『solid spiral 3』
そこにただ座りこんでいた。
くすんだ雲から細い雨が降ってくる。
灰色のアスファルトにぽつりぽつりと雨が染みこんでいく。
少しずつ夕闇が近づいてきたようで、煙草の自販機の明りが仄白い。
その傍に土屋はただ座り込んでいた。
白糸のような雨がその顔を軽く撫でていく。
唇が切れて赤い血の跡がまだ残っていた。
土屋は雨にも気付かずに、ただじっとアスファルトを睨む。
奥歯からしみだしてくる血が酷く苛つかせた。
思うんだけれど、
たぶん親ってものはソイツの子供とちっとも関わりが無いんじゃないか。
たまたまソイツの胎から生まれてきただけで、別に産んでくれとこっちが頼んだわけじゃない。
頼まれもしないのに産んでおいて、いちいち人に関わってくる。
アンタ何様?
たとえば子供が教師殴ったとかで、学校から呼び出しくらうアンタ。
なんで行くの?
そのガキとアンタに何の関係があんの?
長々教師の嫌味聞いてるアンタ。ただ謝るだけだ、アンタ。
『私の育て方が悪かったんです』
そう言うくせに、自分はこんなに頑張ってるなんて顔すんなよ。
うぜぇな。
アンタが育てた?うそだろ。
そんな憶えねーよ。
アンタには、14になるまでメシ食わせていただきました。
ハイ、ありがとーございます。
けど、そんだけだ。
たかがそれぐらいで、俺のしたこと何でも全部あんたの責任にすんなよ。
自惚れんなよ。
俺がどんな奴になろうがアンタにはちっとも関係ねーよ。
偶然アンタの胎から産まれただけの奴だろ。
それがなんなの。
いやホント。
ちっともわかんねーよ。
口の中に広がっている血の味がいつまでたっても消えない。
酷く苛立つ。
誰かに喧嘩を売ったところでこのムカツキは消えなかった。
消えないどころか凝り固まって身体の奥に沈んでいく。
家に帰るコトを考えると億劫になった。
アンタの顔なんざ見たくもない。
ついでにクソ親父の顔もうざいから見たくない。
君がなんでそんなコトするのか、私は何もかも理解してますみたいな顔。
ホント阿呆くさい。
マジで止めて。
こっちはジジイなんざ殴っても面白くねーんだよ。
家庭内暴力?
起こして欲しいんならやっちゃうよ?
たまにバレて表に出てくる、その被害者ぶった顔が嫌い。
けどまぁ、相賀んちみたいに殴られまるくのも勘弁。
土屋は煙草を吸おうとして、もう無い事に気付き舌打ちする。
切れた唇に柔らかな雨が触れ、天を仰ぐ。
くすんだ空すら、ささくれた神経を苛立たせるのに充分だった。
「……バーカ」
くすくす笑う声に、土屋はそちらに視線をやった。
ガキが二人、歩いてくる。
“ガキ”と言っても土屋と同じ中学生だろうけど。
妙に目をひく二人連れだった。
けれど知らない顔だったので、一瞥して土屋はまたアスファルトを睨んだ。
同じ学校の奴だったら、うざいと思ったかもしれない。
自販機の傍に座りこんだままの土屋の前をそいつらは通り過ぎていく。
笑い声が遠ざかっていく。
土屋は顔を上げなかった。
「あ、ちっと待って。煙草買うから」
すぐに一人が戻ってきて土屋の傍に立つ。
自販機に金を入れる音がした。
土屋は思わず顔を上げかける。
自販機からはいつまでたっても煙草が下に落ちてくる音がしなかった。
「……あれ」
何故ならその自販機は壊れているから。
土屋はそれを知っていた。
さっきの自分もそいつと同じ事をして、しかも同じ台詞を言ったから。
土屋が苛立っていたのは煙草が吸えなかったせいもある。
「…何コレ。すげぇムカツク」
ガツン。
低く短い音が響く。
そいつが自販機を蹴った音だ。
土屋はその行為が無意味な事も知っていた。
やっぱり自分もやったから。
そいつの舌打ちと、何度か自販機を軽く蹴る音が響く。
土屋は顔を上げないまま言った。
「うるせぇな。ソレ壊れてんだよ。そんなもん蹴って煙草出てくんなら、
俺はさっさと一服してるっつーの」
少し間を置いて、面白くもなさそうなそいつの声。
「……ふぅん。おまえも同じコトしたんだろ」
土屋は顔をしかめて肯定する。
細い雨がアスファルト目掛けて墜落していく中、
さして大きくも無いくせにそいつの声は不思議とはっきり耳に届く。
「じゃ、もう一回だけ蹴らせろよ。ムカツクから」
次の瞬間、間近で音が炸裂した。
極低い破裂音は鼓膜を散々に震わせ、自販機が一度大きく揺れたことを土屋に気付かせないほどだった。
「危ねぇだろッ」
土屋の叫びに被さって、金属が噛み合うような音が響く。
すると煙草が一つ下に落ちてきた。
「あ」
とさとさとさと、その上に軽い音を立てて次々と煙草が落ちてくる。
「…ん?」
煙草は小山を作ってもまだ落ちてくるのを止めずに終いには自販機の中を溢れさせた。
一瞬、完璧な静寂。
そいつは小さく呆れた声を上げる。
「どーすんだよ、コレ……」
自分がやっておきながら、妙に気の抜けたその声に土屋は思わず笑う。
「ま、いいや」
顔を上げた土屋が見たのは、向こうをむいたそいつの白い項だった。
「時貞!笑ってんじゃねーよ。おまえ、何吸うんだっけ?」
面白がっている声が答えを返してくる。
それを聞き、そいつは自販機の中に手をつっこんで目当ての煙草を引き出そうとする。
中では全種類の煙草が溢れ返ってるので、そいつの腕は苦労しているみたいだった。
長めの前髪が俯き加減の表情を隠していたけれど。
「どーせなら、全部持っていっちまえば」
笑いながら土屋が言うと、そいつはあっさり切り捨てる。
「めんどくせー」
ようやく腕を抜き、そいつは身体を起こそうとする。
その時、土屋の目の前に煙草が一つ出された。
「ほら」
反射的にそれを受け取ろうとした時、その手許に視線を奪われる。
白い指先と赤い袖。
この赤は、こびりついた血だ。
一瞬、何かよく分からない感覚が背筋を駆け上がった。
だんだんと夕闇が迫ってくる世界。
鮮明な赤。
そこから伸びる、淡い光を放つような指。
煙草がその指を離れ、土屋の手の中に落ちてくる、
ほんの刹那。
その映像が網膜を焼き付かせるのに充分な時間だった。
気付けば、そいつはもういなかった。
立ち上がってその姿を探しても無駄だった。
考えてみれば、マトモに顔すら見ていないんだから探そうって方が無理。
ただ憶えてるのは、血塗れの袖。指先の白さ。
土屋は手の中の煙草に視線を落す。
臙脂色のそれは普段吸っている奴じゃなかった。
白糸のような雨がその上にも降り注がれる。
一本銜えて、土屋はぶらりと歩き出した。
憂鬱はとっくに消えていた。
微睡みの中、柔らかな雨の夢を見た。
玄関の開く音に、土屋はふと目を開ける。
随分とぼんやりしていたようで、手の中のビールを口に運ぶとぬるかった。
酔ったかもしれない。
土屋の部屋に戻ってきた相賀は不貞腐れた声を上げる。
「……なんかソコの角にある自販機、壊れてる。結局コンビニまで歩いた」
そう言って土屋に渡したビニル袋の中には煙草以外のものもゴチャゴチャと入っている。
相賀はふと小首を傾げた。
「緋咲さんは?」
「…途中で会わなかったのか?煙草無くなったとか言ってさっき出てった」
相賀は首を横に振る。
その時、また玄関で音がした。そちらを向いた相賀がにこっと笑う。
「緋咲さん」
曖昧な返事と共に紫煙が漂う。
「緋咲さんも結局コンビニまで行ったんですか?そしたら俺もう少し待ってればよかったな…」
部屋の中まで来た緋咲は煙草を指で挟むと、柳眉をひそめた。
「なんで俺がコンビニ行くんだ」
「だってそこの自販機使えなかったでしょ?」
「……・あぁ、アレか」
土屋はじっと緋咲を見た。
酷薄な唇が吊り上り、微笑を浮かべる。
「蹴ったら使えた」
事も無げに言う緋咲の、煙草を挟んだ指は白かった。
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臙脂の煙草ってのは赤ラークのイメージです。煙草っぽい煙草ってことで…
……あ、商標出したらまずいんですかね。
だらだら書いていきました、solid spiral 次で終わりにします。
WORKSに帰るゼ!ちくしょうめ