「コッチだよ おじょーちゃん! かくれんぼしてるんだろ? おじさんも混ぜてくれよ!」


赤い水玉の小さなピエロが、鉄格子の間から顔を覗かせ、バタバタと両腕を振り回している。
手にはめて指で動かす人形だろう。
牢獄の中にいる何かが、耳障りな声で笑いはしゃぐ。

「ヨシ、おじさんが鬼だ! 10数えたらおじょーちゃんのコト捕まえちゃうゾ!」
「バーカ、鬼は俺だ」

溢れ出した眩い光輝が、腐敗と退廃の暗黒を退ける。
グリーンランタンのパワーリングは、
数多の惑星文明が勃興と滅亡を繰り返してきた宇宙で、最も古くから存在する "科学"の、究極の粋だ。
それは、無限のエネルギーを、生命体の意志によって操る。
いわば、"奇跡"を自在に生じせしめる光。

「1、……」

望めば、カイルは。
この一瞬に、アーカムアサイラムをゴッサムから消し去ることも出来るだろう。

「2、」

あるいは、リングから放たれた光は。
颶風の渦となり、禍々しい黒翼を大きく広げ、

「345678!」

出現したのは、夜闇の支配者である暗黒の怪物。
冷厳にして非情。 愚者達の恐怖を貪る深淵の影。

「9、」
「待て待て待て! おじさんが悪かった! 乱暴はやめてくれよォ……」

途端に赤いピエロが哀れっぽくめそめそし始めたので、
カイルと、今まさに扉を蹴り破ろうとしていた "バットマン"は、顔を見合わせた。

「ヒドイ! 人権侵害だ! おまえたち "ヒーロー"って奴はいつも人の話を聞かないッ
 俺達だって好きでこうなったわけじゃナイのに! 何でもぶん殴って解決出来ると思ってやがる!」
「たしかに殴られても治らないな、ソレ」
「蝙蝠ヤローにボコボコにされ過ぎて頭がオカシクなっただけさ!」

くす、とカイルは笑った。
扉の向こうにいるのが何か、もう気付いてはいたが。

「黙って大人しく自分の檻に戻るなら、痛い目に合わせようなんて思ってない」
「ちょっと散歩してただけダロー。 固いこと言うなヨー」
「ダメ」
「じゃあ、おじさんがイイコト教えてやろう!」
「聞かなくていい」
「そんなコト言うなよ。 アーカム名物の美味しいケーキはいかが?」
「厨房だろ。 もう聞いた」
「ハ!」

ピエロが、奇妙にねじくれた。

「かわいそうなミセス・ベイカー! 息子に捨てられて頭がおかしくなった!
 今じゃすっかり自分を看護師だと思い込んで、毎日毎日俺達にケーキを焼いてくれる!
 嗚呼、狂人の世話を狂人にさせるという狂人世界の相互扶助機構よ!
 なんたるキチガイ病院だ! 助けてくれよッ おじさんこんなとこ嫌いだな!
 ミセス・ベイカーのケーキときたらクリームが甘くて甘くて甘くて甘くて甘くて甘くて甘くああぁァああッッ


 あんた、アイツさえあんなコトにならなきゃ、て良く言われるだろ」





「 え? 」

声は、知らぬ間に唇を離れ、冷たい闇に吸い込まれた。
赤い水玉のピエロは、胸に手を当て懺悔する。

「あァ、悪いこと聞いたなァ。 あんたきっと、本当に "何も知らない"のに」
「何の 話してんだ」

カイルは顔を強張らせたまま、冷淡に答えようとした。
騒がしくなっていく自分の鼓動には、気付かない振りをした。

「いいんだ、忘れてくれ」
「言ってみろよ」

たかが、狂人の戯言。
アイツ、の一言が、剃刀のように心を裂いた戦慄など、カイルは認めない。

「グリーンランタンってのは、もうあんたしか いないんだもんな」
「……だったら?」
「同情するぜ、一人でそんなモン押し付けられてさァ。 実際あんた、ホント良くやってるよ。
 アイツがあんなことになったのに、良くやるねェ」
「だから、はっきり言えよ」

いつのまにか、隣にいた "バットマン"は霧散して、
カイルは一人、闇に吠える。

「おまえがッ 何か知ってるはずないだろ!」








腹の底に火箸を突っ込まれて、臓物を掻き回された後のような。
どうしようもなく、逃げ場を見失う感情が、ある。

グリーンランタンは、何者も恐れない。
ヒーローに恐怖など無い。 子供だってそんなこと知ってる。
けれど、カイルは、怖い。


いつも、"彼"と、比較されるから。
カイルは常に、考える。
グリーンランタンなら、どう行動するか。
右手に輝く光は、最後のリング。
悠久の時の中、宇宙の秩序維持を担ってきたグリーンランタンは、
たった一人の裏切りによって、壊滅した。
残されたのは、パワーリング一つ。
そして、そんな世界とは全く無縁だったカイルが、最後のリングの所有者になった。
もう、カイルの他は、誰もいない。
カイルは自分一人で、世界に証明しなくてはならない。
自分は "ヒーロー"なのだと。

けれど。
それなら何故、ハル・ジョーダンは、ヒーローであることを捨てた?
彼こそ、グリーンランタンだったのに。


「なぁに、良くあるコトさ。 取り繕うとしても、どうにもならないぐらい酷ェコトなんて、良くあるだろォ?」


彼の街だったコーストシティは、700万人の命と共に、地球上から蒸発した。
誰もそれを止めることが出来なかった、一瞬に。
ハルは今でも、その一瞬を覆したいだけなんだよ、とアラン・スコットは言った。


「当たり前みたいな顔してちっぽけな人生踏み躙られる♪ 自分じゃそれがいつなのか分からないなんて!
 ある日突然後ろから頭をブチ抜かれる。 ブチ撒けた自分の脳漿の絵を見て、初めて気づくのサ。
 あああぁ……俺にもついにコノ日が来たんだ! 俺って奴がついにブチ壊されたァ……。
 こりゃあ、元には、戻らないな、 どうやっても」


カイルは、ハル・ジョーダンを知らない。
彼が何のために、仲間を裏切り、あらゆる一切を裏切り、世界全てから憎悪されるのか。


「医者でも王様でも手の施しようがない! けれど周りじゃあっちでもこっちでも頭をカチ割られてる!
 紳士も強盗も病院も宗教も自分の血反吐の中を這い回りながら、気付くんだ。
 ああ、もう元には戻れない。 壊れてしまった」


スーパーマンは、痛みを耐える厳しい顔をした。
ワンダーウーマンの瞳には、凛とした悲しみがあった。
ウォーリーは、謝るまでずっと怒り続ける。
だから、カイルは彼等に問うことが出来ない。
彼等の友人であり、信頼する仲間だったはずの男が、いったい "何"になったのか。


「かわいそうだねェ。 自分の番が来るなんて微塵も思ってなかった奴は、余計にさ……。
 でも、おじさんは親切だから、とっておきのイイコトを教えてあげよう!
 実はおじさん、知ってるんだ。 おじさんが言ったコトは、本当は秘密でも何でもないんだ。

 人間は、物と同じくらい、誰だって意外と簡単に、壊れちゃうんだよ?

 さあ、目ン玉引ん剥いて世の中を見てみよう! とっくに世界はキチガイだらけ!
 そう! 実はみんな今まで正気のフリをしていただけでした!
 気付いてみりゃあ何てことない。 世界も靴も爆弾も女の子も、みんなキチガイで出来ている!
 自分は違うゥ? お客さん、それが手って奴さ!
 我はキチガイに非ずと主張することはキチガイの第一歩って教科書に書いてあるだろォ?
 偉人も悪人もビジネスマンも天文学も関係ない!
 結局、壊れるんだよ。 ある日突然、何もかも踏み躙られたらサ……。

 それとも、あんたは、違うのかなァ?」


ピエロの紅い目玉が、鉄格子の間からカイルの蒼ざめた顔をじっと覗き込んだ。
グロテスクな笑顔だった。


「だって、あんたは "グリーンランタン"なんだろォ……?」


カイルは、ピエロごと扉を思いきり蹴り開けるべきだった。
そして、向こう側で笑っている狂人を黙らせるべきなのだ。
こんな闇の中で、茫然と立ち竦み、
堪えきれず胃の底から込み上げる嘔吐感に、身震いなどせず。
自分が、グリーンランタンだと言うのなら、顔を上げて闇を見据えねばならない。


けれど、本当はいつも、怖い


初めてハル・ジョーダンの話を聞いた時から
あるいは
あの夜、薄汚い路地裏で
エメラルドに輝くリングが、自分の手の中にあるのを見た時から
胸の底に凝り固まって、どんなに剥がそうとしても、消えない

もしも、自分がリングを得たのは
"選ばれた"からではなく、偶々そこに居合わせただけの、ただの間違いなら

本当のグリーンランタンは、もうどこにもいない。



「ま、頑張ってくれよ "ヒーロー"」





場違いの、臆病者が
リングの力でヒーローになったつもりでいる。

そう、思い知らされるのは。
絶望というよりは、
癒えない傷口が開くのを、何度目かに見せられるようなもので。
またか、と諦めれば。
それが傷であることすら、忘れるのかもしれない。
なのに、何度も突き刺されて噴出す血を浴びながら、まだ膝をつきたくないと無様に吠えるのは、
まだ、何かを、信じたがっているのだろうか。
こんな闇の底、何を信じてみようもないのに。
狂人の戯言が本当に狂っているのか、それとも狂人だからこそ視える真実が欠片でも存在するのか。
何が、誰が正しいかなど、誰も明らかにしてくれない暗闇の底。
衝動は凶暴なほど胸の中で膨れ上がり、拭いきれぬ不安を喰らってさらに大きく。
カイルは、扉に手を伸ばした。
ピエロの口が赤く裂け、歯を剥き出しにして嘲笑った。

伸ばした指先が、
独房の扉に触れるか触れないか、
誰かに後ろから肩を掴まれた。

と思った瞬間、カイルの視界はぐるりと回転し、後方に吹っ飛ばされていた。
背中から壁にぶつかったはずだが、不思議と痛みは感じなかった。
それよりも。

重い轟音が空気を揺さぶり、はっとして顔を上げる。
内側に外れた扉の前に、漆黒の闇夜が立っていた。


















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おハルさんは、この時もうパララックスということでお願いします。
パララックスて何?という方は。
そーねー、オアのセントラルパワーバッテリーのエネルギーを全部吸収してGL隊を壊滅させた本人で、
極悪が付くぐらい無茶な存在だと思ってください。 宇宙の一つや二つ、新しく作れちゃうよ。




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