「お目にかかれて光栄です。 Mr.ルーサー」

涼やかな声で差し出す手に、
レックス・ルーサーは、ああ と得心したような気がした。
眼前にいるのは、たしかに噂どおりの男だ。


アメリカ合衆国 メトロポリス。
落日の迫る大国は、だからこそか、社交界は華やいでいた。
享楽であることを義務とし、退廃的な遊びに興じ、艶やかな花に酔いしれる。
交わす密やかな囁きは、酒精よりも甘い影。
極彩色の屍を、砂糖菓子で飾るように。

ブルース・ウェインは、そんな世界に最も愛された男だった。

麗しい淑女の黒髪を指先で遊ばせ、
輝かしい金髪の流れるたおやかな首筋に、唇を。
鮮やかな紅玉色の髪は、夜更けの闇に踊った。

ブルース・ウェインは、いっそ優雅なほど傲慢に、人を酔わせた。



涼やかな、
心地よく透る低音の、
親の遺産を食い潰しているという噂の男は、
ごく自然な成り行きで、ルーサーに引き合わされた。
二人は初対面の会話を慎み深く楽しみ、そして、離れた。







後日、レックスコープは一人の客を迎えた。
会長秘書はこの美丈夫に陶然としながら、彼を会長室に通した。
通常なら、突然の来訪者に会長が直接会うことなどないのだが、
今日の会長は機嫌が良いらしい。

ちょうど執務中だったルーサーは客人の姿を認めると、
上から下まで眺め、にやりと笑った。

「正直に告白しよう。 最初に見た時は君だと思わなかった」

不躾に値踏みする視線の正面で、客人は微笑した。
端整な相貌は上品に視線を合わす。
華やかで、罪もない微笑。
それでいて、その瞳には、どこか不可思議な憂いがある。
だからこそ、奥底を覗いてみたくなる。
惹きつけられて虜になる。
ブルース・ウェインは、そういう男だった。
その眼差し、僅かな仕草の 一つ一つに至るまで、
完璧な、極上の虚構であることを、ルーサーは知っている。

「さて、君の目当ては何だろう?」

たとえ彼が、もう何年も前に失踪したレックスコープの研究員であり、
スパイ容疑でCIAから追跡されているとしても、
それは彼の真実の名前でも顔でもない。
全ては一時の仮面に過ぎない。

「……あなたが地下で研究しているものですよ」

その仮面が如何に優美で、精巧だとしても、
瞬きの内に消え失せる。

表情を無くした双眸は、
静かに凍え果てた、藍色。
氷雨の夜を独り行く人のように。

「分かったんですね」

その目が、じっとルーサーを見据えた。


レックスコープの地下研究所で。
地球をただ一人で制圧することも可能な男の、力の源を刈り取る術が確立した。
僅か数時間前のことだった。













赤い光が、全てを満たす。
紅蓮に染まり、蠢く機械達の異様な息吹。
レックスコープ本社ビル 地下最深層。
二人の影は、煉獄を彷徨う陽炎のようだった。
実験用の黒いゴーグルを着け、科学者は講義を始める。

「太陽光が莫大なエネルギーであることは、言うまでもない。
変化に富んだ地球環境、そこに適応した多様な生命の存在を許すのは、
暗黒の宇宙空間を約1億4960万km経て到達する太陽光だ」

彼等の前には一つの装置。
赤い光を放射するそれを、白衣の元研究助手は腕組して眺める。
引き結んだ唇は、いつかのように冷たく硬い。

「その莫大なエネルギーこそ、彼を "スーパーマン "にしているものだ。
これは彼の生物的特質だ。 太陽光をエネルギーとして細胞内に蓄え、己のものとする。
だが彼の変換効率は控え目に言って、桁違いだ。
理論上、彼の肉体に内包されるエネルギー量は、無限だ」

科学者は、壮年期の終わり頃を迎えていたが、
その話し振りには依然衰えぬ情熱と力強さが見て取れた。
称賛に近い言葉を吐きながら、決して許容しないのも相変わらずだ。

「しかし、この能力は先天的なものながら、発現の仕方は環境に左右される。
私が調べたのは、ウクライナで発見された、彼を地球に辿り着かせたロケットだ」

そこで言葉を切り、にやりと笑う。

「ブルース・ウェインの名が私の耳に届くようになったのは、
私の元にロケットが運ばれるよりも早かった。
君は、知っていた。
発見されたロケットが、ソ連側から内密にこちらへ引き渡され、
私が研究すると、既に分かっていた。
だから君は今ここにいる。
君は今、ソ連上層部の内幕に余程通じているらしいが、苦労はしたかね?
ロケットを巡る取引は、両国家間の最高機密だからな」

研究助手は沈黙していた。
詮索をはぐらかす気なのか、単純に愛想がないからか。
天才科学者には推測するまでもない。

「ふん。 最高機密と言いながら、連中の偽装など型通りのものだ。
規模が大きいだけで、枝葉の一つにでも気づけば看破出来ないものでもない、が。
それでも、"スーパーマン "は、このことを知らない」

そう語るルーサーの声は奇妙に穏やかで
憐れみにすら似ているのだ。

「彼は基本的に、人間を信じている。
善意というものが人類に存在すると信じている。
それは彼の美徳のようなものだが、私は彼に同情しよう」

助手は ちらりと一瞥し、それだけだった。
言葉は時に真逆の心を編み込む。

「彼のような存在は、この地上に二つとない。 結局ここは人間の星だ。
彼の周りに残った人間の大半は、追従者か裏切り者しかいない。
"神"とは孤独なものだな。
彼の傍に、あの美しく勇ましい姫君がいてくれて、私は良かったと思っているよ。
まあ、彼を倒そうという者にとっては、厄介な障害だろうがね」

神話の島から来訪したアマゾネスの王女は、
人類社会に対して中立であると表明しているが、
スーパーマンには特に協力的であることは周知の事実だった。

「しかし、彼等では捉えきれないものもある」

助手は淡々として先を促す。
その様子を面白がるようにルーサーは言った。

「確かに。 この世に完成されたものなどない。
あるとすれば、それは私の頭脳だ!
スーパーマンの力を無効化することに関しては、この私が確約しよう。
彼の細胞活動は、ある特定の波長の光を感知した時、著しく低下する。
つまり、この "赤い" 太陽光は、彼の強靭さを損なわせるものだ。
この光が照射されている間、彼の身体的強度は地球の人間と同程度まで落ちる。
ナイフで刺されれば血が流れるし、多量の失血で死に至る。
ごく普通の人間のように」

地の底で渦巻く光は赤、赤、赤。 沈み行く血潮の坩堝。
人でなしが二人、神を殺す算段をしている。

「そして何より、彼は自分自身に内在する致命的な弱点を知らないんだよ」

淡い微笑みを一つ、ブルースは落とした。
口許だけのそれは酷薄なものに見えた。




















「そうか、遂にか!
遂にあれを殺す手段が見つかったか……」

噛み締めるように、ピョートル・ロズロフは呟いた。
搾り出す声に口許が引き攣る。
隠しようもなく笑みの形になる。

「そうでなければ、あれのロケットをわざわざ探し出し、
アメリカに引き渡した意味がない!
レックス・ルーサーほど、あれを倒すことに取り憑かれている科学者はいないからな」

モスクワの地下。
スーパーマンすら感知していない、密かな薄闇の内で。
歪み切った笑いが顔を大きく引き攣らせる。
心震わすのは、長年待ち望み続けた、喜悦だった。

「遂に、あの傲慢な異星人に替わり、正統な人間がこの国を治める時が来た……!
私こそ、父の血と肉を受け継ぐ男だ!」

ヨシフ・スターリン。
絶大な権力に憑かれ、権力の大きさ故に怯え、
血を分けた肉親すら信用することのなかった、ソビエト連邦の前国家主席。
非嫡出子である男子の一人を後継者として育てながら、
スーパーマンが現れると、あっさり自分の子供を見限り、彼をソ連の象徴に仕立て上げた。
その男の血が、ピョートルの中には流れている。

息子は、父の跡を継ぐものだ。
そして父のように生きるのだ。

銃声が木霊する赤い泥濘に這い蹲ってまで生き続けたのは、
ただ、この時のためだ。


「……それで、貴様はこの私に何をしろと言うのだ?」

ピョートルは眼前の人物に向き直った。
KGB局長として、背信と内通は日常的なものだ。
だが、自ら行うそれには、やはり他では味わい難い実感がある。
その残忍な喜びを、ピョートルは隠さなかった。
知っているのだ、目の前にいる男は。
スーパーマンの傍らで、胸中深く燻り続けた野心も、
神の如く完璧な存在への嫉妬も劣等感も。
臓腑の内に長年凝り固まったそれらを、全て理解しているのだ。

理解して、彼の前に現れた。
神を屠る共謀者として彼を選んだ。

ピョートルは暗い期待を抱きながら、バットマンの言葉を待った。

























「その性質から、赤い太陽光は彼にとって毒物に近い。
現在確認されている唯一彼に有効な毒だ。
これを用いて彼を葬る手段なら私は一万通り考え出すことが出来るが、
そんな時、君は来た」

光は、溢れるほどあるというのに
赤い世界は闇のように深いのだ。
紅蓮の底、向かい合うのは二つの影。

「君はこの時を待っていた。
浅はかな臆病者共が鼠のように右往左往する様子を眺めながら。
結実として私が導き出すものを」

目の前にいる男の、真実の名前をルーサーは知らない。
だが、名前のない男の真実なら、ブルース・ウェインに会って得心した。

「君はバットマンだ。
そしてスーパーマンの生誕式典当日に、彼を殺そうとしている」

向き合う影は、外道と外道。
ただ一つを得るために、あらゆる全てを煉獄に投げ捨てる狂人。
彼の名前も、過去も消え果てて、その憎悪の深さなど、知る者はない。


ここに 神を屠る毒があり
神を貶める謀略は為され
大帝は何も知らず、独り憂える。


万人の運命が何一つ欠け落ちることなく、あるべき姿へと満ちていく。
その日、スーパーマンは死ぬはずだった。

























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