走る。 跳ねる。 飛び越えて駆ける。
たかが7階建てのアパートの谷間。 飛ぶ。
どうせ下は日陰の路地裏。 誰も空なんか見て生きちゃいない。
俺の頭の上は、広大無辺の青。
跳ね上げた脚で、無限を蹴り上げ、ビルとビルとを飛び越える。
頭の上を走ってる俺に気づく奴なんて、いるもんか。
少し、身体が鈍ってる。
ブルースのせいだ。
向こうの屋上目がけ、思いきり飛ぶ。
ぬるい気流を突き破る、完全な滞空。
ひゅっと吸い込んだ眩い大気が、胸の中でぱんぱんに膨んで。
(何か鈍いものが、ごろりとした)
なんて日曜日だ。
こんなに晴れていて。
あんなのでブルースが慌てた。
言わない方が良かったのかなって、ちょっだけ思った。
でも、すっとした。
苛々してる。
たぶん、ずっと前から。
ブルースは。
俺に、学校に行けって言う。
そんなの意味ないのに。
俺はもうあの人の "ロビン "で、普通のガキじゃない。
普通とか、もういらない。
ブルースみたいに、守らなきゃいけない会社なんてないし、
ただのジェイソン・トッドがどうなったって、誰も気にしない。
知ってるんだ。
お飾りのCEOとか自分で言ってるくせに、あの人に何かあったら、大勢の人が困る。
だから、あの人は "ブルース・ウェイン "を止められない。
でも、俺はブルースみたいに器用なこと、出来ない。
俺は、ロビンだけでいい。
ブルースは。
それだけじゃ 足りないのかな。
かもしれない。
だって、ディックは良い子だったから。
飛んだ、先の、足場が 腐ってた。
平気だけど。
腐蝕した鉄板を踏み抜いた勢いも、崩れたバランスも、前に転がって殺す。
立ち上がって、また走る。
完璧主義のあの人が見てたら、注意力が足りないって絶対言われたけど、
この程度でどうにかなるような訓練は受けてない。
走る この脚が、あの人について行けないなら、俺に意味なんて無い。
あの人は、そのために俺を拾った。
初めて会った日、
俺はまだ、この街のどこにでもいる、薄汚いガキの一人で、
調子に乗ってバカやって、あの人に見つかった。
あの人を、怖いとは思わなかった。
どうなっても良かったから。
警察に突き出されても、俺みたいに親も家もないのは孤児院に叩き込まれて終わり。
あんなとこ、頭がおかしくなる。
そのうち逃げ出して、結局、掃溜めみたいな路地裏に戻ってくるんだ。
そうやって、ずっとこの街の底を這い蹲っていくだけなんだ。
けれど、あの人は
『本当に、どうなっても良いのなら』
背筋を震わす闇夜の声で、俺の魂を平らげた。
『私と一緒に来い』
悪魔に会ったと思った。
それぐらい、その言葉は魅力的だった。
それからの日々は、変わった。
今でも時々信じられないような気持ちになる。
俺の"父親"になった人は、世界屈指の大富豪で、何より "バットマン "で。
俺はあの人の ロビン。
この街に寄生してるロクでもないウジ虫の頭を片っ端からカチ割ってやるのは気分がイイ。
まあ、本当にカチ割ったりしないけど。
俺は、あんな奴等それぐらい当然だと思うけれど、ブルースは うんと言わない。
あの人は、ヒーローだから。
妙な話、あの人は自分をそうだと思ってない。
たしかに、ジャスティスリーグの連中みたいに分かりやすくカラフルじゃないけど。
あの人はやっぱり、ヒーローだ。
あの人の言葉なら、何だって聞いてやりたいのに。
(胸の奥で何かがつかえる)
きっと身体が鈍ってるんだ。
俺はもっと速く走りたいんだ。
もっと速く、もっと強く、もっと はっきりしたい。
あの人が俺を置いていくなんて考えないぐらい、もっと。
ブルースは。
まだ、ディックを気にしてる。 ずっとそう。
ディックも。
もし、ディックが帰ってきても、ロビンは譲らない。 絶対に。
けれど、もし
いつのまにか、海が。
立ち並ぶビルの向こう、青く水平線をぼかす。
初夏の天藍は、遠い。
ぬるい空気が ざわめいた。
屋上の飾り縁に立って街を見渡す。
甲高いタイヤ音。 無理にハンドル切ったな。 どこだ?
見つけたのは、対向車線を蛇行しながら逆走してるバン。
ちょうど真下の通りに突っ込んでくる。 通行人も車も慌てて避ける。
何だアレ。 何しでかした連中だ?
この陽気で頭がおかしくなって銀行強盗でもやっちゃったか?
はは。
この街でそれは、ホントに割に合わない仕事だ。
(ドキドキしてくる)
あ。 でも、俺は今、あいつらを止める訳にいかないのかな。
ジーンズにTシャツのガキが、いきなり車のガラス蹴り破ったら、保護者に連絡される?
そんなの知るか!
(ドキドキしてる)
身体をぐっと前に押し出そうとした時、気づいた。
こんな街中で、まだ午後なのに、車の流れが途絶えた。
空になった交差点に、あの車が一台だけ突っ込んでくる。
まるで、何かに酷く怯えているように。
その向かう先に気づいて、はっとした。
四辻のビルが長い影を落としてアスファルトを染める、そこにいつのまにか。
闇が立っている。
夜闇の底から現れ、幾千の影を己の下に引き連れてきたような、漆黒の。
俺の身体は縫い付けられたみたいで。
空は青く、明るいまま。
いつ、どうやって"バットマン"が現れたのか、まるで分からなかった。
突っ込んできた車が更に加速する。
アクセル完全に踏み込んでやがる。
前が見えてないはずない。 轢き殺してでも突っ切るつもりだ。
やっぱりロクな奴等じゃない。
ウィンドウが下がる。 銃を構えた男が身を乗り出す。
バットマンは動かない。
誰かの悲鳴が遠く聞こえた。
俺は 見ていた。
突進して来た車は、突然何かが "狂った "ように、大きくスピンして、
あの人の脇を掠めて街路灯に激突し、止まった。
偶然なんかじゃない。
後輪の片方をバーストさせたのは、あの人だ。
知らない間に呼吸を殺していた喉を、緩めた。
あの人、俺には無茶するなって言うくせに、本当にイカレてんのはどっちだ。
フロントを大破させた車から這い蹲るように男達が転げ出る。
意外と丈夫だ。 まだ逃げる気力がある。
けど、あの人のほうがずっと速い。
あいつらが気づいた時には、もうその鼻先に拳が迫ってる。
知ってる。 それ、本当に痛いんだ。
自分の骨の砕ける音が頭の中に響いて、信じられないぐらい血が溢れて、のた打ち回る。
あの人は、程度を知ってるから、頭蓋骨までヒビを入れることもないけれど、でも痛い。
漆黒の 影は流れて。
鋭く滑らかな所作の一つ一つに、男達は呻いて次々地面に倒れ伏していく。
無駄な動きの全くない、背筋が寒くなるほどの 静けさ。
男達の手に銃があるとしても、構えることも出来ないなら意味がない。
前に、どうして銃を使わないのか、あの人に聞いたことがある。
だって銃は便利だし、ちょっと慣れれば子供でも扱えるぐらい簡単で、強力だ。
そしたら、あの人は、
『銃を使う人間は、銃ほど簡便でない』
それってきっと、こういうこと。
最後に残った一人が、がくがく震える両腕で銃口をバットマンに向ける。
けれど、撃てない。
自分の頭でも吹き飛ばしそうな顔色で、逃げ出そうにも足が竦んで動けない。
まるで定まらない銃口を、むしろ静かに 黒い影は。
こんな五月の青空など、全て幻で。
夜闇の底から立ち現れた悪夢こそ、真実であるような。
その恐怖に、鉛玉で勝てるはずがない。
男は、引金を引けない銃を放り捨てた。
跪いて許しを乞う男を、お優しい俺のボスは一撃だけで黙らせた。
それで、全部終わった。
一瞬、世界は沈黙して、それから わっと弾けた。
いったい何人が見ていたのか、
歓声なのか悲鳴なのか分からない大きな渦が起こる。
顔々々を見れば、目を丸くして驚いて、あるいは安堵して嬉しげな。
けれど、誰もバットマンに近寄ろうとはしない。
渦の中心にある、息をするのも怖いような真空を、俺は知っている。
この街の住人にとって、そこに立っているのは、"畏怖"だ。
誰も 近づいては いけない。
けれど、それなら
こんな遠くから、あの人を見ているだけの俺は、何だ。
俺は何も知らない奴等と違うのに。
俺は、あの人の隣に立っているはずだったのに。
俺は
ぬるい空気を掻き乱し、パトカーがようやく現れる。
立ち尽くして俺の身体はもう冷えた。
いつのまにか、あの人は消えていた。
結局、一度も俺の方を見なかった。
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青春=走る。
ちなみに、ジェイソンがバットマンに初めて会った時のお話は、回想シーンの中でしか知りませんよ、私。
今日も捏造甚だしいサイトです。
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