「あ……」

ざわりと蠢いた黒翼は、リングが作り出した幻影ではない。
深淵の底から、闇そのものが姿を現したように。
カイルを一瞥もせず、独房の中へ消える。

「ダーリン! 来るのが遅いじゃないか。 てっきり今夜は来てくれないかと……」

ジョーカーの哄笑は、重い衝撃音で断ち割られた。
廊下に座り込んで動けないまま、カイルは茫然とそれを聞いていた。
彼がいつのまに後ろにいたのか、まるで分からなかった。
彼が来るなんて、思ってもいなかった。
蹴破られた牢獄の中は、見えない。
ただ、音と気配が。
壁に何かが酷く激突する音が響く。 一度で終わらず、何度も、何度も。
まるで、恐ろしい獣が猛り狂って自身を引き裂こうとしているように。
床をのたうち回る苦鳴と、同じ声の引き攣った笑いは咽びながら尾を引き、
その全てを打ち砕くように、一際大きな衝撃が夜闇を轟かせ、
音は、途絶えた。

胸が痛いほど、心臓が脈打つ。
指から力が抜けていたことに気付き、拳を握り直す。
沈黙の向こうから、闇が現れる。

影のように
幽鬼のように
終わりのない悪夢のように

その腕が、床に "塊"を引き摺って、音を立てる。
ざらついたコンクリートを、手と足のある塊が、髪を鷲掴みにされ死体のように引き摺られる音。

「ここで、何をしている」

漆黒の闇を纏う仮面の、情動のない声。
どうして、この人は。
こんなに易々と、何もかも断ち切ることが、出来るんだろう。
冷徹に、無慈悲なほど完璧に。

「……あんたが、」

今は、自分がここに来た理由が、馬鹿みたいに思える。
情けなくて、口を開けば、誰にも言えない、言いたくない不安まで、溢れそうで。
胸の中、堰が破れたような渦が。
苦しいほど、どうにも出来ず。
そんな顔だけは見せたくなくて、唇をきつく噛んだ。
バットマンは、もう用件は無いというように、素通りしようとする。
その右手に、赤い水玉を掴んでいた。

「そのピエロ……」
「酸だ」

酸がピエロ人形の中に仕込まれている、という意味が頭に沁み込むのに一拍かかった。
顔を上げると、ダークナイトがそこにいた。

「安易に接近せず、まずリングに調べさせることを覚えろ。 そのリングは、おまえよりも余程物を知っている」
「え? あ、うん」

慌てて床から立ち上がる間に、流れる夜闇のようなケープは既に通り過ぎている。
初めてだ。
今までバットマンが、グリーンランタンのリングについて何か話したことは、一度もない。

「待って!」

そのまま闇に消えてしまいそうな背中を見て、大きな声が出た。
漆黒の影が立ち止まり、肩越しに視線だけを僅かにくれる。
氷のような横顔だった。
出そうとした声が、喉につかえた。
馬鹿みたいに開けた口が、何も言えず、歪んでいく。
胸の張り裂けそうなほど聞きたいことが、いくつもあるのに、形にならない。
間の悪いガキみたいで、嫌だ。 闇の中で立ち尽くすだけの自分が嫌だ。
俯きそうになって、自分の右手に、翠色のリングが光るのを見た。
言葉は、自然と口をついた

「ハル・ジョーダンは、本当はどんな人だったの?」

この人の言葉なら、信じる。


バットマンは、無言だった。
光でない白銀の両眼は凍てつくようで、視線だけで胸の底まで射貫く。
その視線から逃げ出さないことだけを、必死に考えた。
後悔するには、遅すぎる。
そして、

「今は、おまえがグリーンランタンだ」

怪物の仮面は、表情一つ動かさなかった。
だから、その言葉が、鈍い頭には なかなか沁み込んでこなかった。
ぽかんと突っ立って、それから、だんだんと、感情が追い付いてきて。
凍えかけていた胸の奥が、熱くなる。

思い知らされた。
一番聞きたかった言葉だ、それは。
誰かに、たった一言、言ってほしかった。

顔に血が昇るのが分かる。
まさか、そんなことを言われるなんて、思ってなかった。
弱ってるとこ、完全に見透かされてる。
ばつが悪くて、何も言えなくて、黙って頭を掻いた。
こんなこと、もう最後にしたい。
今はちっとも敵わなくても、いつか、誰よりも揺るがない意志で、前を見据えるようになりたい。
けれど、口許が緩んでくるのを、我慢しきれなかった。
塞がっていた胸のどこか、風穴が空いて。
ふっと 軽くなっていた。

次の瞬間、その胸を貫いた、冷たい刃。


「あれは死んだ」










































あんまり夜が静かなので
子守唄でも聞かせてくれたら、良い夢を見れると思うのに
相手は、非常識なほど無愛想なものだから
羽を毟られた小鳥のように
みじめったらしく丸まって
監獄の床

「……ダーリン、まだそこに いるのかい?」

顔がぱんぱんに膨れ上がって前も見えない
鼻は折られたし
顎も砕けた
喋ってるのか血の泡立つ濁音か
うっかり喉が塞がって窒息しそうだけれど
愛を囁きたい

「俺には、……嘘を、つかなくて いいんだ よ。
 おまえは、怒ってなんかない」

蝶を夢見る芋虫のように
薔薇に喰われる毒虫のように
盲目の蝙蝠の心を蕩かすような
エレジー

「……実際、おまえは、何にも 感じてないんだ。
 おまえのとこの、あのガキ。 俺が不条理に殺した。 あれは、かなしかったな。
 俺は思いだして、涙がでたよ」

歌うのは、千夜の物語
裏切られた姫君は毒薬を呷り
ラジウムの雪原に子供達は埋められた
世界の残酷を嘆く壜詰めの中、双子の胎児は踊る
黒い拘束着の王様は、いつだってひとりぼっちだから
なぐさめてさしあげるのは
道化師たる務め


「けれど、おまえは、なんにも変わらない。
 いつも いつも 正しい」


今宵その夢に
如何なる思想を額に宿し、聖者は進む
目の前にある全てが我勝ちに発狂していく世界を
たった一人


「ほら、一番狂っているのは、おまえだ」



いつまでも 歌っていよう
その人に どうか 寂しいことなどないように






それが私という存在なのです。





























++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
(終)

←3

←もどる




呼ばれて飛び出てジョーカーおじさん。
おかしいな、まさかおじさんの愛のお言葉で終わる予定はなかったのに。

おじさんの言ってたことについてですが。
おじさんの趣味は若人の心を砕くことなので、実際どこにもおじさんの本心などないのです。
真実が何であるかも、おじさんにはどうでもいいのです。
対するカイル君はちょっとコンプレックスの人だと良いです。
おじさんとの相性は最悪ですね。
でも、カイルくんは断じて臆病者でない。
彼の成長物語は色んな原書でしっかり書かれてますから、見て!
あと、カイルくんの一番聞きたかった言葉ですが、
原書の『GREEN LANTERN : EMERALD KNIGHTS』で本当に蝙蝠が言ってます。
あれ良い話なんだ……。 おハルさんもパララックスもいて超俺得な本です。

で、自己申告。
今回のお話、カイルくんはGLなりたて、まだおハルさんのことが良く分かってなく、
おハルさんは、パララックスとしてまだ "生きている"、という設定で書きましたが。
お気付きの方は大正解。 原書と違ってます。
実際は、JLAシリーズよりも前に、『ZERO HOUR : CRISIS IN TIME』も『FINAL NIGHT』も終了してます。
つまり、カイルくんがジャスティスリーグに入る頃には、おハルさんはパララックスどころかとっくに死んでます。
うふ。
いや、ずっと忘れてて……。 ウォッチタワーを書いた後で気付いたんですよ。
とにかく、蝙蝠に「あれは死んだ」と言わせたかったので。
ちなみに。
本当に死人に鞭打つ蝙蝠が『JLA/THE SPECTRE : SOUL WAR』にいます。
こっちも見て! ある意味ものすごいものが見れますよ。