あらゆる手段を、使おうと思った。
どうしても、彼の目をもう一度開かせねばならなかった。
でなければ、私は
アラームが鳴っている。
どこかで。
どこに、時計を置いた。
あるいは、夢かもしれない、アラームが。
鳴り続ける。
仕方なく、腕を伸ばす。
目が明かない。
身体が重い。
うずもれた 雪のような
深い泥濘のような
(あるいは、菓子にも似た睡眠導入剤)
けれど、いつのまに眠っていたのだろう。
アラームが、初めて作動した。
私はモニターを食い入るように見た。
この3週間何の反応もなかった画面に、繊細な漣が揺れていた。
"彼 "の脳波だ。
「……良かった」
詰めていた呼吸が、ふっと解けた。
言葉は自然と零れた。
成功する確信はあったが、実際に結果が出るまで時間がかかった。
幸いなことに、必要なものは揃っていた。
宇宙を漂流しながら、あらゆる文明を搾取し、蓄積してきた電子生命体が、
最後に訪れたのはこの地球だ。
その全知識は、この研究施設に保管されている。
手を伸ばし、掌で触れたガラスの
境界の向こう、小さな、とても脆い空間。
そこに彼はいる。
異星の叡智を組み込んだ装置は、透明な卵型。
虚ろな内部は薄明るく、満たされた溶液の中、
黒髪は青味を帯びて艶を深め、
仄白い目蓋は眠りを秘する。
端整な顔立ちだ。
冬の月影が淡く澄み透るようで、
憎悪も暴虐もそこにない。
自ら飲み込んだ爆弾で、
吹き飛ばした胴と、四肢に代わり、
首から下、数多揺れる細いチューブは、たおやかな水中花の茎のようで、
内側を走る血の色と薬液をつまびらかにする。
首は静かに眠っている。
彼のような人は、どんな夢を見るのだろう。
鳴り続けるアラームが、切られた。
誰か、そこにいる。
誰かがそこにいる。
不意に、首が両目を開いた。
しかし、驚く私の見ている前で、
彼は無造作に二度ほど瞬きすると、また両目を閉じた。
水は、静か。
彼の目蓋は動かない。
明いたことなどないように。
私は、ほんの10秒前の出来事が、現実かどうか分からなくなりそうで。
ガラスを指先で、軽く こつりとする。
彼はすぐに反応した。
睫毛を持ち上げ、明いた眼は、スミレ色した硝子玉。
まるで人形のそれのような。
私は
何と声をかければいいのか分からず、
じっとこちらを見据える、彼の
その唇が、やがて動いた。
声は気管ごと失われていたが、何を言いたいのかは読み取れた。
"うるさい "
「え?」
人形の目が苛立たしげに細められる。
" 気配が煩い。 言いたいことがあるならさっさと言え "
言え、と言われても。
彼はまるで、寝起きの機嫌悪さそのもので。
全く予想していなかった。
"そうでないなら…… "
「待ってくれ」
目蓋を伏せようとした彼が、煩そうに片眉を上げる。
私は、奇妙な質問をした。
「君は、私が誰か、分かるかい?」
彼は黙っていた。
「私が誰なのか、言ってみてくれ」
溶液の中から私を眺める目は
光の加減か、黒真珠に変わっている。
"……知り合いか? "
その目は、淡い光沢の、人形の瞳。
"君が知人なら……もう暫く時間をくれ。 私は少し混乱しているようだ "
疲れたように目蓋を降ろす。
"君のことも、私のことも、分からない "
そして、意識を失った。
すぐに、この場で出来るあらゆる検査をした。
しかし、異常は見つからない。 彼は今、眠っているだけだ。
やはり蘇生は成功した、はずだ。
だが、彼に何が起きた?
"バットマン "は闇夜を跳梁する、秩序への反乱者。
"スーパーマン "を人類社会から排斥しようとし、シベリアで果てた男。
彼は、誰よりも私を憎悪していたはずだ。
それを 忘れて しまったのだろうか。
先刻の彼は、なんだか、まるで別人のようだった。
否、そうではないのか。
元々私は彼をほとんど知らない。
彼が本当は何者で、何を思い、あの黒い仮面を着けていたのか。
名前すら知らない彼が、全てを忘れた静けさで、そこで眠っている。
気配が煩いと彼は言った。
彼は意外と、表情が豊かだ。
とりあえず、彼が目を覚ますのを待つことにした。
あるいは、次に意識が戻った時、記憶も元通りになっているかもしれない。
数日、何事もなく過ぎた。
彼はずっと眠り続けた。
覚醒した脳波を感知してアラームが作動するよう設定してあるが、
時間を見つけては彼の様子を確かめに訪れた。
薄い光を発する溶液の中、目蓋を伏せた首は、
なにか哲学的な、彫像のようで。
モニターを見る。
彼は生きている。
私のどこかが、安堵した。
帰り際、ドアを開ける前に振り返る。
彼は 眠っていた。
夢のなか
目を覚ました首は
終わりのない夜を見た
そして唐突にアラームは鳴った。
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