背中がうずうずして、吠えつきそうな夕空に、金星。
吠える代わりに全身のバネで飛ぶ。
奥歯をぎりりと噛んで、走り抜ける。
"家"に、帰るんだ。
足の下、狭い路地裏はもう暗い。
空の光が薄くなる。
だんだんと深くなる。
夜が来る。

"家"に 帰るんだッ

あの人が何言っても、今日は絶対ついて行くんだ!
あの人が許してくれなくても、勝手に行ってやる。
ぼんやり見てるだけなんて、もう絶対我慢できないんだ!
(ホントは、まだ、課題が残ってる けど)
とにかく、もう嫌だ。
何か、本当に、絶対に、嫌だ。 ヤダ!

俺は、ぐるぐるぐるぐる 同じことばかり頭の中で喚き続けて、
そのうち何もかも真っ白で。
ただ走って、走って、
心臓が壊れそうなほど苦しくて。
立ち止まることなんか出来なくて。
やっと、ケイブに転がり込んだ。

「ブルース!」

叫びは、何重にも重なって深い洞窟に響き、消えていった。
照明のない奥の方から、蝙蝠達の羽ばたきが聞こえる。
静か だった。

「ブルース?」

もう戻ってると思ったんだけど。
ケイブの構造は縦にも横にも斜めにも広がっている。
俺はとりあえず、今出てきたバットモービル用の通路を離れて、上に向かった。
すると、コンピュータのモニターの前に、いつもどおり彼は座っていた。

「いるじゃないか」

俺から見えた後ろ姿は、椅子の両側に流れる黒いケープで、
声が聞こえたはずなのに、こっちを振り向きもしない。
頭に来て思いきり怒鳴ってやろうとして、前に回りこんだ。
俺は、その時確かに、訳が分からないぐらい、何かに腹が立っていた。 けれど。

昔の絵だ、と思った。
あの、背景も人物の服装も、真っ黒な肖像画。
ただ雪明かりのように、ブルースの、マスクを外した顔が、青白く、淡く。
その光と影を、寂しい絵のようだと思った。

「どうしたの?」

けれど、ブルースは黙ったまま表情を曇らせ、視線を伏せる。
突っ立ってその顔を眺めるうち、だんだん不安になってくる。

「ブルース?」

重い溜息が、ようやく答えた。

「……私を、軽蔑するか」

は? と思わず声に出して聞き返した。
まるで意味が分からない。

「グリーンランタンのことだ」

ブルースは、自分の言葉に打ちのめされたようで。
あんまり深刻な声だから、逆に俺は何がなんだか分からなくて。
誰だっけ? それ。

「……ああ、アイツか」

そういえば、あの緑と寝たのか聞いたような気がする。
でも、軽蔑? 俺がブルースを?
じゃあ、ブルースが、こんな暗い顔をしてるのは、俺のせい?
俺の言ったこと、ずっと気にしてたの?
この人が、ホントに?

「別にどうでもいいよ、もう」
「……良くない」

きっと眉を顰めて難しい顔をするブルースは、
哲学的な真理でも究めようとするように、額を手で押さえる。
本当にそういうのが絵になる人なんだなァと思ったけど。
俺の目を見ようとはしない。

その瞳が揺れるのは、不安 なのか。
俺の、あんなどうでもいい 一言で。
(笑ってやろうとして、なんだか 胸が ざわざわする)

腕を、伸ばして。
初めてブルースをぎゅうっとハグした。
ブルースはちょっとびっくりしたみたいで、不思議そうに俺の名前を呼ぶ。
この人は、何だって簡単には信じない。
でも今なら、俺の口から出る言葉は、この人に鋭く突き刺さるだろうか。
他の誰でもなく、俺のことが。

「いいよ。 そんなの、関係ない。」

深い溜息の後、ブルースは俺のことをしっかり抱いた。
俺は、ほうっと小さく息を漏らす。
ざわめいて、喉の奥が、熱い。
俺の腰なんか一回りしちゃう片腕が、優しくて。
俺は両腕二本で力一杯しがみついてるのに、震えそうなほど、頼りなくて。
悔しくて、けれど、悔しくなくて。
目を閉じる。

あと三つ数えたら、俺は冗談の一つも言って、それで全部終わりにするけれど。
俺は、俺の一番深いところで、誰かに秘密を打ち明ける。
(きっと、この人から離れて、生きていけない)



微かに、はにかむように
ブルースが俺の名前を呼んだ。

















































薔薇色の月が浮かぶ晩、
狂人の家で道化師が嘯いた。

「そろそろ、ダーリンが俺に会いたくなる頃かな」
























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パパはスキンシップの得意な人ではないので、そこを攻めると効果的かなあと思っています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。



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