『4. 隣で 』





夜が明ける前に雪が降ったらしい。
冷えた廊下を足早に行けば、吐息はふわりと白く漂って
なかなか消えぬままカズの後を流れていく。
向こうまで続いていく廊下の窓、外はどこもかしこも寒々しい。
葉の無い木々の黒い腕が窓を濡らす露で滲んでいた。
カズは窓の向こう側をちらりと見たが、すぐに首を竦めて教室の扉を開ける。
顔に吹きつける温い空気に目を細めて中を見てみると、寒さのせいか人影は疎らで
カズは適当に声をかけながら机の合間を縫って窓まで歩いた。
備え付けのヒーターの上にはジュンジが腰掛けていた。
何か茫としている風に見えたが、近付いてきたのがカズであるのに気付くと
その白く曇った眼鏡を遠慮無く笑った。
ジュンジの笑顔を見るカズの視界は霞んでいる。
役に立たない眼鏡は外して隣に座ると、下になったヒーターが低く唸った。
随分と古いらしいそれは時折焦げ臭い空気を吐いている。
今も二人分の体重を支えているから機嫌悪そうだ。
ごく低い振動音が温い空気を小さく揺らして広がっていく。
眼鏡を掛けないままカズは教室をぐるりを見回した。
何を見ようとしたわけでもないけれど。
見えぬ目に、人影は輪郭を全てこの温い空気の中へ溶かし、ただ薄らぼやけた明るさがある。
丁度あの冬空の光のようだ。
カズはふと視線を戻した。
ヒーターの上に置いてあるジュンジの右手が見えた。
傍にあるそれは少し形の悪い小指の爪まではっきり見えた。
ジュンジが言うので、カズは自分の眼鏡をその手に渡した。
ジュンジの右手はとうに曇りの無くなった眼鏡を自分の目線まで持ち上げる。
レンズの向こう、眩暈をもたらす世界を覗き見て少し顔を顰め
そしてまたその目には、おそらく別の理由で揺らぎが差す。
やはりどこか茫としているジュンジの横顔をカズは黙って眺めていた。
思いつくのは、いつかジュンジを後に乗せていたCBXで。
そいつはたぶん、ジュンジの友達なんだろう。
あの時ジュンジは何も言わなかったけれど。
そしてきっと、今でも何も言わないつもりなんだろう。
ジュンジは慎重だ。
とりあえず動いてみた後で考えるリョーとは違い、自分がどう動くべきか見定めてから行動する。
それは臆病からは程遠く、寧ろ強かだ。
そのジュンジが何も言わないという事は、今はそれを言葉にすべき時でないのか
言うべき言葉が出て来ないのかだ。
カズはどちらが本当なのか分からない。
どちらも本当かもしれないし、もしかしたらどちらも違うのかもしれない。
だから、カズもあまり言葉を持っていなかったけれど
それでも口を開いた。
「なあ」
薄ら明るく溶けている教室の中、ジュンジの横顔は明瞭な線を描く。
それがカズに視線を寄越した。
「ん」
「なんかさ、最近テンパってません?ジュンジくんてば」
「……んな事はありませんよ、カズさん?」
「いやー、なんつーかね、ちっと空気重いよ」
「重いか?」
「少し」
カズは言葉を切る。
ジュンジは何も言わず手の中の眼鏡を弄ぶ。
振動が温い空気を低く掻き回す。
背中で窓硝子が外の寒さに震えて透明な露を垂れ流した。
「何かあったの」
「何か、つーか……ただ、ちっとどうしようかなって思ってただけ」
「ふぅん」
「ややこしい事俺に言ってきた奴がいるから」
「あ、難しい話は無しな。俺頭悪ぃし、出来るだけ簡単な話でよろしく」
「おまえも頭悪くて俺も頭悪かったらどーすんだよ」
「ま、いいからさ。どーしたのよ?ジュンちゃん」
「カズは」
「ん」
「仲良い奴と喧嘩してーと思うか」
「思わねぇ」
「そいつと喧嘩出来っか」
「出来ねぇよ、嫌だもん」
「そっか。俺も嫌なんだ」
「普通そうなんじゃねーの」
「でも、どうしても喧嘩しねーと、って時はどうすんだ」
「嫌だよ。だったら俺たぶん負けるし、負ける喧嘩はあんまししたくねーよ?俺」
「それでもやんなきゃならねーなら、どうする」
「だからさー、それが嫌なんだよ。何でそんな話になんの?何そんなに深刻になってんだよ。
あのな、友達と殴りっこするのと比べたら大抵の事はくだらねーぞ?
そんなんで殴られたら痛ぇよ?ホント」
「ん……痛ぇよな」
けど。
ジュンジは視線を降ろして呟く。
「何だよ」
「その、喧嘩する理由ってのが全然くだらねーもんじゃなかったらどうすんだよ。
そいつにしてみたら、必死でどうにかしなきゃならねーもんだったら……どうすんだよ。
……そしたら、俺は」
「嫌だよ、俺はそれでも」
「だから」
「けどしょうがねーから、仕方ねぇなって思いながら殴ってやる。嫌でむかつくから思いっきり殴ってやる。
しょーがねぇけど、そいつが真面目なら付き合ってやらねーと、たぶん怒るだろ?そいつ。
嫌つって逃げてたらさ、そっちの方が怒らせるから。そんなのも結構嫌だろ」
「……そっか」
「……まぁ、でも、どーにかなるんじゃないの」
「何が」
「だからさ、喧嘩してもどーにかなるんじゃねーの?友達なんだし」
ちっと甘いかな。
カズは小声で付け加えた。
ジュンジは首を巡らせて隣に座るカズの横顔をじっと見据えると、小さく頷いた。
甘々だろ。
呟いたジュンジは、それでもいつものように笑っていた。
「けど、それでいいんじゃねーの。カズは」
カズは にっと笑った。
「とか言っててさ、俺も喧嘩好きだからあっさりそいつの喧嘩買うかもな」
「カズはねぇだろー。つーか喧嘩好きだったの?初めて聞いた気がすんだけど」
「いやー、意外と好きだよー?」
あいつらが俺よりずっと喧嘩好きだから、分からねーだろうけど。
そう続けようとしたカズは、自分の眼鏡をかけてこちらを向いたジュンジを見て、
笑い過ぎて声が出なかった。

そこにいつかリョーやミツオもやってきて
いつもどおりの冬の朝。























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なんでいきなり冬かと言うと、特拓は基本的に三学期の話だからです。
……僕はよく忘れますけどね。

カズくんとジュンちゃんでした。この二人、かなり好きです。
ジュンちゃんがちょっと凹んでますけど本当は二人してふざけてる図が好きです、ハイ。
凹んでる理由は勿論那智のせいです。
個人的に那智は怖い人なんで、心の中ではなっちーって呼んでます。
ちょっと怖さが中和されてく気分。
皆さんもどうです?


ところで。
カズくんの眼鏡が伊達かもしれないのは内緒です。
あと、SSの1と3が時間的にちょっと無理なのも秘密です。


さー、WORKSに帰っちゃうぞ。