13.貝殻拾い



打ち寄せる波の、白い紗のやわらかに
泡は儚く、光を重ねるターコイズブルー。

「じゃあこれは?」
「サンダイヤル」
「じゃあこっちのは」
「マッドクリーパー」

ハルは、渚の砂に残された貝殻を拾っては、
ブルースの掌に落とす。
並んでいく一つ一つ、ブルースは名前を数える。
陶器細工のような白。 渦の枯葉色。 薄紅一片。
それぞれを。

"インペリアルコーン"
"アンティークアーク"
"セラミックヴェイス"
"チャイニーズトリトン"

夕日の滲む黄色。 艶やかな豹紋。 星を浮かべた紡錘形。
形の綺麗なもの。 壊れてしまったもの。
猫の目のように光を揺らし。
ハルが拾うごとに、ブルースは名前を挙げる。

「そういう知識も何かの役に立つのか?」
「貝類には、特定の水域にしか棲息しないものがある。
 同じ種類でも、生育環境で殻に違いが出てくる。
 それが事件を解くことも、あるだろうな」
「ほー。」

波のひいた砂の上、小さな光きらり。
ハルは軽く身を屈め、そっと摘み上げる。
あんまり小さいので、その指を顔の前まで持ってきた。
ガラスの欠片のようなそれは、良く見ると、精巧な螺旋をしている。

「巻き貝!」
「ん」

名も知らぬそれを光に透かしてみながら、
そういえば初めてかもしれないと、ハルは考える。
まだ小さな子供だった頃、父親が生きていた頃を思い出しても、
まともにこういうことをしてみた記憶はない。
海には行った。
きっと、気づかずに遊んでいたのだろう。

「なあ、おまえガキの頃、貝殻なんか拾ったか?」
「覚えているのは一、二度しかないな。 ゴッサムの港湾は子供の出入りする場所ではないし、
 私の父親は医者だったから、家族そろってゴッサムを離れる機会はあまりなかった」

ブルースは、波打ち際に、裸足で立っている。
サンダルは砂まみれにして、とっくに脱ぎ捨てた。
その足首を、波が洗い、ひいていく。
カーゴパンツが濡れているのは、波が時折大きく砕けるのと、
ハルがふざけて水を蹴り上げたせいだ。
おかえしに、海に蹴り倒されたハルは、
ずぶ濡れのTシャツを脱ぎ、大人しく砂に残された貝殻など拾っている。
ハルの指と指の間、
いかにも小さく、微かな一片。
たわいないことをしていると、ハルは思う。

「一人で図鑑を眺めている時間の方が長かっただろう」

呟くような声に、ハルは顔を上げた。
ブルースは、眺めている。
風に遊ばせる前髪と、左の頬に、白い砂粒を少し付けたまま。
掌にある、ハルの拾った貝殻を、眺めている。
その、すっと伸ばした背筋も、肘の曲げ方も、ブルースなのだが。
こころもち俯ける表情に、大人びた目をした子供がいた。

たぶん、そうだったのだろう。
その子は、いつかもそうやって、
彼の見つけた貝殻を、掌に乗せ。
時を忘れて眺めていた。

ハルは、なんだかその頭を撫でてやりたいような気がした。
もっと言うなら、両腕でぎゅっと嫌がるほど抱きしめて、
頭をぐりぐりして憎まれ口を存分に叩かれてやりたかった。
多分、ブルースはもう、自分で貝殻を拾うことはない。

「ハル」

ブルースは顔を上げていた。
その瞳が待つのは、ハルの手の中、まだ名前のない小さな螺旋。
差し出される手を、ハルは



不意にブルースの視線が動いた。
海よりも深い藍色の瞳が、真っ直ぐに水平線を捉える。
ハルもその視線を追い、空の果てを見た。

「雨が来るな」












+++++++++++++++++++

途中にある貝の描写は、挙げられていた種類の特徴とは別です。
読み方は一応、『世界海産貝類大図鑑』を見てみましたけど、カタカナきっとおかしい。
産地もバラバラのはず。

子供の話、好きなんすよ。
坊ちゃまの場合、その時期がとても短く、覚えてることも少ないんじゃないかと。
事件以降は、子供の自分はもういなくなってしまった。
と、思っていればいい。
















14.真夜中に雨が降った




途切れのない雨音を、微かな呟きが流れ。
誰に聞かせるでもないような。
ただ己に問うたような。
けれど、
明瞭に耳朶を打つ。
明かりのない部屋は、雨闇の。
影は二つ。
手探りでなぞり合う、汗の絡んだ身体と、吐息と。
ただ滲んで一つに混ざるかと思えた、熱の。
指の先まで痺れた虚無の後。
今は二つの影。
雨は降る。



雨音の底で、ブルースは考える。
自分は今、何を言ったのだろう。
知らぬ間に唇から滑り出ていた。
さて。

一瞬の放心の後、
闇の中で眼を開く。
どこか遠く、雷鳴。




暗く、深く。
雨闇の底。
遠い雷鳴が聞こえ。
影は、呟くように また一言。 二言。
そして、微かに笑った。
雨は降り続けていた。
ハルは 何も言わず、
傍らに横たわる背中に、口付けを。
唇は優しく肌をたどり、
消えることのない数々の傷痕に。
無言で与えられるそれらを感じ、
ブルースは目蓋を伏せる。
気怠い身体の奥、意識はとろりと潤んでいく。
吐息がこぼれて、俯いた額をシーツに摺り寄せた。



先程告げたことは、
思いつくまま口にした言葉のような気もするし、
ずっと前から考え続けてきたことのようにも思う。
自覚は覚束なく、不連続で
自分を阿呆であると感じる。




声が洩れた。
芯の、底の、熱い奥、燻っていたものが、
背後にいるハルの唇や、指や掌、息遣いで、
瞬く間に煽られ、総身を焦がすように。
喉奥まで込み上げて、シーツを噛んだ。




怖いのは、空白だ。
ハルとセックスしているとき、ブルースは ブルースでしかない。
あとは、何も無い。
それは、とても 心地良く
そんなもの欲しくはない。


今は
ひそやかな、浮薄な
安堵





雨闇の底、影は滲むように微笑った。
唇に仄かに浮かんだ、淡い苦さ。
けれども。
暗闇はいつも、彼を隠した。
沈黙はいつも、彼を一人にしてくれた。

降りしきる雨は止まない。
潮鳴りはもう聞こえない。
雷光が曇天を切り裂いた。
一瞬、二つの影は仄暗く浮かび上がり、
そして、後は全て闇の底。
物言わずに後ろから突き上げられた身体が、
背中をしならせて震わす声も。
繰り返す荒い律動に、千々に乱され、
掠れた喘ぎか嗚咽か、声にもならず。
たとえ、何かを言ったとして、
もう何も聞こえない。

まるで、静謐の
天の水底

雨は降りつづいた。








やがて、明け方には大気は澄んでいた。
千切れた雲を朱に燃やし、日は昇った。

空は、一面の冴えた青だった。
波には星屑を振りまいたような光があった。
白い部屋は、穏やかな潮鳴り。
そこにはもう、誰もいない。
風は静かに、夏を終えた。




















++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


そんなわけで終わりです。
どんな言葉だったかは、そのうち書くかもだし書かないかもだし。
最近思ったんですが。
この二人は二人して幸せになるスキルがない。 ない。






←10-12 もどる→