『3. 虹の脚 』





暗いんだ、全く。
一人きりで俺は立っている。
そしてこの孤独を考える。
今この場、俺が立つこの場所がこんなに暗いのは何故だ。


( わたくしのこんなさびしい考は
 みんなよるのためにできるのだ
 夜があけて海岸へかかるなら
 そして波がきらきら光るなら
 なにもかもみんないいのかもしれない ) *1

暗がりを、あの無数の羽ばたきが揺さぶっている。
どこか遥かに繰り返される彼の詩。
俺には確かに耳がついてるし
暗がりの中で大地を踏んで立つ脚もある。
さっきから頭の上にあるあの星ばかり見上げているが、きちんと目だって付いている。
けれどこの緋い瞳は奇形の証だ。
俺は一介の殺戮者だ。
父と母を殺し、懐かしいあの街を瓦礫にしたものの血は
確かに俺の中に混じって今も四肢を駆け巡り
この身に浴びせられる蔑みや哀れみを俺は空気のように噛み千切る。


( いまわたくしがそれを夢でないと考へて
 あたらしくぎくっとしなければならないほどの
 あんまりひどいげんじつなのだ ) *1

俺は世界を呪う。
目に映る全て、俺に関わる一切。
俺を俺として成り立たせているもの全てを壊してしまえば
この目に映るものが何もかも無くなってしまえば、この痛みは無くなるだろう。
あるいは諦めて、目を潰してしまえ。
本当は痛いのも苦しいのも全く好きじゃないんだ。
けれど、苦痛から逃れるために俺が捨てなければならないものは
やはり俺が一番捨てたくないものだ。
だから俺は憎んでいる。
何度も何度も何度でも。
そうして立つこの暗がりの中、どうやら俺はもちそうもない。
震えやすいこの魂は一体何なんだ。


( 感ずることのあまりに新鮮にすぎるとき
 それをがいねん化することは
 きちがひにならないための
 生物体の一つの自衛作用だけれども ) *1

憎み続けながら、俺は確かに怯えている。
暗がりの寂しさに、子供のように泣いてしまいそうだ。
全く震えやすいこの魂が厄介で、もう俺はもちそうもないじゃないか。
そうしたら俺はどうなるのか。
もたなくなってしまえば、多分俺は。
それを考えるのが恐ろしい。
耳の奥がごうごうと鳴っている。
身体の中を黒い川が流れていくようだ。
怖い。
だから、俺はもう行くしかないんだ。
目を開いて、彼が詩の中で絶叫し続けたそれを、見なければならない。
そうでなければ、俺はこの暗い所から出れないんだろう。


それにしたって、ここは暗すぎるじゃないか。
いつから俺は一人でこんな所に立っているんだ。
あんまりあの赤い星を見上げていたせいか、目が良く見えやしない。
それでもこの場所に誰もいないことぐらい分かるんだ。
一体俺はいつまでこんな暗い所にいるんだろう。



















あるいは。
そこに時貞はいなかったのかもしれない。
薄い霧
吹き抜ける風
轢かれて死んだ鼬
知らぬ間に消えた虹の脚
そんなものだったのかもしれない。
そうでなければ。
それら流転する万象の一つですらなく
流転さえもせず、澱のように凝ってしまった
曖昧な、酷く朦朧とした、影のようなものでしかなかったのかもしれない。
が、唐突に時貞は覚醒した。
緋い眼球に途切れなく流れ込む外側の世界をようやく認識し、
足は踏みしめた大地を感じ、頬は緩く吹き抜けていく風を知った。
日の暮れた公園。
薄らぼんやりとした夜気が遠雷のようなものに震えていた。
彼の傍らに一台の単車ある。
極低音の唸りを上げるそれが、地に伏せた獣が走りだそうとするような獰猛な歓喜を歌っているようで
彼はそっと声に出して呟いた。
するとそのFXに跨っていた彼の友人は、持っていた携帯の画面から視線を上げ、
まだ機嫌が悪い、と面白くも無さそうに答えた。
「昼間おまえに転されたせいだろ」
「……そうだったかな」
FXが低く唸る。
やはり時貞の耳には嬉しそうに聞こえた。
それは自分のあるべき姿を知っているものが持つ純粋な喜びなんだろう。
大体、機嫌が良い時でも不機嫌な声をしてみせるのはその単車の主人も同じで、
全く気儘なんだ。
「うるせぇよ」
彼の素直な評に、友人はそう言って笑った。
だから彼も笑った。
ほんの少し、何かが薄れたような気がした。
「緋咲」
「ん」
「もう行くのか」
緋咲は長い指で唇から煙草を摘むと、細く紫煙を吐き出した。
微かに甘い匂いがした。
「……煙草、くれ」
時貞は一本貰って緋咲のそれに押付けた。
紫煙を吐きながら視線を降ろす。
公園の入口に一つきりの照明灯は頼りなく、薄ら青い光が霧の中で揺れている。
緋咲の冷たい色をした眼球に、それは透き通った影を落していた。
緋咲は暫く黙って時貞を見上げ、それから不思議そうに小首を傾げ
「おまえ、今一人なのか」
良く通る声でそう言った。
「……んー?何が」
時貞は紫煙を吐きながら唇の端を吊り上げた。
舌の上にあった微かな苦味は緩やかに消えていく。
彼の古い友人は全く勘の良い生き物で、いつも理屈を必要とせずに一番深いものを言い当てては
彼を困らせる。
そんな時、時貞は笑ってしまう。
しかしそれを見上げる彼の友人はやはり不思議そうな顔をした。
「ヒロシとキヨシは?」
「……どうして」
「おまえの兄弟なんだろ」
時貞は今度こそ声を上げて笑い、それから小さな溜息をついた。
唇に浮かんだ微笑は、優しい。
「そうだよ」
緋咲は面白くも無さそうな声を返す。
「どうしておまえの兄弟は鬱陶しい奴ばっかりなんだろうな……。おい、アービィ、ルーファス!
おまえらの事言ってんだからな」
そう言って単車の真ん前に座りこんでいた二匹に声を掛けた。
「エンジン掛けてんだからタイヤの前に出てんなよ。危ねぇだろ。退いてろバカ」
二匹は巨躯を起こしてそこから退いたが、構ってもらえるのが嬉しいらしく
今度は鼻先を緋咲に寄せてくる。
「だから危ねぇって言ってんだろうが……」
緋咲は眉根を寄せて不機嫌な顔をすると、それでも持っていた煙草を石畳の上に投げ捨て
二匹の頭を撫でてやった。
「だいたい」
言いながら緋咲は益々不機嫌な顔をする。
「あの二人だ。何だあれ。ゴリラか。森へ返せ。戻してやれ。
キヨシなんか車のドア引き千切ってたぞ。バカだな、あいつら」
時貞はその光景を易々と想像でき、思わず笑ってしまった。
「キヨシかぁ……キヨシならやるな。前は標識引っこ抜いてたし」
「ホント、バカだな」
悪態をつく当の本人も最後には笑っている。
そうすると大分表情が変わって、新しい玩具を見つけた子供のようだ。
が、それを指摘されるとまた不機嫌になることを時貞は知っていたから、何も言わなかった。
「だから」
不意に切れ長の瞳がきゅうと細められ、剣呑な光が煌く。
「次はこっちから行ってやるよ……そう言っとけ」
時貞はその顔をじっと眺め、それから緋咲の左拳に視線を降ろした。
厚い包帯の下にあるのは白い骨ではなく、もっと冷たいものだ。
それを緋咲は動かそうとしない。
動かないのかもしれない。
まさかそれであの二人を、
天衣無縫天真爛漫な逸脱存在二人組を相手にしたいわけではないだろうけれど。
「……あいつらは」
言い掛けた時貞はふと口を噤む。
それからほんの少しだけ微笑んで続けた。
「俺の兄弟、殴られるとホント痛ぇよ?」
「バーカ。俺の方が強ぇよ」
せせら笑うように言い切る緋咲の
冬の湖のような瞳の底で煌く光は強く、鋭く。けれどやはりどこか楽しげで。
時貞はまた笑った。



頭の上にある一つきりの照明灯、薄ら青い光の中を霧が急いたように流れていく。
この明かりは随分と寂しげだ。
下にいる人間の表情にまで青白い影を落す。
「ん……」
一度、何か言いたそうにした緋咲は、結局少しだけ笑って
「ま、いいや……またな」
短い別れを告げた。
睫毛の長い影がその瞳を揺らめかせた。
時貞が頷くのと同時に緋咲のFXは走り出している。
夜気の中、高らかに吼え立てながら次第に遠ざかっていくその音を
時貞はぼんやりと聞いていた。
別れの声が脳裏を遠く掠めていく。
ふと後を振り返った。
日の落ちた公園の小さな丘の影が黒々と横たわっている。
緩い風が吹き抜けて、草をざわざわと揺さぶった。
時貞は息を飲んだ。
月は無い。
星も無い。
あるのは、びかびかと恐ろしげに光る草だ。
露を孕んだせいなのか、それ自体が月影のように燐光を放ち、風に揺られてざわざわと。
まるで無数の羽ばたきだ。
時貞は瞳を閉じ、深く紫煙を吸いこむ。
それを、そのようにさせているものが、恐ろしかった。







また一人だ。
この暗がりに一人ぼっちでいる寂しさに、いい加減俺は気がふれそうだ。
違う空の下を歩くおまえはきっと、この暗がりを見ることは無いだろう。
けれどもしもおまえが。
あるいはおまえは勘の良い生き物だから、こんな寂しい暗がりに立つことがあるんだろうか。
そうしたら、俺はやはり気がふれてしまう。


( みんなのほんたうの幸福を求めてなら
 私たちはこのまゝこのまっくらな
 海に封ぜられても悔いてはいけない。) *2

いや、俺はそんなに優しくない。
けれどあの時。
おまえが俺の兄弟だと言ったあの二人を、あの新しい友達を
本気で傷つけてもいいと思ったことは
おまえには言わない。
俺はまた一人で暗がりに立ち、蠍の赤い星を真っ直ぐに見上げている。


( すべてあるがごとくにあり
 かゞやくごとくにかがやくもの
 おまへの武器やあらゆるものは
 おまへにくらくおそろしく
 まことはたのしくあかるいのだ ) *1

もしも、それを信じていいのなら。
誰かが
もしかしたら、あの頼りなさそうなくせに必死な、優しい兄弟が
それを信じることを許してくれたなら。
万象に跪き、俺は祈る。
その有るべき姿の清らかなことを。

おまえがその下を歩く空にも、蠍の赤い火が見えることを。


( あいつがなくなってからあとのよるひる
 わたくしはただの一どたりと
 あいつだけがいいとこに行けばいいと
 さういのりはしなかったとおもひます ) *1
























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引用文献
*1 宮澤賢治,1970 「青森挽歌」 『宮澤賢治全集第二巻』 筑摩書房
*2 宮澤賢治,1970 「宗谷挽歌」 『宮澤賢治全集第二巻』 筑摩書房
参考文献
伊藤信吉 日高隆夫 恩田逸夫,1971
『日本近代文学体系第36巻 高村光太郎・宮澤賢治集』 角川書店


時間的にこの話は、beside 1の前に来るものとお考えください。

12巻だか13巻で、三鬼龍と拓が揃う場面があるんですけど、
そこで時貞は一回綺麗にブチ切れるわけですが、
その理由ってのが8巻で拓が緋咲を奇跡的にぶっ飛ばしたせいでした。
正直、過保護かよと思いつつ。
小説3巻では時貞は自ら緋咲を単車で転倒させてます。
どうも単に遊びたかっただけのようです。迷惑な話です。
けど、緋咲も別に怒らないんですよね……仲良しだね、君たち。


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<言い訳注意!>
嫌いな方はブラウザ閉じて忘れてください。
お願いします。

青森挽歌と宗谷挽歌は14巻あたりで使われてる気がします。
気になる人はネットで検索していただけたら、この二つの詩はすぐ見れると思いますが。
色々フェアじゃないから言いますけれど。
そもそも、詩を部分的に切り取っていじくり回すのが間違いなんですよ。
一つの詩は全体が揃ってこそ、あるいは他の詩と響き合って意味を練り上げるものであり、
部分的に取り出すのはとても危険なことだと思います。
だからもしやるのなら、
元の詩を昇華させるようなものでないといけないと思うんですよ。
そして、すいません。
僕にはそこまでの覚悟はないです。
僕はただ都合のいい言葉の羅列として扱っただけなんだと思います。

だから、いつか僕がもっと宮沢賢治を読みこんだなら、このSSも形を変えるんだと思います。

あと、参考文献読んでて面白いなって思ったことがあるんですが。
「銀河鉄道の夜」に出てくる蠍の目は赤いんですよ。
「青森挽歌」に出てくるナーガラも赤い目なんです。
ナーガラは蛇らしいんですけどね。
蠍と蛇と時貞くんの目の色が同じってのは、どういうことなんでしょうかね。




長居したんでWORKSに急いで帰る。