書架の左、隅のほう。
返しそびれてそこにある、紺の背表紙を、
私はまた、引き出した。

年に数度も手に取ることはないのだが、
角や縁はいつのまにか傷み始め、紙は淡い蜂蜜色に染まった。
重ねた時間が、柔らかく香る。

机へと歩きながら、何とはなしにページをめくっていった。
そのうちに一つ、二つと、付箋が現れる。
小さく書かれたメモは、この事典の持ち主の字だ。
見ていくと、メモの一つは以前に端が折れたまま本を閉じてしまったらしい。
挟み込まれた部分を広げ、またページをめくる。

そうして、目当ての事項に辿り着くまで、彼の書いた注釈を眺めていた。




彼は、許されざる大罪を犯した者として処断され、
咎人について語る全ての物はこの聖域から処分された。
その厳命を遂行させたのは、私達だ。

だから、三人だけで。
私達の宮にあった、彼のくれたものを、処分した。
大したものはなかった。
聖闘士だった彼が、勅命で様々な地域を移動する中で手に入れた、
子供が喜びそうな、(そして彼が喜びそうな)ちょっとした品々が、ほとんどだった。
それを、炎にくべた。
赤々と燃えた。





確認しようとしたページには、銅版画が大きく載せてある。
どこか生物的な印象を抱かせる幾何学図絵。
交叉し並行する黒線と、それについての解説文をざっと頭に入れ、
右に貼ってある、彼のメモにも目を通す。
彼は独特の解釈をする。


彼が、どのように死んだのか、遺骸はどうしたのか。
私は知らない。
あの二人のどちらかが知っているのだろう。



(痕跡など、光に晒され、風化し、雨と大地に溶け合って、)
(何も欠けるところのない世界を、私は呼吸している。)






この手には、ずっと返し忘れていた彼の本。
机からペンを取り、彼の字の横に、私の解釈を書き加え、
また書架に戻した。



























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それだけのお話。






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