たいとる : 『本日は晴天なり。』
ながさ :ほどほど。
だいたいどのあたり :ジェイソンがロビンだった頃。
どんなおはなし :パパが内緒にしておきたかったことを子供はとっくに知っていたようです。 そんな五月の日曜日。
ちゅうい :一部にGL/蝙蝠を示唆する部分がありますが、90%本筋と関係ありません。




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金曜日のバルセロナ。
ブルース・ウェインという大富豪は、世界的企業のCEOであることよりも、
その華やかな遊興や、常に見目麗しい女性との噂が絶えないことで有名で。
世界中どこに現れても、カメラとリポーターが彼を待ち構えている、
アルマーニを着た、裸の王様。
喧騒の中、誰かの投げかけた、つまらないような言葉に、気紛れな笑顔を。
喝采するフラッシュの、瞬く真っ白な幻惑。
煌くような瑠璃ガラスの瞳。
(その瞳が退屈そうなのは、富貴に生まれた者の、傲慢だろう)




土曜日のゴッサムシティ。
上手いこと出し抜いてやった男が、暗い路地を奥へと逃げ込んだ。
綺羅と汚濁の街で仕事をするなら、まず頭を働かさねば。
グズな連中は今頃 "蝙蝠 "の餌だ。 たっぷり時間を稼いでくれている。
(あの仮面の下にある顔が本当に人間だと、誰が知っている?)
かっさらった金と、命拾いした幸運とで、このまま街の外へ。
逃げて、逃げて、逃げて。

あ。









日曜日のウェイン邸。
午後になってから目を覚ましたブルースは、サンルームで朝食を。
それが済む頃、ジェイソンが無愛想に入ってきて、手に持ってきた物を彼に突きつける。

「おはよう」

昼下がり、どこかまだぼんやりしていたブルースは、
受け取った物に視線を落とすと、唇の端で緩やかな弧を描いた。

「お早う」

それは、ノートやプリントや。
ジェイソンが昨日一日かけて終わらせた、ラテン語の課題。


マスメディアの映し出す虚像を楽しむ人々にとって、
ブルース・ウェインは奇矯な道楽者で、独身のプレイボーイでしかない。
だから、彼が14歳の少年の父親であることは、あまり知られていない。
諸々の事情により、現在彼はジェイソン・トッドの法的な保護者だ。
といっても、ウェイン邸には内向きの一切を取り仕切る有能な執事がいる。
養父の役目など微々たるもので、せいぜい学校から出される課題に確認のサインをする程度だ。
ブルースの場合、それすらなおざりになることが多いが。


ジェイソンの機嫌は、サンルームに来る前から悪かった。
それを隠すことなく、ブルースの向かいに座って、ぐたりと頬杖をつく。
アルフレッドが見れば眉を顰めるだろうが、今はお茶の支度をしている。
ジェイソンは、睨め上げるように、正面にいる彼をじっと見据えた。
しかし、ブルースは、気にしないのか、気づいてないのか。
そんな恨みがましい視線など、涼しい顔で受け流す。
それも、ジェイソンは面白くない。

はっきり言って、ジェイソンは(可愛い女の子でもいなければ、)学校に興味がない。
必然的に授業に興味がない。 出された課題など見向きもしない。
両親と暮らしていた頃は、それでも、子供が学校に通うのは当たり前だと思っていた。
けれど、今はもう違う。
だから、日々溜めに溜め込んだ、各教科からの山のような課題なんて。
それを提出しない限り進級させない、なんて学校側から言われたって。
やりたく ない!

"彼"が、言わなければ。
課題が全て終わらない内は "夜の外出"を禁じる、と言わなかったら。
絶対にやらなかった。

ブルースが会社のCEOとしてスペインに行っている間、
ジェイソンは、大人しく学校に行き、
帰宅すると渋々、嫌々、部屋に籠もって机に向かう。
かの大富豪が滞在中の都市では、ちょうどテロ事件が起こったが、未遂に終わったらしい。
ゴッサムは珍しく平穏で、窓の外の曇天に蝙蝠を呼ぶシグナルが灯ることもなかった。
いったい事件を引き寄せているのは本当は誰なのか。
彼がゴッサムに帰ったその夜、黒い蝙蝠が夜霧の底を飛び立つ。
同じ晩、ジェイソンは部屋で独り、ひたすらラテン語と格闘した。

そして、日は昇って、日曜日。
ジェイソンの目の前で、ブルースは確認した課題にサインする。
乱雑に書いたノートの何が面白いのか、唇には微かに笑みの欠片を漂わせ。
ジェイソンは全く、ちっとも、面白くない。
もうずっと、うんざりするほど机とテキストとノートばかりで。
それなのにまだ全部は終わってなくて。
彼は今日も言い訳を許さず、ジェイソンを置いていく。
腹が立つ、どころじゃない。

「ブルース」

呼びかけに、顔を上げた瞳の。
藍は深く、黒にも近い冷厳の色。
マスコミ向けの、面の皮一枚の表情でない、ジェイソンの良く知っている、ブルースの顔。
その平静さに、真正面から言い放つ。

「GLと 寝たの?」

一瞬、彼の内側が凍りつくのが見えた。
それで、本当にあの緑とそうなんだと思った。
けれど、何もかもとっくにお見通しの目をしてやると、
ブルースの顔から可哀想なぐらい血の気が引く。

「待て、誤解だ。 バルセロナに行ったのは本当に仕事で、あれが居合わせたのは偶然……」

半ばで口を噤んだ藍色の瞳が、はっとするほど鮮やかに見開かれ。
何の誤解を解こうとしたのか、言う必要もなかった言葉は取り返せない。
こんなに狼狽したブルースを見るのも初めてで、
ジェイソンは、にんまり笑った。

「ちょっと出掛けてくる」

傍に控えていたアルフレッドに勝利宣言すると、脇目も振らずに家から逃げた。

















青天の午後。
ウェイン邸を囲む森の木々に若葉は溢れ。
陽光の中、サンルームに咲く艶やかな蘭は、南洋の蝶のよう。
独り、椅子に凭れ。
暗い眼差しを落とす、物憂げな横顔の。

「ブルース様」

打ちひしがれた主人の前に、芳しい紅茶を一杯。
しかし、彼が動くことはなく、アルフレッドはその懊悩の深さを察する。

「St.クラウド様から別れを告げられた時以上に御傷心のところ、申し訳ありません」
「……なんだ」
「しかし、坊ちゃまのお付き合いする方々は皆様、個性的でいらっしゃる」
「止めろ」

憂鬱な眉根に険を刻んで。
しかし、視線を上げようとはしない。

「はっきりさせておくが、おまえもジェイソンも恐ろしい思い違いをしている」
「左様ですか」
「そうだ。 だから、この件についてこれ以上話すことは何も無い」
「承知しました」

何も無い、と押し黙った主人は。
白磁のカップに長い指を伸ばすと、一口だけ嚥下し、静かにカップを下ろす。
その流れるような完璧な所作の、ぎこちない沈黙を、アルフレッドは愛しいと思う。

「……"下"にいる」

そして、立ち上がった彼は、アルフレッドの前を通り過ぎる。
否、彼はそのまま歩き去りたかったのだろうが。
ちらりと、自分の執事に一瞥をくれた。
幼少時から彼を知るアルフレッドの長年の観察によれば、その微かな表情は、
"自分が叱られると思っているブルース "に分類された。

アルフレッドは、彼の執事であるから、主の本意に従い、沈黙する。
ただ、その姿を見送った後、ひっそり微笑した。




















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ラテン語の課題とか、教育システムとか、知ら ね ェ 。
またこいつテキトーぶちかましやがってと思ってくださると幸いです。




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