たいとる : 『身食い鳥の一生』
ながさ :それなりに長い。
どんなお話 :表の顔は大富豪、裏の顔は泣く子も黙るヴィジランテ。 そんな二児の父親が、処女喪失したかの如く衝撃におののいてみた。
『本日は晴天なり。』『本日はお日柄も良く、』の後のお話になります。
ちゅうい :GL/蝙蝠が前提だよ。
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その部屋は、いつも鍵が掛かっている。
アパートの三階、北側の隅。
おとなう者もなく、住人達は空き部屋の一つだと思っている。
労働者向けの集合住宅だったビルは老朽化が進み、
住処など安ければいいという人間でなければ借り手にならない。
その部屋は、いつもブラインドが下りている。
青空の午後も、氷雨の暮も、薄墨のような静寂が漂っている。
簡素なベッドに、テーブルと椅子は一脚ずつ。
最小限の家具はあっても、飾る物はまるでない。
古びた壁や床は虚ろなまま時を経たようで、
生きた人間がこの部屋で暮らした過去など、遥か昔であるような。
その日も、鍵は掛かっていた。
ドアノブに手を触れた者もなかった。
しかし、
テーブルの上には、真っ黒いケープが投げ置かれている。
滑らかに床まで広がるそれは、月のない夜闇の。
傍に転がる、切断された手足のような、ブーツとグローブ。
それらを散らかしっぱなしに。
小さな、薄暗いバスルーム。
卵を縦に半分にしたような浴槽で。
ブルースは、膝を抱えている。
部屋は、彼が別人の名義で借りているものだ。
(建物を含むブロック一帯の権利者を辿っていけば、結局は彼本人になるのだが。)
勿論、住むためでない。
ゴッサムの何箇所かに点在するそれらの部屋は、
必要に駆られた時、身を潜めるための小さな物陰として使われる。
だが、ブルースが今、冷めきった湯の中。
蒼褪めた眉間深く、苛立ちと
憂いを含んでいるのは、
事情が違う。
信じられないような出来事が、彼の身に降り懸かったのだ。
“信じられない出来事”など、バットマンには存在しない。
そもそも、彼は何も信じていない。
森羅万象と、観察者である彼の主観には、冷厳たる境界が横たわり、
その眼に映る世界に真実も虚もない。
が、時としてブルースは。
自分自身に打ちのめされる。
ブルースは昨日、ジャスティスリーグとして行動していた。
渋々、不承不承、仕方なく。
もしもリーグが壊滅し兼ねない事件でなかったら、誰がどう口説き落そうとしても首肯しなかっただろう。
しかし、事件は、解決した。
問題はその後だ。
別にどうということでもないが、ブルースは何度かハルと、セックスしたことがある。
行為自体に意味らしい意味はない。
関係と言えるほどの関係でもない。
見通しの悪い交差点ではその気がなくとも事故が起こるのと、同じだ。
が、GLとのそれをジェイソンに指摘され、養父としての己の責任を突き付けられた時、
ブルースは反省した。
猛省した。
たしかに所謂 “理想的な父親” から程遠いと自覚しているが、
未成年を保護する者として、考えねばならないことがあるのも、承知しているのだ。
せめて、正しくありたいとブルースは願う。
その瞳と向かい合う時、恥ずるところのないように。
にもかかわらず、
何故かまた、ハルと
しかもウォッチタワーで
反省とは真逆のことを してしまった。
我に返った今、そんな自分の浅ましさに、全身の血が逆流する。
心臓が早鐘を打つ。
彼の意志ではない。
沸騰するほど身体が熱い。
それも彼の意志ではない。
どうしてこんなことになるのか、まるで分からない。
あの時、ブルースは、理解していた。
自分が何をすべきか。
そして、何をすべきでないか。
些か気鬱になっていたし、己の情けなさに嫌気が差してもいた。
だが、薬物で錯乱していたわけでなく、意識を乗っ取られてもいなかった。
正気だった。
正気であったはずの自分が、
己を懊悩させる原因を作ったその相手と、
思慮もなく行為に至った。
その矛盾が、信じられない。
たった一人、暗い水の中で子供のように膝を抱き、
ブルースは、ふるえていた。
彼のどこかに、狂いが生じている。
矯正すべき歪みが、発生している。
でなければ、ハルとのそれによって、こんな不可解な状況に追い詰められることなど、有り得ない。
そこには、何も無いはずだ。
偶々、ハルが傍にいたということが、過去に何度があっただけで、
己の何が変わったわけでなく、この先も変わることはない。
他の場合同様、ハルとのそれは、最初から、存在しないに等しい。
では何故、こうも自分は破綻している。
そこに至り、彼の思考は堂々巡りする。
己の内側に見知らぬ何かが潜んでいる。
この瞬間にも、彼の意志と思考は、彼の律するところから乖離しようとする。
そう考えること自体、ブルースには恐怖だった。
彼はただ、その暗闇に、怯えていた。
数発の銃弾が、
両親と一緒に、彼を撃ち殺した。
それ以前の自分を、彼は良く覚えていない。
ただ、小さなその亡骸は、暗い路地裏で今も、淋しい雨に打たれている。
彼と同じ名前の、“ブルース・ウェイン” という男は、最初から存在しない。
その実存を信じる者は、演者としての彼の技量を称賛すべきだ。
“ブルース”の言葉も、声も、舞台上の俳優同様、観客に魅せるために作られている。
彼の微笑は、客の膝の上で踊るストリッパーのそれと、本質的に何ら変わりがない。
喜びや悲しみを、彼が持ち合わせているように見えるなら、
それは正しく、相手の心にそう映るよう、彼が自分の像を操作しているのだ。
父と母の血溜まりから
無明の底へと踏み出して以来
彼には、顔も名前も無い。
ただ吐き気を催す嚇怒だけがある。
“ブルース・ウェイン”は、そんな彼と、全ての他者を隔てるための、仮面に過ぎない。
彼がそれを欲したわけでもない。
亡霊である彼が唯一望み、その血肉と魂を捧げたのは、
夜闇に解き放たれる、一匹の飢えた怪物だ。
だが今、瞳を凍り付かせ、自分の腕に爪を立てる彼は、
生まれ損ないの雛のようで、
殻を砕かれた悲しさに、目が潰れてしまった。
しかし。
彼には一つ、明らかなことがある。
心は、人を裏切る。
易々とかき乱されては、不合理を強い、自身を破滅させる。
そんな末路を、彼は数限りなく見てきた。
彼が夜闇の中で狩るのは、そんな愚者達だ。
しかし、もしも。
彼自身が、己のそれを、統制出来なかったとしたら
彼もまた、夜闇に喰われて消え失せるだろう。
冷えた刃が
喉から胸を
切開していく。
優しく裂けた
彼は
ほうっと、溜め息。
ハルは
こんな煩悶、無縁なのだろう。
ハルはハルでしかない。
それ以上追究したくなく、彼はうっそりと瞳を上げた。
空っぽの、薄暗い部屋がそこにある。
「……私はいったい何をしている……」
そう呟いた声が、思いの外心細かったと、
彼は永遠に認めない。
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ジェイソンが傍にいる頃なんで、
ぬるいこと言って思い悩んでたらいいよ。
ブルース様は、父親というものに理想を抱いてるといいです。
んでも、ジェイソンとの年の差ががどれくらいかっていうと、一回りちょい?
若いパパです。
つか、ブルース様って他のキャラと時間の流れが違うというか、
あるサイクルを経ると若返ることが多いですね。
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