
今日も適当ぶっこいてます。




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