呼び出しを食らって、指定された場所に行ってみれば


「ぃよう、アルゴル。 久しぶりだな」


相手は、ざるそばを食っていた。






卓には白磁の徳利が三本。
妙に機嫌良く笑うので、もう出来上がっているのかもしれないが、
顔色からは分からない。
元々良く笑う人のことだ。

とりあえず、座敷に入って向かいの席につくと
店の人が待っていたように蕎麦を持ってくる。
向かいに座る人は、ついでに冷酒をもう二合頼んだ。
今は昼だとか、この人にはあまり関係がなく、

「まあ食えよ。 昼メシまだだろ?」

そう言って、うまそうに杯を空けた。




初めて会ったのは二年前。
聖衣を賜ってから何度目かの勅命の途中、
その勅命が状況の変化によって一部修正されたと告げに現れたのが、この人だった。
(そういえばあの時も今日のように何か食っていた)
その時は、聖域からの使いとしか認識しておらず、
ただ、ずいぶん俗な笑い方をする人間だと思った。
この人が "何"なのか知ったのは、それから少し後のことだった。


通常、聖域から任される個々の勅命、その実働部分は、
白銀聖闘士がそれぞれ統轄し、場合に応じて青銅聖闘士を指揮し、完遂する。
聖闘士最高の位階である "黄金聖闘士" が、他の位階と勅命を共にすることは滅多に無い。
彼等と同じ戦場に立つことは死を意味する。
聖闘士の間でそう言われるほど、桁外れの力を持った存在だからだ。


過去一度だけ立ち会ったその戦場は、人間の行いとは思えなかった。




酒が持ってこられる頃、その人は蕎麦をすっかり平らげていた。
どうするのか見ていると、今度はあんみつを頼む。
デザートまでしっかり食べるつもりだ、今日も。



初めて会って以来、こうやって食事を一緒にすることがある。
勅命に関係して、或いは、ただメシに付き合うというそれだけのために。
戦場で垣間見た黄金聖闘士の力を、この人に話したのもそんな機会だった。

"そういう、派手にぶっ壊すのはあまり得意じゃあないんだよ "

唇の端を にっと吊り上げて答えた。
そんな笑い方が、格別に上手いのだとその頃にはもう知っていた。
聖闘士としての名も、密やかに噂される悪評と共に。




女子供も容赦なく殺すという "殺戮狂" は今、
足を崩して座敷の外を眺めている。
庭には椿が花をつけている。

「用件は何ですか」

雑談が途切れたので、聞いた。
今日の呼び出しの名目は、査察だったはずだ。
ただメシを食うだけなら、この人はそんなことを言わない。

「だから、査察。 おまえの」
「俺の?」
「ん」

運ばれてきたあんみつを前にして、にこりと笑う。
この人の今日一番の目的はこれか。

「今度なぁ……、
この極東地域を中心にちょーっと、ややこしい事態が起こっちゃいそうで、
いちいち聖域から指示出すのもめんどくせぇ、あ 違った、余計な手間がかかるとかえって煩雑になるだろうから、
そこらへん丸ごと誰かに任そう、つー話があるんだよ。
で、おまえが推されてるわけ。
俺は、おまえが使いもんになるか、見に来たんだよ」

黒蜜をかけて、軽くかき回す。
その間に話し終えた用件。

「……俺が?」
「俺が」

詳しいことは、何も話さない。
まだ話せないのだろう。
察する。
今まで任された勅命とは、規模が違う。

「もし、俺が相応しくなかったら」
「そん時は他の奴だな」
「参考までに、教えてもらえますか」
「黄金聖闘士」


木のスプーンの上、蜜まみれのパイナップル。
おいおい、と思う。
黄金聖闘士に任せても良い勅命を、白銀聖闘士に持ってくるつもりか。

「お? びびっちゃうかー?」

否定はしない。
白銀聖闘士の中で、自分が一番優れているとも思わない。
だが、

「……なぁんだ、可愛げのねぇ奴」

やれ、と言われれば、やるだけの自信はある。


「だから、おまえなんだよ」

笑って、スプーンに乗せた甘さをぱくりと食べた。




「細かい話は正式に勅命が出てからなー。
この件に関する権限のほとんどがおまえんとこに集中することになるから、
とりあえず、覚悟はしとけ」

覚悟という言葉の重みを、実感のないまま考える。
権利、自由には、それなりの責任が伴う。

「でもまぁ、大丈夫だろ。 今までも極東地区の勅命なら数こなしてるし。
箸使うの上手いし」

気をつかうにしては、根拠どころが脈絡も怪しい言葉も、いつものこと。
しかし、


「……ところで、面倒増やして申し訳ねぇんだけど……」


今、珍しいことを、言った。
あんみつを口に運ぶ手が止まっている。

「……あなたの持ってくる話が面倒でなかったことが、今までありましたか」
「それだけ君が優秀な子なんだと思いなさい」

スプーンはそのままくるりと椀を一周。
黒蜜にあんが とろりと浸る。

「今度の勅命は話がでかい。 人員はおまえの必要な分だけ揃える。 青銅でも、白銀でもな。
……そのついでに、人間一匹、頼むわ」
「何ですか」
「白銀」
「それなら」
「これが初仕事の」

それは確かに、面倒くさい。
初めて実戦に出た聖闘士というものは、位階がどうあれ、不安定であると相場が決まっている。
その結果、自らの死を招くことも多い。
聖闘士になる真の試練は、最初の実戦であると言ってもいい。

そんなものを預けられるのは、たしかに厄介だとは思うが、
今この人が言わねばならないのか、それは。


「使えないようなら、殺しちゃっていいから」


喋る唇の端に、何かつけている。
気づいてない。

頼むと言われたその"人間一匹"に、興味が湧いた。
この人が、わざわざ伝えておくのだから。


「……この勅命、あなたが受けないんですか」
「俺がやるわけにゃあいかねーのよ」


「出来ねぇんだ、それは」


不思議なことを、はっきりと言い切る。
聖域の至高、黄金聖闘士に、出来ないことなどあるのだろうか。

唇の端にあんの粒か何かをつけた人は、真っ直ぐに目を見返す。


「俺も、おまえも、さっきこれを運んできた子も、同じようなもんだ。
思いどおりにならないことの方が多い。
自分の周りだけで手一杯で、その結果がどうなるか分からないうちに、
予測もしなかったことで足元をすくわれたりもする。
結局、自分の周りしか見えてない。
だから、自分の手でどうにか出来ることも、ほとんどないんだよ」


「全てを俯瞰しているのは、教皇だけだ」



そうなのかもしれない。
違うかもしれない。
この人が、有象無象の一つとは思えない。
人の域を超越した能力を持ち、
有りとあらゆる行為を許されているように見えるのに。
それでもやはり、どうにもならないことは、あるのだろうか。



不思議な日だ、今日は。
もう酔っているのかもしれない。
口許をまた見ると、親指の腹がそれをぬぐった。
なんだ、気づいていたのか。

「そんだけじっと見られたら普通分かるだろ」

ぺろりと指を舐めて、いつものように笑った。







最後に熱いお茶でしめ、

「30分な」

その人は横になった。
腕を枕にして静かに目を閉じる。


遠く、鳥の声がした。
庭を見れば赤い椿。
微風に水仙が揺れる。
向こうは、斜面の下に開けた田野。
畦道は淡い緑にくるまれ、霞むように桜が咲いている。


どうにもならないことを、考えてみようとする。
けれど言葉よりも早く、その声はふわりと溶け、春風に混じる。
晴れた空はどこを見ても柔らかい。


こういう日も、嫌いではないと思う。






お茶のお代わりが持ってこられたので、

「すみません、僕にもあんみつ下さい」

そう頼んだら、
眠っていたはずの人間が「僕だって」とけらけら笑った。


























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アルゴルさんは表向き優等生だといいです。
そして上昇志向は強い。
だけど、蟹の前では猫かぶってもしょうがないと思っていればいいです。

蟹がこういう、繋ぎ、の位置にいれば楽しいよねという捏造でした。
一匹というのは番犬だと思います。





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