それは水曜日。

教皇宮の奥、甘く誘う魔宮薔薇に守られた、秘めやかな私宮。
許しなく立ち入れば、一つの例外なく極刑に処せられる。
その一室で行われるのは、聖域でも最高の権威と権力を有する会議である。
聖域の要であり、人類社会の守り手である、教皇。
神の僕として、慈悲と救済を、そして死と恐怖を振り撒く、黄金聖闘士。

そんな四人が週に一度集まって
茶飲み話をする日……。




「やはり私も会ってみようと思う」
サガは、開いていた書物からふと顔を上げ、呟いた。
聖域の連綿たる歴史の中でも、際立って特異な存在である当代の教皇。
彼の言葉に、
「質問」
教皇の典雅な私室に並べられた、味気ない事務机。
そこに座る一人がひらひらと手を上げた。
ついでに組んだ両足も机に上がっていた。
「聖闘士になれるかどうかもまだ分からないガキに、何でわざわざ教皇様が?」
くいと小首を傾げ、デスマスクは生意気な顔をした。
その後ろ頭を、
「足」
声と同時に殴られる。
ぎゃんッ、とわめく眼前に、アフロディーテは白磁のカップを差し出した。
「お茶にしよう」
美神の如き人の振舞はあくまでも優美で、
一瞬前に同僚の後頭部へ拳をめりこませたとは思えなかった。
否、その瞬間すらやはり美しかったのだろう。
アフロディーテはデスマスクの隣に声をかけた。
「シュラ」
返事はない。
無言の同輩は一心に机の上を見据えていた。
歪曲した青い小片が散らばっている。
不思議な形をしたそのピースは、全て組み上げると地球儀になるというが、
彼の前に置かれたものは、まだ四分の一程度だった。
長い指が持ち上がり、つっと僅かに動く。
アフロディーテは机の端にカップを置いた。

彼等、まだ二十歳に満たない黄金聖闘士と、寄る辺無き異端の教皇こそ、
神のいない聖域で、世界秩序の漣を眺める四人だった。


頭をさするデスマスクが話を元に戻す。
「あいつ、修行始めた頃と比べたら、そりゃあ体力もついて死にかけることも減ったけど、
それだけだ。極めて普通。特に見るべきところはない。
あいつがこれからコーマの器に育つかどうか、俺はまだ判断できてない。
そんなガキに、今会うの?」

シチリア、エトナ山の地下に眠る太古の荒ぶる神。
その魂を封印しているのは、黄金、白銀、青銅、どの位階にも属さぬ特別な聖衣、コーマ。
二年前、デスマスクは一人の少年を預けられた。
少年を加護する星座は、コーマだった。

「俺は、時間の無駄だと思う」
その声はどこか不服そうで、珍しいとサガは思った。
普段のデスマスクが自己主張をしないということではない。寧ろ逆だ。
しかし、今は何か違和感がある。
薄い色をした瞳は、微妙にサガの視線をはぐらかし、言葉を続ける。
「御忙しい教皇様がわざわざ時間を割かれることではありませんよ。な、アフロくん?」
急に話を振られたアフロディーテは、あからさまに迷惑そうな顔をしたが、
「……今の時点で、これから半年は忙殺されると見込まれていますね」
「ね」
かわいくないよ、と呟く声に、にっと笑って、
「だから、このことはもう暫く俺に任せておけばいーんだよ」
デスマスクは初めて正面からサガを見た。
しかしその紺碧の双眸と、長く向き合うことはなかった。


視線を逸らした横顔を、サガは眺める。
やはり不思議だった。
サガが、コーマの聖闘士候補を見ておこうとするのは、それなりの理由があり、
彼もその点は理解しているはずだった。

コーマは、伝説に近い。
この聖衣は古い文献の中にだけ記述が見られ、その存在を知る者も殆どない。
もっとも、文献には聖衣が神代に生まれたと記されてあるだけで、
それを纏った人間に関しては、記録すらない。
コーマの加護を持つ人間が現れたという、星見の記録もない。
実存すら疑問であり、聖域の連綿たる歴史の中で忘れられた聖衣だった。

しかし、コーマは今も確かにエトナの奥、古の暴神と共に在る。
そして、星なき星座に祝福された少年が、聖闘士になるため聖域に現れた。
その意味するところは。

「デス」
サガに言われ、デスマスクの視線がゆっくりと戻る。
「エトナの様子は」
「元気にしてる。退屈で仕様がないんだろ」
「やはり目覚めるか」
「確実にね」

さらりと言って笑うデスマスクは、十年前、エトナ山の地下で封じられたはずの神に会った。
封印はその頃から綻び始めていた。
神を縛り、共に眠るコーマ。
永劫の夢が破れ、再び時が動き出す日、災厄は地上に解き放たれる。

「ま、封印が解けたとしても、力がすぐに戻ることはないと思うけどねえ。
うんざりするぐらい昔から封印されてたわけだし。
相当腹ペコみたい。会うといっつもそんな話してる」

封印の解ける日は確実に近づいている。
だからこそ、コーマの聖闘士となるべき加護を授かった少年が現れたのかもしれない。
サガは、少年の持つ可能性を自分の目で確かめたかった。

「怖いねぇガツガツしてて。独り言多いし。神様ってあんなもんなのかな」
「デス」
「うん?」
「やはり私もその子に会うよ」

デスマスクは、表情を変えなかった。
熱のない色をした目を僅かに細め、黙って頷く。
一度了承すればそれを翻すことはない。
しかし、何か。
サガの心に残るものがある。
だから、やはり確かめてみることにした。
「……こちらへ来なさい」
だが、怪訝そうな顔をし、動かない。
「デス?」
「……えー、何スか……」
渋々立ち上がったデスマスクは、サガの机に近づいた。
居心地悪そうに視線を落とす彼を、サガは鷹揚に見上げる。
「名前は何と言ったかな」
薄い色の瞳がゆるく瞬きした。
「メイ」
「幾つになった」
「……11」
「そうか。元気にしているようだな」
「それは、まあ、それだけは」
「おまえは優しい顔をする」
「は?」

どこかでパキリと軽い音がした。

「その子の話をする時、おまえは少し優しい顔をする。
だから私も会ってみたいと思ったんだ」
それはほんの微かな変化。
眼差しや物言いの小さな仕草にある、見過ごしてしまいそうな温かさ。
デスマスクは答えず、ただ唇の端を曲げ、ぐっと胸を反らした。
にこりとサガは微笑む。
「おまえの言うとおり、私に時間はあまりない。だから今日にしよう」
小さな溜息が一つ。
「別にいいけどさぁ……」
デスマスクは疲れたように首を巡らし、それから真っ直ぐにサガを見据えた。
逸らさない眼差しに、柔らかな鋭さがあった。
「俺はあいつに、サガのことを何て言えばいいの」

教皇は、神の代行者。
聖域を空け、聖闘士でもない子供一人に会ったなど前例がない。
ジェミニのサガは失踪し、未だ行方知れず。
どちらの存在も、軽々しく口にすることはできない。

デスマスクは、その少年をどこまで深く自分達に関わらせるのか、聞いているのだ。

「そうだな……」
サガは静かに目を伏せる。
不服そうだった彼が何を案じていたのか、既に理解していた。
それは、全てサガ自身に起因する問題だった。

サガは顔を上げ、デスマスクを見た。
見上げたその瞳は、諦念に良く似た色をしていた。
サガは安心させるように微笑んだ。

「私のことはパパと呼びなさい」

かつて、神の如きと称えられた、その慈悲深さに、
忠誠を誓った黄金聖闘士二名は異口同音の一言。

「それって天然?」



終始無言だったシュラは、思わず割れたピースを、悲しげな目で見下ろしていた。




















08 ねぇ君のそれは天然?
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パパ=ローマ法王の愛称。
まんまじゃねーか! つかカトリックかよッ? と蟹はツッコミたいらしい。
実際、蟹の機嫌が悪いのは単なる反抗期で、
パズルのピースが割れたのはサガの言霊に耐えられなかったから。とかでもいい気がしてきた。
や、そうなんじゃね?

地球儀のパズルは本当にあります。
欲しい。

蛇足おまけはこちら




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