たいとる : 『宴の終わり、月は輝く』
ながさ :ほどほど
どんなもの :他所にお嫁に出したサガニをサイト用に修整しました。(2011年12月10日)




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蒼い大きな月の夜。
墓場から奇妙な音が聞こえる。
ざっ、ざっ、 深く掘り返す、土の重たい音。
闇に紛れた墓荒し。
手慣れた様子でシャベルは仕事し、鼻歌も機嫌良く、寂しい大地をあばく。
やがて、ぽっかりと大きな穴の、真っ暗い底。
埋もれた棺を見下ろして、デスマスクは満足げに笑った。

遥か昔に存在を忘れ去られたような、墓地の外れ。
その墓は、死者の名前を刻んだ石すらも無く。

シャベルを置いて、次はバール。
そして、ハンドライトの小さな灯り。
錆びた釘で封印された棺を、素早く抉じ開けていく。
全ての仕事をやり終えると、デスマスクは小さく息をついた。
棺の中、"彼"は 月光の底で静かに眠っていた。
質素な黒の法衣。
金糸のように輝く髪は、豊かに流れて、
生ある時と変わらず、その端整な容貌に澄んだ光を与える。

こんな寂しい土の下、
独りで葬り去られた、愚かな男。

「お待たせ」

夜空は降るような星々。
デスマスクは、その光を受け取るように、左の掌を上にした。
すると、星が一つ流れた。
まるで導かれるように天を駆け、蒼い炎となって大地を目指し、その掌に宿る。

「おかえり、サガ」

言葉は、息吹。
蒼い鬼火は、掌から死者の胸へ、ふわりと。
やがて、月光の下。
固く閉ざされていた瞳は、長い睫毛が微かに震え、
目蓋がゆっくりと、明いた。







十三年の空白の末、女神は聖域に帰還した。
彼女を迎えたのは、頭を垂れて臣下の礼を示す九名の黄金聖闘士と、
教皇と呼ばれた男の、亡骸だった。

訳を問う女神の前に跪き、言葉を述べる許しを乞うたのは、蟹座。
夜と死の祭祀を司る聖闘士は、愚かな罪人の最期を語った。

主たる女神に叛き、聖域に無益な動乱を引き起こした叛逆者は、
贖えぬ己の大罪を悟り、自らの命を以て死者達へと弔いと為した。
その魂を刈り取ったのは、蟹座の務め。
逆賊の血が聖域を穢すことを憚る故に、星宿の定めに従う。


女神と呼ばれる十三歳の少女は、蟹座の言葉と向かい合い、
己へ捧げられた "死"に、一言。

「許します」




そして、罪人の亡骸は、見送る者もなく、埋葬された。










青褪めた真円の月を背負い、笑う墓荒し。

「おはよう」

棺へと手を差し伸ばせば、その手をしっかりと掴み返す手。
深淵の闇から、月光の底へ。
デスマスクの手を取り、再び起き上がろうとする双眸は、清冽な青。
この世のどんな青よりも深い青。

「……おはよう、デスマスク」

長年聖域を欺き続けてきた、血と謀略の独裁者。
己の顔と名前すら、氷の仮面の下に消し去った、孤独な男。
けれど、サガは。
静かに、穏やかに微笑む。

「車のところまで走るよ。 足は動くね」
「そのようだ」

そして、暗夜の二人は、寂れた墓場を駆け抜ける。
月光はとろりと冷たく、闇は深い。
雨風に崩れた墓碑の石くれ。 土の下には無数の髑髏。
その夜闇を、二人軽やかに。

「しかし、」

サガは、堪えきれないというように、笑った。

「随分と演劇的な手法を取ったものだ」

その声には、気鬱や懊悩はなく、
デスマスクも唇を吊り上げて嘲笑う。

「悲劇の名作自爆カップルみたい?」

物語のフィナーレ、恋人の棺を前にして自ら命を絶った男は、愚かしいほど誠実だったのだろう。
ジュリエットは、この世界に二人で生きていくことを強かに望み、そのために薬で眠っていただけなのに。

「ダメだねェ、現実はどうも悲劇性が足りない。 俺達二人とも、ただのペテン師だし」

絶望し自害する独裁者と、魂を刈り取る死神。
二人そろって、物語を終えずに舞台から逃げ出した。
なんて酷いお芝居だ。 インチキだ。
けれど、元々が悪党の二人は、そんな批評など知ったことではない。
しなやかに、夜から生まれた獣のように、闇を駆ける。
サガは唇を綻ばせて、言った。

「いや、駆け落ちのようで私は楽しいよ」
「ぅわっ」

デスマスクは思わず肺から妙な声が出た。

「この人、鳥肌立つほど恥ずかしぃっ」

叫んでサガを睨むと、微笑みが迎える。
玲瓏とした青い双眸は、夢見るように穏やかだった。

「……あんまり、のんびりしてんなよ。 サガ」

小宇宙を使って空間転位するのは容易い。
しかし、それでは聖域に覚られる。
見逃されているのだ、今のところは。
聖域には、勘の良い奴等がいる。 付き合いも長い。
あの二人は、大方の筋書きがもう読めているだろう。
どちらにしろ、デスマスクが聖域から消えたことは、夜明けには皆が気付く。
嘘はいつか、明るみに出るものだ。
女神は、分かっているのかもしれない。
それでもこの足は止まらない。
闇の中、光の弧。
サガの髪を、月光と星明が透き流す。
まるで幾つもの金冠に飾られたように。
その瞳は、透徹として澄み渡る。
教皇の仮面を捨て、一人の人間として生きることを選んでも、
デスマスクにとって、王はただ一人しかいない。

「駆け落ちみたいじゃなくて、駆け落ちだからっ」

間の抜けたことを、大声で叫びたい。
呼吸する、冷たく甘やかな夜風。
荒れた大地を駆ける足は、不思議なほど軽く、ふわふわと浮ついて。
サガの片手が、優雅に差し伸べられる。
駆け落ちといえば、手に手を取って、だが。

「でもそれはない」

と、明言したデスマスクは、次の瞬間、軽々と抱き上げられた。

「ぅ、ぇえッ?」

両足が本当にふわりと浮いていた。
いわゆる、完全な、"お姫様抱っこ"。
流石、聖闘士の頂点に君臨した男は、微塵も速度を落とさず駆け続ける。
至極、楽しそうに。

「なんでッ? なんで抱っこ! 別に軽くないですから俺ッ」
「ははは」
「笑うだけかよッ」

何なんだろう、この人の突き抜けちゃった感は。
と、デスマスクは、サガの腕の中で揺られながら思う。
決して小柄でない身体を易々と持ち上げられ、正直落ち着かない。
赤ん坊みたいにぎゅっと拳を握って固まった腕は、どうすればいい?
やっぱり首? 首に回すべきなの? いや、ちょっと待とうぜ、おかしいから。

「デス」

なのに、その声を聞くと、何か分かったような、気持ちになる。
ずっと昔から、そうだ。
そこにいて、名前を呼んでくれるだけで。
錆び付いた、ガラクタみたいな心が、何かの意味を、機能し始める。
この人の、そばにいたいと、願う。

縮こまっていた腕を、しっかりとサガの首に回す。
揺れる不安の重心を、彼に預けて、支えてもらう。
零れるように吐息が落ちた。
ふわりと、解けた。
サガも、本当は、そうなのだろうか。
終えるべき物語を終えないまま、走った背中で幕を引いた。
舞台から駆け下りた先は、目隠し鬼の闇。
浮つく足の下には何も無い。

「……サガ、」

だったら、げらげら笑いながら転がり落ちればいい。
それでも、俺はこの人を守る。

「あんた、墓場くせー……」
「それはすまない」
「車に服も置いといたから後で着替えてね」

用意したのは、適当にデスマスクが自分の服から選んだものだ。
つまり、きっと、似合わない。
似合わないから見てみたい。

サガは、微笑っていた。










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→2


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