なまぬるい沼の底に沈められたようだ
空気は濁っている
どろりと浸っている
気管の内側、湿ったように満ち満ちて
舌の根から溶かされてしまう
とろとろと溶ける
侵される
液状の怖気が喉を流れ落ち
いつか肺が腐っていく

 苦しい

この呼吸は腐敗するためにある







「……初めてにしちゃ、派手にやったなぁ」


誰かがいる
そこに、誰かが来ている


「よぅ、はじめまして白銀聖闘士サマ。 お元気ー?」


目蓋で覆われた薄闇の向こう、場違いに明るく抜ける声
ぬちゃり、と
汚泥の沼を歩いて渡る音がする


「終わったら遊んでないでさっさと帰れって言われてんだろ?
駄ぁ目だよ、まだこんなとこにいたら」


目を、開けてはいけない
汚泥の音を聞いてはいけない
濁って漂う 侵す
吐き気をもよおす
腐敗したこの空気は、きっと赤黒い色をしている


「……なんだ、これが怖いのか?」


目を、開いて
見てはいけない

 怖い (特別 なん だ)

 怖い (僕は、特別な人間なんだ)


「けど、もうやっちゃったんだろ」


殺した
二度と動かないようにした
僕に向けた殺意、憎悪
血肉臓腑骨の一欠片まで すり潰して
まとめて壊して
砕いて
全て赤

 怖い

他者を傷つけることはとても簡単なことで
他者に傷つけられることも、簡単で
剥き出しの神経が交感して、互いの殺意を貪り合う
僕は、それを食い
食われてしまった
食われてしまった

 怖い 怖い
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い


この赤い憎悪を 浴びた、僕は
眼球がもう腐り落ちた
とろとろと溶けて
流れて

 (僕は、特別だったのに)




「……そんなに悪いもんじゃあないんだよ、これは」


ぐちゃり、
ぬちゃり、と
肉塊の汚泥を踏む音が近づいてくる


「それでも骸は骸だ。 ただの残骸だ。
もう何も出来ない。
おまえがどんなに怖がっても、こいつらはもう何とも思わない。
こんなバラバラになった奴等よりも、おまえのほうがずっと怖いモノだろ?
自覚しろ、"化け物"」


 (僕は、)


「聖闘士ってのは、そういうもんだ。
こいつらを見てみろ」


 (僕は、もう)


「もう一度確かめてみろよ、自分の目で。
おまえがどんな風に殺したのか」


なぞられる、開かない目蓋
ねばつく血が凝固して、蓋をしてしまった
眼球はとうに腐って流れた
この目はもう 開けない


「開けてやるよ」


なぞる指が、顔を上げさせて
眼窩に直接声が響く
そこに何かが触れる
ちりりと熱く感じた
けれど、違うのかもしれない
薄い皮膚を伝わるそれは、じわりと温かく、柔らかい
固まった睫毛から、目蓋へ
濡れたようなそれがゆっくり撫で上げ、離れる


くっと微かに喉が鳴るのを聞いた
小さな吐息が頬に触れた
傍に唇がある
そして また

しっとりと温かな舌が、強張った血を舐め取っていく
ざらつく皮膚を溶かしていく


「簡単だ、こんなの。
結局その程度の"汚れ"だ。 こびりついても洗い流せば綺麗に落ちる。 何も残らない。
そんなものが、おまえを殺せるか?」


目蓋の合わせ目が熱くなる
じわりとゆるんでいく
内側から潤んで 溢れて
空の眼窩に水晶体を結ぶ


「どうってこと、ないだろ。 おまえは生きてる」



目を、開けた











沼が広がっている
何色か言い表す気も起きない
元は、さて何だったのか
後はただ腐り落ちるだけの残骸共

こんなものが、どうして私を傷つけることが出来る


へばりついた片目を無理やり指でこじ開けた
血の塊がしみて涙が出る
どうということもない
涙も血も、所詮、外殻を滑り落ちるだけだ
もう私を殺せはしない



「……挨拶を まだ返していなかった」


涙で濁る声を喉奥で捻じ伏せる
両目が熱い
二度と冷めないならそれもいい


「初めてまして……私が、リザドだ」


目眩をもよおす肉色の沼
私よりもっと怖ろしいものが、そこに立っている
私を見下ろして、笑っている


その目の 銀の深淵が
何よりもおぞましく
何より優しかった

































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初任務マーブルトリパーの人でした。
何者にも傷つけられない→何物にも汚されない→私は美しい
……ちょっとキツイかな。
途中のアレとかソレは、小さな子供と一緒にいるときのお母さんの行動を思ってくださるといいです。
ごはんの時とか、けっこう何でも舐めちゃう。



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