シュラが二頭の手綱を取って岩場に入らせた頃、日は完全に落ちていた。
砂漠の夜は一気に冷える。
「……なに?」
デスマスクは目を覚ますと、他人事のようにそう言った。
「何じゃない、バカ」
シュラはその頭を軽く殴ろうとして、止めた。
荷物から水を取り出し、砂に横たわっているバカに渡す。
「おまえこそいきなり何なんだ。具合が悪いなら早く言え」
「別にー。イテッ 殴んな」
存外元気そうに水を飲むのでシュラは安心した。


風化した岩石群は奇妙な形をしていた。
滑らかに空へと捻じ曲がる岩陰で、二人は夜を過ごすことにした。
頭のずっと上を風が吹き抜ける。
シュラは羊毛のマントを毛布代わりにしてくるまった。
地面に引いた敷物は砂のおかげで柔らかい。
仰向けになると、夜空の星が滴り落ちそうだった。
シュラは自分の腕を枕にして聞いた。
「なあ」
隣から返事はない。
そちらを向くと、閉じていた目蓋が持ち上がった。
「疲れてるのか」
「……眠たいだけ」
そしてまたゆっくり降りる。
昨日までなら、眠いなんて言うはずない。
マントにくるまった背中も大人しく丸まっている。
シュラは仏頂面で身体を起こした。
「口ばっかりだな」
「それが取柄なんだ」
「明日はここにいろ」
「なんで? 別に平気だって」
目を閉じたまま笑って言う台詞は、呆れるほど根拠がない。
「だったら、もっとちゃんとしてろ」
小宇宙をほんの少し解放しさえすればいいのに。
シュラは、この悪友がまともに力を行使したのを見たことがない。
何故こうも頑ななのか、知らない。
「言ったろ? そういう風に頑張るの嫌いなんだよ」
「頑張るようなことじゃないだろ」
事実、シュラにとっては何でもない。
だから彼も同じだと思った。
しかし顔を上げたデスマスクは、上目で睨むような、けれどまた違うような、
なにか不思議な表情をした。
シュラはきょとんとする。
デスマスクは立ち上がり、顔を覆う布を直した。
そして岩陰を出、砂の海を歩く。
「デス?」
いつのまにか地平線に月があった。
砂漠に立つ小さな後姿から長い影が伸びる。
その真上に浮かんだ、黒い月。

本能的にシュラは小宇宙を燃やした。
両腕の刃が目覚める。
その頬を、冷たい風が撫でた。
ラクダが狂ったように泣きわめいた。
暗い影の傍から這い出した何かがのたうち逃げる。
どこか遠くで甲高い声がした。
地平線を目指す小さな生き物が月明かりに踊り跳ねた。
繋がれたラクダは逃げられないと知り、静かに、静かに首を垂れた。
シュラは、戦慄く自分に気付いた。
空気が酷く冷たい。
けれど身体的な感覚ではない。
そんなもののはずがない。
あの一瞬、冷たい何かが確かに、魂それ自身を鷲掴みしたのだ。
「動物のほうが素直でいいな」
影が言う。
「この気配を抑えて小宇宙を燃やすの、まだ得意じゃないんだ」
あれは小宇宙なのか。
あんなものが人間の身体の内から生まれるのか。
まるで、あれは。

「気を抜くとすぐに殺しちゃうし。面倒だから、頑張るのは嫌いだ」

慣れたように影は笑った。















黒い月だと思った何かは消えていた。
幻を見たのかもしれない。
岩場に戻ってきたデスマスクは何も言わずシュラの傍を通り過ぎ、
ずっと離れた岩陰に座り込んだ。
「おい」
シュラが言っても、返事をしない。
つんと顔を背けて足を投げ出す。
「おい」
シュラの声が大きくなる。
しかし、ますますそっぽを向く。
シュラはデスマスクのところまで歩くと、隣に座った。
それでも口をきこうとしない。
シュラは、その頬を思いきり抓って自分と顔を合わせさせた。
「い、いだだッ 痛いんだよバカ!」
「バカはおまえだ」
涙目だったデスマスクは、シュラの眉が吊り上がっているのを見て、目を丸くした。
「俺は、おまえなんか平気だ」
噛みつくようにシュラは言った。
頭に血が昇っているのは分かっている。
けれどその似合わない勘違いに、どうしても腹が立って仕方なくて、
もう一度繰り返し言った。
デスマスクがシュラの手首をきつく掴む。
自分を睨む目と同じくらい強くシュラを睨み、だが穏やかに小宇宙を高めてゆく。
シュラは、今度こそはっきり感じ取った。
デスマスクの身体の中で、死の世界が口を開けていた。
全ての存在がひたすら真っ直ぐに突き進む終極。
それがシュラの魂に腕を伸ばす。
シュラは動かなかった。
ただ静かに小宇宙を燃やす。
それは聖なる刃を形作るのではなく、自分の身を守るためでもなく、
ここに生きて存在していることを教えるものだった。


やがて、長い一瞬は終わった。
デスマスクはシュラの手を放し、岩に背を凭せる。
そしてマントの襟をしっかり合わせると、顔を上げ前を向いた。
シュラも同じように岩に凭れ、足を投げ出した。
外では、砂漠の生き物たちが死に物狂いの逃避行を演じているらしい。
奇妙な悲鳴、砂を這う気配、羽ばたき。
昼間の不毛な世界が嘘のようだ。
もっと馬鹿みたいに跳ね回ればいい。
腹の立つほど頭が悪い大事な親友にも、きっと理解できるように。
誰も、何も、殺されてはいないと教えてやれ。
「明日」
「うん」
「探すんだろ」
「ダチョウ?」
聞き返す声は常の軽やかさ。
憂愁を知らぬ目で頷く。
「うん、いたらいいな」



砂漠の、遠い喧騒。
逃げろ、逃げろ、逃げろ。
そうして言ってやれ。
まだ生きているんだと叫んでやれ。
死の門を見た。
けれどその冷たい腕からは上手く逃れてやったと、愚かしく笑って跳ね回れ。

死は隣で、静かに呼吸をしただけだ。






シュラはそこを離れなかった。
二人は黙って岩陰から青白い月を眺めていた。
その日の夢の中でも月の光は変わらなかった。








































「シュラ、起きろ」
切羽詰った声がシュラの目を開かせた。
まず気付いたのは音だ。
地を這う咆哮が辺りを取り囲んでいる。
「砂嵐か」
激しく巻き上げられる砂で空が暗くなっていた。
「……分からない」
岩陰から外を覗くデスマスクが怪訝な声で言った。
「何か、変だ」
シュラも外を見た。
猛烈な風が吹き荒れ、何も分からない。
突然流れが変わった。
砂の空が割れる。
真っ黒く積み重なった分厚い雲。
途端、雷が落ちた。
「雨?」
光の柱が暗い砂漠を引き裂く。
真下で黒く煙っている塊は雨だ。
雷雨を引き連れ、夏の嵐がやって来る。
「当分、水には困らないな」
しかしシュラは見た。
垂れこめる暗雲の中から下へと何かが渦を巻いた。
まさか、と呟く声がした。
デスマスクの両目は、まるで信じられないものと出会ったように、大きく見開かれていた。
「何だ、早く言え」
「竜巻だ!」
行く手にある一切を薙ぎ倒し、巻き上げる風の大渦。
巨大な竜巻が雷鳴の轟きと共に真っ直ぐ迫ってくる。
シュラは目を見開いた。
その無慈悲な猛威は、ある種の畏怖すら抱かせた。
「どうする、シュラ」
「……取り敢えず、ここを離れる」
「雨雲も来てるから低地は危ないな。溢れた水に飲まれるかもしれない。
南の方が高かったからそっちに行こう」
二人はラクダの手綱を取り、岩陰を出た。
竜巻の進路を避けて南に回ろうとする。
その時、デスマスクが後を振り返った。
「え?」
愕然として竜巻を凝視する。
「……ぁあ?」
ラクダから飛び降り暴風の中心を向き直ったその顔は。
「どうした」
「……教皇はたしか、『見れば分かる』って言ったよな」
「言ってたな」
「あの中から、教皇の小宇宙がする」
デスマスクは引きつった声で笑った。
「本当か?」
「どういうことか分かんないし分かりたくないけど、ほんの少しだけ、ある!
で、俺が思うのは、あれが『見れば分かる』ものなんじゃないかなッ」
「あるいは、あの風の中にある、何かか」
吹き荒ぶ風音に掻き消されぬよう叫び合った二人は、顔を見合わせた。
「……おっかねえ、うちの教皇様」
「分かりやすくはあるな」
「どうする。逃げるー?」
「逃げてどうする」
「竜巻が消えるのを待つ。
何時間持つのか知らないけれど、ずっとあのままのわけじゃないだろ」
そう言ったデスマスクの身体に満ちてゆく小宇宙。
「四匹まとめて逃がせるぞ?」
シュラは、ここに来るはめになった発端を思い出した。
そしてデスマスクの言うことはたしかに確実な方法だとも思った。
しかし、
「……あー」
竜巻から目を逸らさないシュラを、デスマスクは眺めた。
「そうなの? まあ、いいけどさ」
その動じない眼差しを、喉の奥で笑った。
それから、テレポートに備えていた小宇宙を絶ち、ラクダの手綱を二頭分掴む。
「じゃあ、死ぬなよ!」
ただ頷いたシュラを残し、デスマスクはラクダを走らせた。
怯える獣をなだめる声が遠くなる。
それを確かめ、シュラは歩き出した。


竜巻に近付くにつれ、その大きさがはっきりする。
横幅は少なくとも200mを下らないだろう。
まるで、天から降る巨大な暴風の塔だ。
この天然気象兵器の純粋なエネルギー量は核爆発の比ではない。
地球上にあるどんな兵器でもこれを消滅させることは不可能である。
その前に、シュラは立っていた。
黒雲と砂によって光を失った世界に、金色の小宇宙が眩いほどにほとばしる。
「シュラくーん」
「……なんだ」
気の抜ける声にシュラは振り返った。
ラクダを連れて逃げたはずの悪友がそこにいた。
「やっぱりこっちで見た方が絶対面白いと思ってさ」
「ラクダは」
「さっきの岩場に置いてきた、あそこなら大丈夫だろ」
デスマスクはシュラの横に立ち、竜巻を見据えた。
その薄い色をした瞳が、ちかりと笑う。
「あれ斬れたら、おまえ俺のヒーローな」
シュラは何も言わなかった。
切れ長の瞳が大きく開かれ、やがて細められる。
その肩を軽く叩き、デスマスクは後に下がった。
「逃げるんならいつでも言ってー」
「誰に言ってる」
シュラは前を向き直った。
昂ぶった小宇宙を更に高みまで引き上げ、一刃に研ぎ澄ます。
全身の神経細胞がびりりと緊張する。
その感覚が心臓を高揚させる。
荒れ狂うあの暴風を打ち倒す。それ以外は頭から消え去る。
薄い唇は、小さな笑みを浮かべていた。
シュラは聖剣を振り下ろした。



































閉じていた目を、ゆっくり開けた。
空から光が差していた。
天地を両断する一太刀は竜巻をねじ伏せ、辺りの地形をも変えていた。
砂の平原は深々と抉られ、その下に埋もれた太古の地層を晒している。
二つの莫大な力が真正面からぶつかり合った衝撃は凄まじく、
頭上を厚く覆っていた黒雲すら消し去っていた。
そんな風景に、シュラは立っていた。
名残のような風が柔らかく吹き抜ける。
「デス?」
振り向くと、奇妙に波打つ砂丘しかなかった。
「……おい」
砂の下から細い腕が一本飛び出す。
指をひらひらさせるその手首を、シュラは勢いよく引っ張り抜いた。
「おまえ心底バカだな」
日の下に出された砂まみれの子供は、げらげらと馬鹿笑いしていた。
「だってさー、反動すごかったんだもん」
「それぐらい耐えろ」
「あー、じゃりじゃりする」
デスマスクは頭と顔を覆っていた布を外した。
色の無いような髪を犬のように振る。
そして眼前に広がる光景をまじまじと眺め、腹を抱えて笑った。
「ホントに斬っちゃったのかよ!? つーか、君、やりすぎ! 絶対やりすぎ!
雨雲まで無くなってるし、絶対誰かに怒られるね、いつか」
シュラは容赦無くその頭を殴った。
ぎゃんと声を上げ、デスマスクはうずくまった。
「その時はおまえも同罪だ」
傲然と言い放つシュラ。
その唇の端が吊り上がっているのを見上げ、デスマスクは砂粒のついた睫毛を震わせた。
ゆるい瞬きはやがて、にっと笑った。


そんな二人の傍に、天から何かが落ちてきた。
竜巻によって空に巻き上げられていたのだろう。
砂に半ば埋まったそれをデスマスクが覗きこむ。
「ああ、やっぱりこれだ」
黒い小振りな箱だった。
何の変哲もなく見えるが、あの衝撃の中でも無事だったのだ。
触ってみると、何となく聖衣に近い感じがする。
「……何作ってんだろ、あの人」
ぼそりとデスマスクは呟いた。
教皇の仕事って暇なのかな、と小首を傾げて箱を持ち上げ、錠を外した。
中にあったのは、それこそ変哲もない、白い紙だった。
「何だ?」
シュラは折り畳まれたそれを取り出して広げた。
そして声に出して読む。
「"御苦労。そのまま南下し崑崙山脈を越え、チベット高原へ行け"」
「は?」
「"そこで聖衣修復を担う人材を確保せよ。出発時にも言ったとおり見出すまで帰還は許さん"」
シュラはそこで言葉を切った。
文面はその後も続いていたが、読む必要はないだろう。
最後にはしっかりと教皇の署名があった。
「……そういえば、最初に"宝探し"って言ってたもんなぁ」
「これからがそうだったのか」
「ああーッ!」
叫んだデスマスクはごろんと砂に寝転がった。
シュラは紙を箱に戻し蓋を閉じた。
そしてデスマスクの隣に腰を下ろす。
二人は暫くの間、黙っていた。
青空には雨雲の名残なのか、白い綿のような雲が浮かんでいた。
実におおらかに、砂丘の上を流れていった。
ふと、シュラは隣を見た。
こちらを見ている瞳と目が合った。

「……とりあえず」
「取り敢えず、行くか」

二人はのんびりとまた歩き始めた。























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ダチョウはサハラ砂漠にしかいないと言われて蟹はガビンとなり、
砂漠の薔薇を土産に期待していた魚は、それもサハラ砂漠なんじゃないかなと言われてガビンとなり、
ラクダには乗れるよと聞いた山羊は一人うきうき。ヒトコブとフタコブの違いはどうでもいい。
そんな傍若無人な山羊さんを目指すサイトです。

この後を続けるとしたら、チベット→インドの予定。
ところで、砂漠でああいう竜巻って、ありなんですか?

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