零れ落ちそうな星空に
嘘吐きが、口笛吹いて石段を歩く。
陽気なメロディーは、のんびりと夜風に誘われて。
十二ある星宮に届く頃には、不思議と哀傷を帯びるのだ。
しかし、真っ白なケープは、彼の背で悠々と羽ばたき、
楚々と光を纏う、黄金の聖衣。

勅命を果たして聖域に戻った聖闘士は、十二宮を一つ一つ抜け、教皇の間に向かう。
最高位の聖闘士といえども、女神の代行者たる教皇に謁見するには、
その足で石段を踏み、上を目指さねばならない。

デスマスクも、ただ独り。
口笛を吹きながら。
いつもどおり、いつものように。

今宵、月もなく。
夜は露を孕んだ藍色。
彼の後ろに付き従う、影なき影達を、目にする者はない。
しめやかに、粛々と。
歩み続ける長い列には、まるで終りがないようで。
幾千か、幾万か。
人数などは、デスマスクも分からない。
数える前に、殺してしまった。
そして、死霊となった今も、数えるにはやはり骨が折れるのだ。
口笛吹いて、戦場に赴き、返り血の浴び方も知らず、この聖域に帰る。
いつもどおり、いつものように。
何の特別なこともない、殺戮と殺虐の晩。

教皇の間に辿り着けば、常に門を守る衛兵達は慇懃に道を譲り、
あるいは、幽鬼の穢れでも避けようとするようで。
それも、もう幾度も繰り返されたこと。
扉は開き、彼を飲み込んで、黙る。

「キャンサー、帰還致しました」
「御苦労」

教皇は、玉座にある。
その前に片膝をつき、頭を垂れて勅命の結果を伝えれば、
それでデスマスクの今日は終わる。
万事は彼の23年と同じく、水のように流れ去る。
そうしても、良かっただろう。

ただ、その日は、二人の他に誰もなく、
教皇の前に進み出たデスマスクは、恭しく跪く代わりに、

「血の匂いがする。 あんた、また やりましたね」

その声には、何の拘りもない。

「……何の話をしている」
「どんなに洗い流しても、香を焚いても、それは取れないよ。 
 あんたにはいつも、"死"がこびり付いているね、サガ」

匂い、ではない。
知っているのだ。
かつて、神の如き慈愛の心で人々を救い、熱烈に崇拝された聖闘士。
しかし、突然行方をくらまし、彼の名は聖域から忘れ去られた。
それこそ、地上世界の守護者である聖域が、13年間抱え続けた大いなる欺瞞なのだ。
女神は聖域から消え、玉座にいるのは、教皇を殺して、その仮面を被り続けた男。
血で穢れた簒奪者の名前を、デスマスクは承知していた。
ただ、言わなかっただけだ。

"教皇"は、沈黙の仮面の下から、デスマスクを射貫く。
その眼差しだけで、不可視の圧力が時空間を歪ませ、人は否応なく玉座の前に膝を屈するだろう。
だが、デスマスクは立っていた。
彼の眼差しを前にして、しかし、どこにもいない人のように。

「貴様の望みは、何だ」
「望み?」
「貴様は、私が教皇であると気づいていた。
 "私"がそれに気づいていることも、知っていた。
 だが、貴様はこの13年間、何の動きも見せなかった。
 私に対しても、女神に対しても」
「へェ? 俺のこと、ちゃんと見てたんだ」

唇を吊り上げた嘲笑は、何かが欠けていた。

「貴様の望みは何だ」

仮面越しの重い声は繰り返す。

「……えーと 」

デスマスクの両手は、なんとなくという風に持ち上がり、
ぷらぷらして、腰の辺りでようやく落ち着いた。

「実は俺、血とか苦手なんだよね。 肉も食べないし。
 いや、昔は食べたんだ。 でも今は全然だね。
 菜食主義で平和主義で、きっと、飽きたんだね。
 俺は、ずーっと殺し続けてるから、もう飽きたんだ」

薄っすら笑みを浮かべるその目に、
色彩はなく、熱もなく。
見詰め返す仮面にも、表情はない。

「今日も、昨日も、その前も、生まれた時から何でもかんでも殺してるとね、
 実際どうにも、嫌になってくるよ。
 だいたい、目的なんか無いんだ。
 言われたことをこなすだけの、単純作業さ。
 でも、とにかく俺は、そのためにあるんだから、当たり前だ。 文句なんてない。
 だから、教皇がどこの誰でも、女神がいてもいなくても、同じだ。
 そんなのはどうでもいいんだ。 ただ、俺は少し 」
「飽きたか」
「飽きたね、どうも」
「下らん」
「ホントそうなんだ。
 でもさ、ねェ、サガ。 あんたは、どうして、そこにいるの。
 別に知らない仲でもないから教えてあげるけど、あんた、もうじき死ぬよ」

ただ水のように言葉は流れ、
デスマスクはもう笑ってはいない。

「それは死神の宣告か」
「そ。 有り難がっていいよ。 これでも本職なんだ。
 なんなら、いつ、どうやって死ぬか教えようか」
「その必要はない」
「怖い?」
「いや」
「怖いって言ってもいいよ。 あんたの望みは、結局果たされないんだ」
「ほう? 私が何を望んでいるのか、貴様に分かるのか」
「……いーや。 全然。 だってあんた、俺よりバカだもん」

教皇は笑ったようだった。
その声は仮面に深く隠され、重い。

「仕方のない奴だ」

漆黒の法衣をさらりと流し、教皇は片手を掲げる。
デスマスクの目に映ったのは、その一瞬の世界。
掲げた指先の、完璧な造形を思った。
刹那、光が爆発した。



「無常でも悟ったつもりでいるのなら、貴様は阿呆だ」

明瞭な声が、デスマスクの耳を打つ。
途絶えかけた感覚神経が、苦しみ悶え抜くために活動を再開する。
星々をも砕くと称された小宇宙の爆発を、真正面から受け止めたのだ。
五体がバラバラに吹き飛ばされなかったのが幸いというだけの、
捩れた右手は、肉を裂いて骨が飛び出し、
全身は引き裂かれ、鮮血に染まってない場所がない。
激痛を叫ぼうにも、両の肺はぐしゃぐしゃに潰され、
呼吸する代わりに、引き攣った喉から血の塊を吐く。
しかし、目は、明けていた。

「その救い難さは犬にも劣る。 いや、貴様と比べられては犬が哀れだ」

視界を占めるのは、ただその人。
仮面を外した、その目。
久し振り、と言おうとして、血が溢れるだけだった。
サガは微笑んで、その身体を楽々と引き摺り上げる。
壊れた玩具のように、手足がだらりと垂れ下がる。
血が絡んで縺れる舌が、汚れるね、と。
目の前にある、サガの目の。
その色を、見詰める。

「貴様の血は、何のために流れている」

どくん、と 心臓が。

「貴様が殺してきた者達は、何のために死んだ」

折れた肋骨を押し退け、赤い肉塊が跳ねる。

「私の望みは、この世界を正しく導くことだ。
 そのために、あらゆる者を犠牲にしたとして、何の悔いがあるか」

己の身体の中で、心臓が鼓動していることの、
その絶対的な苦しさに、デスマスクは、恍惚と溜息をつく。

「故に、貴様に教えてやろう。
 貴様は、私のために死ぬんだ。
 その血肉の最後の一片にいたるまで、私のために使い果たし、
 私のためだけに、死ね」

一言、一言、細胞に直接刻まれる。
灼熱の螺旋が歪んだ脊椎を天へと貫き通す。
噴き上がる血潮は、赤。

「……腹 立つねェ。 その 超ー自意識過剰」

震える両足で大地に立つ。
サガの両手が身体を支えている。
それは、まるで抱擁のようで、デスマスクは鼻で笑った。

「御心のままに、猊下」




























その日、友人の「23歳まで生き延びやがってコノヤロー」の会を企画していた
魚座と山羊座の友人二名は、遅れて現れた主賓が傷一つないのに血塗れで、
訳を聞くと、いやに上機嫌に、

「お父さん、お母さん、アタシ幸せになります」

と、ほざいたので、とりあえずバケツの水をぶっかけたという。






















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2010年、蟹誕であります。
何故か私の中で、蟹誕=プロポーズさせる、という図式がありまして、今年はサガでした。
ええ、書いた本人としては、あれはプロポーズのつもりですよ。 ちょっといつもよりポジティブです。
ちなみに。
最初にもう書いてあるんですが、蟹は嘘吐きです。 言ってることの大半は嘘です。
嘘でないのは、サガから罵倒されると胸がきゅんっとすることぐらいです。
血塗れなのも一つの嘘です。
でも、笑って地獄に堕としてくれるなら、ハッピーエンド。
お誕生日おめでとう。





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