走る。
走る。
子供が駆ける。
真昼の空の、乾いた光と風の強靭さ。
小さな拳で殴りつけるように、もがくように、駆けつづける。

(失敗だ)
(失敗した)
(間違った!)

ようやく見つけた木々の陰。 崩れた遺跡の壁の下。
盗人のように滑り込んだ子供の手に、
小さな手の中で、小さな色と色が、からんと鳴った。
はっとして、こわごわ覗き込む。
あんまり走ったから、壊れてしまったかもしれない、その

ガラス瓶の中、金平糖。

揺らすのが怖くて、そっと目の辺りまで持ち上げた。
陽の明るさ、眩しさ、レンズが歪ませ透きとおる、光る。
赤や、黄や、緑。
色とりどりの光、光、光。
あどけなく魅入られた目に、鮮やかな花が咲き乱れる。

けれど、子供は きっと唇を結んだ。

ガラス瓶の砂糖菓子は、
盗ったものでなく、
傷つけ奪ったものでなく、
それら誇らしいものではなく。

子供の手をすっぽり包んでしまう大きな手が、彼に与えた
与えられた、恐ろしい 無償の
贈り物なのだ。

そんなものを受け取る術は、
(当然のように与え、与えられるなんて、そんなの)
忘れてしまった。

結局子供は、彼のちっぽけな誇りが情けなく唸るにまかせ、
その実にささやかな好意から、逃げ出した。


(失敗した)


引き結んだ唇、閉じ込めた喉に、力を入れる。
見開いた両目、頬が熱い。
きっと走ったせいだ。 心臓がこんなに跳ねる。
赤い火花がぱちぱち湧き上がって、どこもかしこも熱くなる。 じっとしてられない。
閉じ込めた喉の奥、込み上げる。

(失敗した!)

何を、

(間違えた!)

どうやって、

(あんなの、ない)

伝えればよかったのか、あの時。


幼い胸を瞬く間に占拠した哀しみと、
同じものから生まれた真逆、その衝動は、
稚拙な舌と言葉を借りられず、喉奥で大きな火花が弾ける。

見開いた、子供の目に。
咲き乱れる、舞い落ちる、光の、花 
涼やかな、甘やかな、光の花。


彼に与えた、その手は











走る。
走る。
子供が駆ける。
真昼の青と、光と影の俊敏さ。
砂埃と、憂いとを、痩せた脚で跳ね上げて。
駆け上がる石段は、幾人か擦れ違い、幾人か制止され、
伸ばされる腕には下をかいくぐり。
雲上の宮を目指し、走る。


やがて到る神殿の、一つの扉を蹴り開けた。

「じじいッ!」

勢い良く叫んだ子供は、止まった。
たしかに彼の言うじじいはそこにいた。
年経てなお凛と立つ大樹のように、威厳と大らかさに満ちて。
しかし老教皇の周りを囲む、見知らぬ顔の大人達は。
突然の小さな闖入者に驚き、そして疎ましげに眉を顰める。
子供は、熱がすっと冷えるのを感じた。


彼を見る顔、顔、顔。
良く見知った表情を浮かべた、顔。
顔達はいつも、"命を刈る者"を、見咎めるのだ。


冷えた口の中、悔いの苦みなどすぐに消え去り、
子供は"顔"を睨みつける。
いつも、いつも、彼はそうだったのだから。
その時、老教皇が口を開いた。

「マニゴルド」

静かに、忌まれた名を呼ぶ。
睨むことしか知らない子供は、黙っていた。
教皇の仮面を、大きく目を見開いてじっと見つめる。
両の指は、しっかりとガラス瓶を守っていた。
色とりどりの小さな花は、脆い。

「甘いものは、嫌いか」

ふるりと首が横に振られる。

「好きか」

子供は、動かない。 ただじっと、老人を。

「私は好物でな。 ついつい手が伸びてしまう」
「……じじいが?」
「おかしいか」
「変なの。 じじいのくせに」

聖域を統べる教皇を、悪びれもせず "じじい" と言う幼さに、
目を怒らす大人達の間を、子供は進む。
くっと顔を上げ、彼のじじいを真っ直ぐ見据えて。

「じじいは、どの色が好き」

ガラスの中、結晶の花が遠慮がちに揺れた。

「私にくれるのか?」

答えを待たず、子供は老人の手を取ると、掌に砂糖菓子を半分ほどもあけた。
そして、くるりと背を向け、さっさと部屋を出ようとする。
子供は、まだ気づいていなかった。
唇にふっくらと浮かぶ、柔らかなもののことを。

「ありがとう」

背中から聞こえた言葉に、子供は振り返った。
丸くした目の、睫毛がぱちり、瞬きする。
その驚きもほどければ、今度こそ、彼は笑顔になった。

「ありがとう」


子供は駆ける。
晴れやかな色と光の世界へ、扉を抜け。











































掌に咲いた花、花を、零れぬように一つ摘む。
老教皇は、体裁の悪さに身動ぎする神官達を見やり、至極当然に言った。

「やらんぞ」





















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子マニとジジ様。
そう簡単には懐かないお子様だったらいいですよ。





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