ぷかりと紫煙を吐いて、ルーサーは顔を顰めた。
「君の耐え難いところは、人の善意を無にするところだな!
折角この私が全面的に支援してやろうと言っているのに。
素直に受け取れば良いものを、相変わらず可愛げというものがない!」
赤い煉獄の焔が消える。
照明が切り替わり、仄白い静寂が地下研究所に戻ってきた。
物言わぬ機械達の中央に、科学者が二人。
黒いゴーグルを外すと、ブルース・ウェインの顔をした男は微笑む。
「あなたを煩わせたくないだけですよ」
華と享楽に慣れきった、しかし、どこか漂う物憂い影は
甘やかな低音となって響いた。
大抵の人間は、その言葉が白々しい嘘だと分かっていても、彼を許してしまうだろう。
彼の甘えを嬉しいと思ってしまう。
無論、ルーサーは "大抵の人間 "に含まれないが。
「必要なものは頂きました。
それに、過ぎたものは持たない主義ですので」
遊蕩家は にこりと答え、
ルーサーの提案する数限りない支援を蹴り、
赤色太陽光の発生装置だけを受け取って帰ると言う。
しかも、自分の計画すら明かそうとしない。
「年長者の言葉はもっと敬うべきだと思うがね」
ルーサーは、己の利になるものは余すところなく利用する。
人であれ物であれ情報であれ、全ては彼に利用されるために存在する。
ソ連の反体制テロリストなど、都合の良い道具に過ぎないが。
ブルース・ウェインの仮面の下にいるのは、
懐柔するには少々厄介な男だ。
極めて現実的に状況を分析し、取り得る手段を選ぶことがない。
その手腕はいっそ悪魔的な程だと評価できる。
ルーサーの援助を断るのは、ひとえに、信用していないからだ。
人間というものは生きた不確定要素である。
他人を全く信頼しないという性質は、彼にとって必要不可欠な能力だろう。
だが、同時に。
気難しく、扱いづらく、攻撃性が高く、
目の前に餌をちらつかせても全く食い付いてこない変人で、
相変わらず口の利き方を知らない若造だ。
そして、生身の人間だ。
「君が思っている以上に、私は君を買っているんだよ」
使い捨てにするには惜しいと思う程度には。
「それなのに君は、一人で怪物と対峙しようとしている。
君は私が創り出したどの個体よりも脆弱で、何の特殊能力もない、ただの人間だ。
私が君に保険を掛けようと思うのは、そんなにおかしいことか?」
ここで彼がしくじれば、面白くない。
死体に興味は無い。 脳を矯正された廃人のデータなら既にある。
いずれにしろ、何の利にもならない。
「共通の目的を持つ者として、君と私はこれからも協力し合えるはずだ」
ソ連領土内で活動する有能な駒は、確保しておきたい。
熱心に諭すルーサーの言葉に嘘はない。
そこに多様な角度は存在するが、偽りを述べたわけではない。
ルーサーは自分の言葉に誠実さすら感じるのだ。
ブルースは、そんな彼を黙って眺めていた。
僅かな沈黙は、何によるものなのか。
やがて緩やかに唇が弧を描く。
「あなたは何か、思い違いをしている」
微笑する双眸は、冷たく冴えた藍色。
冬の結晶のように煌き、凍てついた夜。
ブルース・ウェインの瞳に決して存在すべきでない、常闇。
では、ここにいる男は何者か。
享楽からも誠実からも程遠い笑みを浮かべて。
「私の保険はこの程度ですよ」
典雅な長い指が、何か小さなものを取り出し、ルーサーに渡した。
小指ほどの大きさで、無骨な黒色をしている。
構造から見て、片側にある装置はシグナル受信部だろう。
「これは?」
「ただの爆弾です」
「火力が充分とは思えんな」
分解するまでもなくルーサーは結論づけた。
大きさと形状から推察するあらゆる可能性を検討しても、
爆発物としての威力は、最大で、人間一人を吹き飛ばす程度だろう。
この小ささでそれだけの威力があるのなら、利便性を評価出来るが、
ただの、とわざわざ言うとおり、あのスーパーマンに対抗する手段としては無意味に等しい。
少なくとも、ルーサーにはそう思えた。
「一つ、お願いがあります」
その言葉に目を見張ったルーサーを、
彼は、笑いもせずに見返した。
「まあ、見込み違いをしたことは、認めよう」
ぷかりと紫煙が浮かぶ。
すぐにセンサーが感知し、空気中から除去していく。
地下研究所の中枢コンピュータの前に座るルーサーは、
また、ぷかりと煙草を燻らせた。
こぼれた言葉は誰に聞かせるためでもない。
彼を囲む数多のモニターは、幻のように画像を切り替えていく。
見るともなく眺めるルーサーの脳内で、朧な影は像を結ぶ。
スーパーマンの生誕式典の夜、何か異常な "事件 "が起きた。
公式発表では明らかにされない、することの出来ない事件。
その直後、KGB局長が更迭され、アマゾネスの王女は決して表に現れなくなった。
そして、バットマンは、死んだ らしい。
その夜から一週間が経過した今、はっきりしている事実は、
真相が未だ分からないことだ。
気分が悪い。
「君は底意地が悪い」
結局、具体的な計画は最後まで明かさなかった。
受け渡した装置に組み込んでおいた追跡回路は当然のように外された。
おかげで、装置の起動を察知する新たなプログラムを用意することになった。
丁度良い退屈しのぎにはなったが。
赤色太陽光によって、あの異星人の力は無効化出来ると唱えたのはルーサーだ。
だからこそ、その効果と結果を正しく確かめねばならない。
それが科学者の義務というものだろう。
そのついでに。
死んだという噂のテロリストの、骨の一片ぐらいは探してやっても良い。
もしも残っていたら、の話だが。
「……しかし 解せんな……」
その夜、本当は何が起きたのか。
バットマンが死んでスーパーマンが生き残る、という結末は、
たしかに考え得る一つではあった。
だが、今回に関しては、後者が致命傷を負う確率の方が高かったはずだ。
彼は、自ら一人でモスクワを離れたという。
誘い出され、孤立し、あの装置が正しく起動したなら、彼の力は常人の域まで落ちる。
それに対し、バットマンの仮面の下にいる男は、常人から程遠い。
まして、自分の身体の中に小型爆弾を仕込んだ人間を、
あのスーパーマンが、力尽くで取り押さえるわけがない。
人間の命が彼に対する盾となることは、ルーサーが過去に実証している。
スーパーマンが死ぬべき条件は、揃っていた。
では、バットマンの犯した失敗は何だったのか。
何が、起きた。
どうやって死んだ。
常軌を逸するほど冷徹に、死を見詰めていた男が。
ふっと、その時ルーサーの脳裏を、淡い影が掠めた。
中枢神経の迷宮奥深く、遠い微かな記憶。
99の幻像と、薄闇に佇む亡霊。
名前のない男の、青褪めた横顔。
あれは、哀傷にも似ていた。
「……屈折しているな」
呟いた頭上で、ピッ と短い電子音が鳴る。
傍らにあるモニターが瞬時に映したのは、曇天を裂く真紅の残影。
「スーパーマンは今日も健在か」
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あんまりはっきり書きたくない部分があったので、ぼかした形式になってます。
原書のシベリア戦ですが、超人本とカウントダウンでは、超人・WW・蝙蝠の遣り取りに違いが見られます。
もしカウントダウンを読んで、「ぅあ"ーー」な気分になった方は、超人本を読んでみると、
「あああ"ーーーー!」な気分になるかもしれません。
お話の出来が良いのは超人本のほうだと思いますが、その分3倍ほど罵りたくなりました。
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