1.蟹とサガ  2.蟹と山羊  3.魚と蟹  4.蟹  5.サガと蟹

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1. 儀式
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眠る場所を知らず 眠りを許す夜も知らず
疲れ果て 崩れ落ちた人の
慎ましい吐息を聞く。

今日は 雨。
雨。

昼でも夜でもない 灰色の夢の中を
あてもなく彷徨う人の
倦み悩む 微かな寝息を聞く。

今日は 雨。
雨。

眠ればいい。
眠れなければ 真似事でもして


そのうちに 夢も終わる。


「……デス」
「んー、起きる?」
「……ああ」

長い睫毛 持ち上げた
雨に覚めた青空みたいな眼球の 底。
脳髄の更に奥 血膿のぬめる淵に向かって
名前を呼ぶ。
今ここに 存在してはいけない人を 呼ぶ。

「おはよう、サガ」


その髪を梳いて
その足を立たせ
その手に 冷たい仮面を渡して

俺は 跪き
神の如き人に 首を垂れる。

「教皇」














2. ごはんですよ
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貪ることは運命だが、貪欲であることと等しくない。
次へ次へと指を伸ばしながら、咀嚼した その、舌にねとりと絡みつくものを
むせもせず飲み干した喉の奥、まだ残る香り。
彼は、ほのかな感傷を 覚える。

全く自分の足で立つことはなく
日の昇らない荒野に寝転び、暗い雲を眺めている。
見れば、彼の導いた者たちは、山の頂を目指している。
歩いてゆくその先には、何も無いのだ。
登ってしまえば堕ちるだけ。
次へ次へと さようなら。

貪ることは運命であるから
彼は飽きもせず 死人たちを眺めていたが
ふと 気づいた。

「……メシ、食わなきゃ」





その夜遅く、磨羯宮に戻ってきたシュラが、私室の明かりをつけると、
床にごろんと悪友が寝転がっていた。
口広の金魚鉢を抱え、シュラを睨んでいる。
意味が分からないのでつけた明かりを消した。

「消すなよバカッ 寂しくなんだろ!」

もう一度明るくなる部屋。 喚く悪友の腹をとりあえず踏んで。
何が寂しいのかと見下ろした、色らしい色のない目は

「どけよバカ。 俺は忙しいんだよ」

すげなくその足をどかし、さっさと立ち上がる。
金魚鉢は、ついでのようにシュラの手へ。

「遅いから罰。 これ持って正座な」

けらけらと笑い、そして唐突に部屋を出る。
シュラは、ガラスに湛えた水の中、悠々とした金魚の赤い背を
しみじみ眺め、待った。
そのうちに、バターの良い香りが漂ってくる。
さして間をあけず、声が呼んだ。

「ゴハンよー」


どうやら、下ごしらえから何まで大方を終えていたらしい晩餐は、
シュラにとって、本日二度目となるものだったが。
二人は何も言わず、湯気の立つそれを口に運ぶ。
じわんと広がる 温かく溶ける
咀嚼する
互いがそこにあるということ。



ソファで寛いだシュラが本を読んでいるうちに、
一人で後片付けを手早く済ませてしまった悪友は、やはり唐突に、部屋を出ようとした。
けれど、足を止める。
肩越しにシュラを振り返り、軽く上げた手の指ぴらぴらと。

「おやすみ」

そして、返事も待たずに夜の闇へと消えた。


その背を見送ったシュラは、また視線を本に落とす。
まるで覚えのないページが、そこに開かれていた。
















3. とんこつ
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アフロディーテは、己が何者であるか知っている。
己の心の定めゆく末を知っている。
故に。
向かいに座る旧友の、珍しく散らかした炒飯の皿を眺め、
心の内では 誰も知らない微笑を浮かべた。
ややあって、旧友は口を開いた。

「それ以上、言うな」

静かに。
それが望みだというように。

「おまえにそれ以上何か言われると、目から鼻水が出る」

そして、後はもう何も言わず、チャーシューを口に放り込んだ。

店はまた混んできて、二人の沈黙に気ままな色をつけてゆく。
台の上。 テレビのアナウンサー。
そういえば今年ももうクリスマス。

アフロディーテは、ただ美しく微笑み
温かいうちにと箸を取った。
















4. 無声映画
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たとえば、誰かの脳味噌を容赦無くぶちまける一発の弾丸。
そんなもので ありたいと、思い

(世界は 凪いだ 灰色)
(この色を、俺はずっと前から知っていた)


銃口の照準は常に正確。
引き金の、その指のため。
弾丸は虚空を衝いて誰かの頭蓋に今、触れたのだが。

俺は、嘔吐が止まらない。

灰色の世界と同じ色した臓器。
凪いだ土くれから生まれた心臓が、びくびくと震え、捩れてゆく、嘔吐。
吐き戻す炸薬を無理やり喉奥に飲み込んで

無様に吠える。








弾丸は既に頭蓋骨を粉砕。
華々しく貫通しぶちまけた赤い鳥。

良く出来ました、今日も。

明日も。




(どこの狗が吠えている)


























5. 眠らない
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その音は優しい。
その声は優しい。
私はうっとりと目を閉じる。 彼が歌っている。
私の髪を洗いながら、透明な吐息のように
低く掠れて。
どこか、遠く
あれはたしか東の 古い国
名前も忘れられた国の
歌は、低く掠れて、流れ。
私はうっとりと目を閉じる。

「子守唄なのか」
「さァ、良く知らないんだ」

水の雫が落ちた。
彼の声は無かった。


私は なにか とても酷いことを 言ってしまった


泡だらけの手が、私の後ろからすっと伸びて
虹色のシャボン玉を追った。






眠らない彼は
眠れない私に付き合って、今日もまた、私の隣。
枕元の小さな灯りで本を読む。
寒くも暑くもない部屋の
空気は全く動くことがなく
私はただ、彼の温みの傍ら。
眠れない私の意識は静々と彷徨う。
夜でなく、日暮れでなく、薄暗い部屋の
小さな灯り一つ頼りに。

泥濘の海が広がっている。
深淵は私の底に堕ちるもの。
やがて 歩みを止めて
冷えていく


私は なにか とても酷いことを 言ってしまったようで
けれど、そうではないと彼は言う。
(私の不安は尽きるということがなく)
(後から後から私を追い抜いていく)
(彼は、)



やがて、冷えて崩れる泥の塊。

「おやすみ」

彼の声はもう遠く、どんな色かすら分からない
眠らない彼は、どこを見ているのか
透明な別離が私を置き去りにする
一瞬、全てを詰る



彼は、眠らない。






























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おはようからおやすみまで。

ずっと傍にいるようでそこにいなくて、
離れているようで知らない内にするっと侵入。
捕捉しづらい蟹さんでした。

サガは、普段は眠れないんじゃなくて眠らない。 仕事大好きっです。
でも、ある日薬が切れたみたいにじわじわとダメな子になっていくと良いです。
そういう時は、眠れない。
じゃあ蟹さんはいつ眠るの? という話ですが。
やっぱり眠らないんじゃないですかね。


5だけは書いた時期が違いました。





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