東雲遠い空に啼くは 鴉か、狗か、何者か。
冷たい淵の底で、俺はそんなことを考えている。
水の外では世界がまだ眠っている。
夢の終わりに俺はいる。
朝を待ち、水の底を出る。










































しんと冷えた夜明け前、うすぼんやりとした家の中
ゆるく空気が動いている。
すぐにわかる、コーヒーの匂い。

目をつむったまま寝床から跳ね起きて、重たいまぶた開いて床を蹴った。
広くはない家の、そのドアを開ければ
サンタがテーブルで新聞を読んでいる。

「遅ぇぞ 盟」



サンタといっても、おじいさんじゃない。
サンタといっても、赤い服と白いヒゲじゃない。
目の覚めるような赤いシャツを着ることはあるけれど、
今日のクリスマスの朝に訪れたサンタを見て、おれはもう一度目が覚めた。
スーツだ。
もちろん赤じゃない。ずっと地味な色の、要は普通のだ。
サンタは、いや、師匠は、
それが当たり前の顔して、コーヒーを飲みながら新聞をめくる。
ああ、このサンタはこれからどこに出勤するつもりなんだろう。
いや、今帰ってきたのかもしれない。
ネクタイが緩められている。


おれは、ちょっとびびってる。
パンをコーヒーで胃に詰めこみながら、目の前にいるサンタをちらちら見てしまう。
サンタは突然やってくる。
サンタはいつも思いがけないタイミングでやってくる。
こんな、クリスマスの朝
おれはサンタが来るとは思っていなかった。
おれのイメージでは、サンタさんはきっと誰も知らないところで活動するものなのだ。
プレゼントを待ってる子どもとしては、どうせなら、聞き分けの良い子だと思われたい。
だから、おれはちょっとびびってる。
むせてしまいそうになる。
コーヒーを無理やり飲み込んだ。
目が合った。






冬晴れの青空、岩がちの荒野。
軽く腕を組んでるスーツのサンタ。
なんだか、保険屋みたいだ。

思った瞬間、胃の中身をまた地面に吐いた。
生身の師匠に相手をしてもらうと、おれは大抵途中でこうなる。
まだ動けると思ってるのに、身体がついていかなくなる、体力が足りない、情けない。
情けない。
これがもしダンテ先輩なら、師匠は血反吐を吐かせてる。

足りない。
まだ何にもない。
脳が閃いて神経が跳ねるよりも速く、速くなりたい。
音の速さすら貫いて、光のような、
始まりも終わりも追い越してしまうような力が欲しい。

それが今、保険屋みたいな格好で、おれの前にいるんだ。

いや、銀行員?
とにかくなんだかそういうもの。
だから、まったくおれは、地面から立ち上がって、立ち上がるんだ。
唾を吐いて、拳で口をぬぐった。
土の味がした。






陽がかたむいたころ、サンタは言った。

「あ、忘れてた」

息一つ乱れてない。
おれよりずっと動きにくいはずなのに、そんなことも感じさせない。
おれは、地面に完璧な大の字で伸びてる。
身体が熱いんだか寒いんだか、ぐるぐるしてる。
ぐるぐる歪む空が夕暮れ。
薄紅がきれい。
口もきけずにいるおれを、サンタは見下ろして、

「とりあえず着替えろ、おまえゲロくさい」

おれは、残ってもいない力を掻き集める。
こういう時だからこそ、真摯に、全身全霊を以って事を成せとは師の教え。

「師匠こそ、なんか不気味ですよ その格好」

不穏なサンタは、にやりと笑った。






きらきらきらと。
街はクリスマスの光で飾りつけられている。
人の行き交う喧騒の中を、サンタは空気のように混じりこむ。
サンタの背中を追っておれは急ぎ足になる。
けれど、足元を走る小さな子、大きな荷物を抱えたおとうさん、
忙しなく、幸せそうな人たちの群れ。
ぶつかってしまいそうになるおれは、またサンタの背中を見失う。

やっと人の波が途切れた。
サンタは、ゆっくり歩いていた。
おれのほうをちょっと振り向いて、遅ぇ、と言って

「おまえ、なにが欲しいの?」



きらきらきらと。
色とりどりの包み紙。
チョコレート、キャンディ、パイにプティング、フルーツケーキ。
綺麗な光を山のように抱えて、おれは前よりずっとふらふらして歩く。
落とすわけにはいかない、子どものクリスマス。

「でも二人でこんなに食べるんですか?」
「心配すんな。どうせ"勝手に"クリスマス休暇の奴等が来る」
「勝手?」
「うちにそんな制度は無いからな」


そんなことを話しながら、歩く家路はだんだん紺色になる。
腕いっぱいに抱えたものを落とさないように、緊張する。
サンタは、ゆっくり歩いていた。
とてもはやく、ゆっくりと歩く。
おれは、夜と混じる、その背中をながめていた。

 " おまえ、なにが欲しいの? "

ほんとうは、おれは、何も言えなかった。
頭の中がからっぽで、なんにも浮かんでこなかった。
なぜなのか、よくわからない。
今、両腕いっぱいに持ってる、この綺麗なお菓子だって、とても嬉しいのに。

ああ、嬉しいんだ。きっとそれだ。
クリスマスにサンタがいるなんて。



背中が立ち止まった。
おれも立ち止まった。いや、止まっていたのはおれのほうだ。
師匠は不思議そうに首をかしげた。
そうすると、夜に混じり込んでいた光が、動くんだ。
暗い水の底で泳ぐ魚みたいに、ちかり、と、その髪や目が。

「持ってやらねぇからな」
「わかってますよ」

笑ってまた、ちかりと光る、その銀色がほしいとおもった。




いつか、おれがもっとましになったら、あの人にわがままを言おう。











































しんと冷えた夜明け前、テーブルのコーヒーは冷めている。
あの銀色は、もうどこにもない。


小さな淵には氷が張り、魚は消えた。
寒々とした暗い水底に残されたのは、まがいもの。
無いものねだりでぎらぎら光る。

冷たい淵の底で、俺はずっと考えている。
東雲遠き空に啼くのは、鴉でなし、狗でもなし。
嗚咽しているのは俺は何者か。




水の外で世界はまだ眠っている。
夢の終わりに俺はいる。
朝日が来れば、水の底から滑り出て、
微笑みながら世界の中に混じりこむ。

無いものねだりの銀色を晒し、いつまでも、いつまでも

笑ってやる。















































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一度は書きたい、盟ちゃんと師匠の髪の色の話。

なんで師匠がそんな訳わからん格好なのかは知りませんが、
直帰で弟子のとこに来る姿勢のほうが重要だと思ってあげてください。

盟ちゃんがどれくらい女神や聖域のことを知っていたのかは、
ギガントマキアでは、あまりはっきりと書かれてなかったと思います。
が、その立場上、聖域にとって面白くないいくつかの情報に触れる機会は、
城戸家にいた時点で既に存在していても、おかしくはなく。

そう考えると、師匠との関係性にちょっと緊張感があって、いいですね。





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