天色一青。
熱砂の海は遥か地平の彼方まで。
燦々と照り付ける太陽の下、ラクダは眠そうな顔で泳ぐ。
その背に乗った小さな影が顔を上げた。
雲一つない空を睨む両の目は硬い黒で、同じ色のつんつん跳ねる髪を強烈な日差しに晒している。
「こんなの、ちっともおもしろくない」
口を尖らせた表情はまだ幼い。
「だから言ったろ? 騙されてるって」
隣のラクダに乗った砂漠の民の子供が答える。
髪だけでなく、目より下も布で陽光を遮っているが、どうやらうんざりしているらしい。
「おかしいと思ったんだ。あの教皇様が、聖域から出てもいいって言うなんて」








 『君行く道に幸いあれ』








「……3、……4、……5」
五つ数え終わり、シュラは振り返った。
大広間には磨かれた石柱が二重三重に列をなし、沈黙している。
一番隅の柱に背を凭れ、それを端から端まで眺めたシュラは、ふふんと笑った。
「そこだッ」
整然と並ぶ柱の間を閃光が走る。
瞬間、一つの柱が滑らかに切断された。
轟音と共に倒れたその断面は、まるで磨き抜かれた大理石のようだ。
「すんげー、何でここだって分かった?」
子供の声が響く。
柱の後に隠れていたデスマスクは素直に手を叩いた。
シュラは右腕を戻し、少し得意げに言った。
「足音で分かった」
デスマスクは試しに床を蹴ってみた。
たしかに固い音がした。
「それに、おまえの気配はうずうずしてて分かりやすい」
シュラは、かくれんぼの相手に事実を端的に突き付けた。
言われた方は当然面白くない。
「よし! じゃ今度は本気でやるからな! 絶対見つかんないようにしてやるッ」
人差し指をシュラに突き付け宣言すると、ばたばたと走っていく。
「早く数えろよ!」
反響する声に背中を押され、シュラは柱に腕をつき目隠しをした。
「1、……」
後から聞こえていた足音が不意に途切れた。
次に鈍く短い音。
柱を蹴ったのだろう。
「2、……」
柱から柱へと音は移動する。
だんだんスピードが上がる。
天井に跳ねた。
逆側で音が弾けまた消えて現れ。
「3、……4……」
残響に残響が重なり、位置を掴ませにくくさせる。
しかし、
「5」
シュラは振り返った。
大広間はしんと静まり返っていた。
悪友の特徴的な気配は、上手に息を潜めている。
「ふぅん」
シュラは柱に背を凭れた。
その右腕が確信を持って上がる。
閃光が切り裂いたのは、極微かな音が最後に降り立った柱。
たとえ気配を隠しても、どんなに高速移動したとしても、シュラには分かる。
斜めに倒れる石柱。
その後からばつの悪い顔が出てくる、と思った。
シュラは目を見張った。
そこには誰もいなかったのだ。
慌てて考え直す。
頭の中で音の軌跡をもう一度確かめる。
そして可能性のありそうな柱に向かって腕を振る。
鮮やかに切断される柱。
しかし、いない。
次を、その次の柱を倒してゆく。
やはりいない。
だんだん腹が立ってくる。
それにつられて小宇宙が昂ぶってゆき、セブンセンシズを完全覚醒させる。
癇癪を起こしたシュラの聖なる刃はビッグバンをも引き起こし、一瞬で全ての柱を切り伏せただけでなく、
壁を引き裂きそのまま外に出ると衝撃波となって一切を薙ぎ払った。
随分とすっきりした大広間。
満足げに眺めるシュラの頭上で重い音が響く。
支えを失った天井が崩れ落ちようとしていた。
「あっ」
その声に、シュラは自分の後に一本だけ残っていた柱の裏に走り込んだ。
目を丸くしたデスマスクがシュラを見た。
「「おまえ卑怯だぞ!」」
互いを指差しわめく二人の上に、大きな石が降ってくる……。









その日、人馬宮で崩落事故があった。
聖域の中でも限られた人間しか踏み入ることを許されない十二宮。
その一つの、しかも謁見の間を崩壊させる大惨事。
しかし駆け付けた人々が見たものは、瓦礫の上でなおも取っ組み合いの喧嘩をする、二人の子供だった。
勅命から戻った人馬宮の主は、取り敢えず、と言って。
神すら殺す射手座の矢を射った。
別の勅命で聖域を空けていた双子座の黄金聖闘士は、そういうことなら、と。
二人の幼さを嘆きながら、銀河の星々を砕いてみせた。
鍛錬から戻ってきた魚座の候補者は、ついでに、と。
教皇の間へ行く二人を薔薇の葬列で見送った。
そして教皇は。
「うろたえるな小僧ども!!」
未だに言い争いをする二人を、幾千万の星屑と共に天井へ叩きつけた。





聖域とは、完璧な序列社会である。
シュラには、決して逆らってはいけない人間が三人いる。
デスマスクに言わせると五人らしい。
こっちの方が二人少ない、と思いながらシュラは顔を上げた。
教皇の間には、今その三人が揃っていた。
玉座に座す仮面の教皇。
一段下がり、左右に立つジェミニとサジタリウス。
先輩の黄金聖闘士二人は、今日は助けてくれないだろう。
アイオロスが言う。
「それで、おまえたちは何をやっていたんだ」
シュラは隣のデスマスクと一瞬目を合わせ、
「遊んでいただけです」
短く答えた。
サガは形の良い眉を顰めながら聞いた。
「では、どうして人馬宮を破壊するような喧嘩になった」
「それはデスが」
「それはシュラが」
「最後にテレポート使って人の後ろに隠れてたんだ! 絶対卑怯だ!」
「いきなり全部の柱を切ったんだ! あんなの絶対反則だ!」
「「絶対、おまえのほうがずるい!!」」
再び喧嘩を始めそうな二人を眺め、教皇は徐に口を開いた。
「遊びで十二宮の一つを破壊したのか」
その声の冷たい響きに、二人は押し黙った。
「シュラ」
「……はい」
「キャンサーの位置が分からなかったのは、おまえの力量が足らなかったということ。
そしてまだ己の小宇宙を完全に制御しきれず、その力に振り回されている。
にも拘らず力を解放させたのは、将来カプリコーンを賜る者として、迂闊」
言い返す言葉もなく、シュラは項垂れた。
デスマスクは目を見開いて隣の悪友を見た。
それから首を回し、教皇を見る。
「でもシュラは」
教皇は構わず続けた。
「しかしこの聖域は、おまえたちには少し狭いのも事実。よって特別に、相応しい場所に行かせてやろう。
そうだな、宝探しでもしてもらおうか」
「宝探し?」
思わず聞き返すデスマスクと、同じく不思議そうなシュラの顔を眺め、教皇は笑った。
「なに、簡単な遊びだ……」


























シュラはぶるりと頭を一つ振って、砂を落とした。
天には太陽、地には熱風。
一片の曇りも許してくれない青空と、砂と岩。
気温は人間の体温を超えていた。

 『黄金聖闘士は地上を守るためにある存在。
  ならば人類の辿ってきた歴史に思いを馳せ、深く理解せねばならないだろう。
  この機会に人類の歴史を肌で学んでくるが良い』

そう言って行かされたのは、シルクロードの難所 "タクラマカン砂漠"
"生きては戻れない場所"という意味を持つ、不毛の地で、
シュラは、あるものを探すよう言い付けられた。

 『これは勅命と思え。見つけ出すまで聖域への帰還はまかりならん』

そしてもう五日間、砂漠の奥を彷徨っている。
遮るもののない陽光が炎のように大地を炙り、地表の温度が70℃を超える灼熱世界は、
人間が生きるにはあまりに過酷だ。
ましてやっと六つになった子供など、簡単に飲みこまれてしまう。
が、シュラには問題でない。
まだ聖衣こそ賜っていないが、現在地球上にいる全聖闘士と比較しても、
破壊力なら上から数えた方が遥かに早いのだ。
その小宇宙を穏やかに燃やし続けるだけで、全く支障なく活動できる。
けれど、とシュラは思う。
ラクダの上から砂の平原を眺める。
果てしなく続くのは、無人の世界。
誰もいない。
何もない。
シュラは隣に顔を向けた。
「どこまで来た」
「……うん?」
一拍遅れて返事が来る。
砂漠の民の子供はぼんやりしていたらしい。
そんな格好をしていても、中身はシュラと連座して聖域から放り出された悪友なのだが。
裾の長い衣装をもそもそさせて地図を取り出す。
小宇宙を使えばシュラのように裸眼に半袖でも平気なのだが、聞いてみると、
そういう風なのは苦手だという。
おまえこそ修行しろとシュラは思った。
これで自分より早く聖衣を賜っているのだから、理不尽だ。
シュラが受け取った地図は、教皇自ら、
『やはり宝探しに地図はつきものであろう』 と2分で描いた、ある意味有難いもので、
主要都市と間の道路を繋いだだけの素晴らしく簡単なものだった。
真ん中の大きな空白に"タクラマカン砂漠"と書かれ、その右下に、"のどこか"と続いている。
どこかってどこだ。
「今はだいたい、"どこか"の、"こ"のあたり」
「どうして分かるんだ?」
「地図がそんなだから適当に言った」
「適当なこと言うな」
「だって東経84度北緯39度って言ってもどこか分かんないだろ?」
「分からない」
「だから、"こ"のあたり」
「ふぅん」
シュラは役に立たない宝の地図から顔を上げた。
目の前に広がるものはここ数日まったく代わり映えがない。
一面の砂丘。
頂できらきらと白い光が舞い上がり、青空に溶ける。

本当のことを言えば、今どこにいるのかなんてどうでもいいのだ。
何を探せば良いのか、その目的も知らされていないのだから。

 『見れば分かる』

実に分かりやすい教皇様のお言葉。
いったい何をどう見てそれと判断すれば良いのか、一切説明なし。
分かりやすく、流刑だ。
そう考えるなら何て相応しい場所だろう、ここは。
道連れがいて、たぶん良かった。
一人なら退屈すぎた。


「なあ」
「うん」
「何探してるんだと思う」
「……おまえさあ、普通今になってから聞くかぁ?」

表情は分からないけれど、きっと笑ってる。

「ラクダ買ってすぐに砂漠の奥へずんずん入ってくから、シュラは何か知ってると思った」
「いや」
「うん、一日経ったあたりで、これは違うと思った」
「どこに行っても同じだと思ったんだ。どうせ何も分からないんだから」
「これだからシュラくんは……」

砂丘が陽炎に揺れた。
人差し指が頭を指した。

「きっと、気違いだと思われた」
「なんで」
「ホラ、あの人。ラクダ売ってくれた人が妙な顔してたろ? あれ」
「あれは子供二人だから」
「子供二人でこんな奥まで行こうとするからさ」
「でもシルクロードって道なんだろ」
「そうだけど、違うよ。
砂漠の中にあるオアシス都市を辿りながら行くのがシルクロード。そこを外れたらもう道じゃない。
だから、ここはただの砂漠のど真ん中。俺たちみたいなガキが入りこむ場所じゃない」
「ふぅん」

砂煙が地平線をけぶらせる。
その先にも何もない。

「でも、たぶんシュラの言うとおりだ」
「何が」
「どうせ何探してるか分からないから、どこに行っても同じだ。
それに教皇は『見れば分かる』って言ったけど、あの人がまともな場所を選ぶなんて、きっとない。
こういうさ、死ぬしかないようなトコの方が可能性あると思う」
「死なないだろ、別に」
「シュラよりラクダを心配してんの、俺は。
どれくらい餌なしで生きるのか知らないけれど、やっぱり早めの方がいいんだろ」

風が砂を洗って、野晒しの白。

「……ホントさあ、シュラはここに何があるんだと思う?」
「分からない」
「じゃあさ、何があったら楽しい?」
「考えてみたことがない」
「前にさ、ロスが勅命で砂漠に行ったとき、ダチョウを見たんだって。
大きいのと小さいのがみんな一斉に走り出すのがすごかったって言ってた。
だから俺ちょっと楽しみにしてたのに、ここにはいないんだって直前に聞かされたんだ」
「いないのか」
「もうアフリカにしかいないんだってさ。見たかったな、ダチョウの大群」
「見たい」
「な」
「探す」
「いないって」
「いるかもしれないだろ。ダチョウなら『見れば分かる』」
「ああ、そうか……うん、そうだなあ。意表をついてアリかもしれないな、それ」
「いればいい」
「うん、いたらいいなあ」

そう言った上半身がぐらりと傾いだ。
ラクダから滑り落ちようとする身体をシュラの腕が掴まえる。
「何してるんだ」
返事がない。
ぐったりした身体を引き上げると、表から唯一見える目が茫としていた。
「まさかおまえ、死にそうか」
「……不吉なこと言うな」
シュラは辺りを見回した。
日陰になりそうな岩場が砂丘の向こうにあった。
しかし、あれは果たして近いのか、遠いのか。
単調な景色のせいで距離感がまるで掴めない。
「あ」
日が傾く。
夜が来る。
冷たい暗闇が降りてくる。

夜が来る。





















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