本宅の雑記より、比較的まとまっている部分を抜粋。一部修正。
基本は蟹。というか年中組+サガ。
長いんで、ひまつぶししたい時にどうぞ。



■逆賊上等蟹様語 その1
【前書き】

さてさて。
蟹といえば☆矢ワールドの中でも「悪役」とか「やられ役」というポジションがホントに似合う奴だが。
実際、このマンガはやられる人間が多い。
メインの青銅5人と相対した人間は大抵負ける。下手すると一撃を以って退場する。
が、しかし。
やられ“役”と言っていいほど徹底した、いっそ胸のすくようなやられっぷりをしてくれるのは、蟹以外におるまい。
原作、アニメ、劇場版を通して、裏切りまくりやられまくり。
死んだとしても復活するとまた裏切る。
そんな面と、大勢の人間を殺したっつーあたりで、「悪役」というイメージもすっきり固定してくるんだろう。

だいたいこのマンガは悪役と言える人間があまりいない。
蟹以外を考えると……、
自分ちの神様殺して自分が地上を支配しようとした黒サガとか、
神様騙くらかして地上と海界どちらも支配しようとしたカノンとか、
そんな感じかね。
他といえば、海界連も冥界の人たちも、自分ちの神様信じただけだし。
敵ではあるが「悪役」とはまた違うような。
ちなみに。
仮に殺傷数で悪人を語るなら、この三人の中ではカノンが一番だ。
蟹とはちょっと桁が違うね。

まあ、そんなわけで 「蟹=悪役、やられ役」 っつー、イメージがあるが。
蟹について考えていくと、どうもそれだけでは収まらん気がするんだ。
ということで、以下、そこらへんについて考えていきたい。
材料の基本は原作。アニメはあんまり知らん。
OVAのハーデス編とギガントマキアとエピソードGは蟹について好意的であると解釈し、参考程度に見ていく。
そして私の姿勢といえば、蟹最愛、キャンサー至上主義。
であるが、そこはなるべく客観的に、私情は適当以上にはさまないように頑張ろう。




さてさて。
蟹といえば紫龍。
というと何だかなーな感じがするが、作中にて蟹と一番対峙し、かつ蟹に対して非難ごーごーなのは紫龍なんだ。
で、彼が蟹をどんな点で非難するかっつーと。

1)教皇が悪であると知りつつ加担していること。
2)1に関連して、蟹にとっての「正義」は、女神を絶対のものとしていないこと。
3)蟹が今までに大量の人間を殺してきたこと、かつその中に子供すら混じっていること。

この3点なんだが。
んー、たしかに少年マンガ的には蟹は立派な「悪人」だ☆
が……それだけかなーと思うと、少し違うような。


というわけで。
1)教皇が悪であると知りつつ加担していること。
について考えてみる。

ところで、教皇様の悪ってなんですか?
とりあえず確定しているのは、
◆13年前に教皇がアテナを殺害しようとしたこと。
◆それを止めようとした射手座のアイオロスに逆に罪をかぶせ、アテナ殺害を企てた逆賊として処分したこと。
◆以降何食わぬ顔で聖域の頂点に立っていたこと。

でいいと思う。
蟹はそれを知っていて、黙って教皇に仕えてきた。
アテナを守護すべき黄金聖闘士が、アテナを殺そうとした悪を放っておいたっつーのはどうよ!
というのが紫龍少年の主張なわけだ……。

が。
放っておく以外に何ができたんだろう、とも思う。
原作では「教皇=悪」と分かっていたのは、蟹・山羊・魚の三人。
三人がいつ真相を知ったのかは語られてないから分からないが、
仮にそれが13年前として、蟹と山羊が10才で、魚は9才。
他の黄金聖闘士が7歳くらい。
ううーん、ガキしかいねえ!
既に聖衣をもらってることを考えても心許ないなあ。

それに対して教皇は?
アテナは既に聖域にいない、だいたい赤子なんで力を行使できない。
老師は五老峰を動くことができない。
次期教皇候補のアイオロスも既に死んでる。
……とすると、事実上その時点での、地上最強生物だ。
その教皇を相手にお子様三人ってのは、つらい。かなりつらい。
例の三位一体反則技、アテナエクスクラメーションを使えばどうにかなるかもしれんが。
とにかく、教皇とお子様ズが対峙したら双方に被害が出るのは必須。
そして話はこの4人だけで済まず、他のお子様黄金聖闘士も巻き込むだろうね。
するとまあ聖域内は混乱、どころじゃ済まねーですな。
崩壊しますね。
仮に教皇をどうにかして粛清できたとしても……運が良くても後に残されるのはお子様が何人か。
政治的な頭が、統治できる人間が誰もいなくなってしまう。
アテナも老師もいないしね。
それはちょっと……うまくないわな。

まあ、三人がいつ真相を知ったかは分かない。
しかし、そもそも聖域が。
黄金聖闘士が何のために存在するかといえば、聖戦に備えてのものなんだから。
三人が真相を知った時点で、教皇と事を構えなかったのは、間違った判断ではなかったと思う。
無駄に戦力減らしたくないし。


もう一つ。
教皇は何故アテナを殺そうとしたのか。
というか、まあ、サガについて。
ムウ曰く、サガは二重人格。
しかも人格の振れ幅がケタ違い。
神と悪魔が一つの身体の中にいるかのような。
しかし、果たして本当に二重人格だったのかは……。

「教皇=サガ」だとあの三人が知っていたかどうかは原作で語られていない。
ただ、知っていたと見たほうが、彼等の「力=正義」論にしっくりくる気はするが。

まあ、とにかく。
事の発端は教皇であるシオンが、サガを目の前にして次の教皇にアイオロスを指名したこと。
神のような男と言われたサガは指名されなかった。
シオンはサガがただ“神のような”男、それだけだとは思っていなかった。
そして(案の定)サガのもう一つの人格(とりあえず便宜上黒サガ)がシオンを殺害。
以降教皇に成りすまし、いつか真実を看破するであろうアテナ殺害を試みるも、アイオロスによって失敗……。

で、この黒サガが何のためにそんなことをしたのか。
何を目的に権力の簒奪者になったのか。
それは、彼に言わせれば地上を守るためだったりする。
黒サガの主張ってのは、
「神話の昔から無数の邪悪、他の神々に狙われている地上を守るためには絶対的な力を持った支配者が必要。
そしてそれこそが自分である」
とかそんな感じで。
ちっちもアテナを頼りにしてないんだな。
自分の力しか信じてないんだな。
「力=正義」という考え方は、そもそもサガが最初なんじゃないかと思う。
何でそんなにアテナを信用してなかったのか。
ううーん、妄想どころですね。
とにかく。
黒サガの目的は(そのやり方はどうあれ)地上の平和だった。
そのために聖域を維持しようとしていた。
だからこそ、(おそらく)元々の人格である、神の化身と言われるほど心の清らか(らしい)白サガが
アテナ放逐後の13年間、自害もせずに教皇として聖域にいたんじゃないかな。
アテナのいない聖域を維持するためにはサガが必要。
それを理解しているからこそ白サガは死ぬわけにいかなかった。
そして討たれるわけにもいかなかった。
シャカが「教皇=善」と言い切ったのも、どちらのサガの目的も同じく、地上を守る、というものだったから、だと思う。

と、いうわけで。
状況、聖戦が近々必ず起きるという事実、教皇の目的から言えば。
三人が教皇に抗する理由はあまり無いように思われる。
しかし今見てきたのは三人の受動的な状況だ。
それだけなら13年後にアテナが聖域に来た時点で教皇を切ってもいいはず。
が、三人はそうしなかった。
寧ろ一蓮托生。
教皇側についた後悔を欠片もしないまま死んでいった。(山羊は除く)
ならば、状況的に不可避だったにしろ、三人が教皇に能動的に仕えた理由はなんだったのか。
原作を読む限りでは、その理由の一つは彼等の「正義についての捉え方」のように思われる。
そんなわけで話は前述した、紫龍が蟹を非難する点その2に繋がるわけだが。
長いな……
しかし吐くよ。
吐きたい気分なんだ!





■逆賊上等蟹様語 その2  正義って食えますか。

その2、というわけで。
紫龍が蟹を非難する点 2)蟹にとっての「正義」は、女神が絶対なのではない、について。

言わずもがなだが、アテナの聖闘士にとって正義とはアテナのみだね、普通。
がしかし、蟹、山羊、魚の三人に言わせるとちょっと違う。
以下、基本的に原作に依拠。


蟹の主張
五老峰での老師との会話をまとめると、
「何を以って正義とするかは不変でない」

→たとえ教皇は女神を放逐した悪だとしても、(最終的に教皇が全てを平らげてみせれば)、未来においては正義とされる。
……ううーん、教皇肯定。
実際は( )の中は無かったんで、肯定したいのね感をより強く思うわけだが。

蟹が言うことは、別に間違ってはいないと思う。
ただね。
ここで「評価の流転する正義と悪」の例として挙げるのが、ナチスと日本軍なあたり……。
そのどちらも、過去において絶対の正義とされ、敗北の後に悪とされたものだから。
蟹自身への皮肉、と取れなくもない。
実際、そこらへんをアニメでは老師にツッコミ入れられてましたが。
そして蟹の態度も皮肉を言っているようなものではないことを考えると、無意識の自嘲、内心の吐露。
または老師の説教に水を向けたかった……。
アニメでの老師と蟹のやりとりはなんだか蟹が放蕩息子みたいで楽しい。
ただ、アニメの老師の切り返し方は、「力=正義」論を否定できてないと思うが。

蟹と、山羊さんを比較するとなかなか思うところがある。

◆山羊の主張
死に際の台詞から考えて、
「人間が戦うのは全て自分のため。ならば勝った者こそが正義を名乗る資格がある」

……うんー?
前半部がつくだけで蟹の主張とは印象違って見えますね。
個人個人の生存競争、その勝利者=正義、ってあたり、蟹より武人っぽい……つーか修羅なんだろうね。
一応この主張も、教皇肯定の文脈で言われてはいたが、どうにも前半部が引っ掛かる。
つまり山羊にとっては、教皇だろうがアテナだろうが、結局自分のために戦ってることになる。
その見方は「地上を守る」という黄金聖闘士の立場からも引いた位置にあるように思う。
逆に山羊に聞いてみたい。
どうして教皇の側についていたのか。
山羊の論では山羊もまた自己目的、自己利益のために教皇についてたことになる……。
最期の場面で紫龍のもんのすごい自己犠牲な論を聞かされてガビンとなってたあたり、
山羊の過去に何があったのか問い詰めたい。

魚と見比べると更にそう思う。

魚の主張
「力こそ正義。教皇は聖域を治めるにふさわしい力を持っている。だからこそ今まで地上の平和は保たれた」

……うーん、分かりやすく教皇肯定派。
ま、実際、聖域みたいな超中央集権、絶対権力者による直接統治っつーシステムなら、
無能な為政者など害悪にしかならんね。


三人それぞれ細かく見ると違いがあるが、共通しているのは、
アテナは絶対の正義とは言えない。正義となるためには力が無くてはならない、勝たねばならない。
つー感じでしょうか。
とりあえず、魚は親教皇派。
蟹のは、言ってしまえば全ては“流れ”に過ぎない。
それでもあえて教皇側に立つのはやはり親教皇派なのかな。
山羊は、個人的には一番不穏なように思える。

しかし、気になるのはいつからこういう論になったのか、だ。
三人以外の黄金聖闘士を見ると、「女神=正義」が確固たる図式としてあることを考えれば、
三人も元はそう考えていたかもしれない。
推測に過ぎないことだが。
では三人が変わった切っ掛けは何か。
それはやはり真相を知ったからだと思う。
知った上で、それを現実として受け止めるために、教皇を肯定する論を作り出したんじゃないか、と。
蟹が「教皇肯定」についてはよく喋ること、
魚の「幼い赤子などになにができた?」という台詞を見てるとそう考えたくなる。
二人の「力=正義」という論は、教皇肯定のために語られている。
それは、口に出さねばならないものだったのかもしれない。

ここまで考えて。
やっぱり三人とも「教皇=サガ」だと知ってたんじゃないかなーと思う。
教皇が女神を放逐したことを知ったとして、何故教皇が? という疑問が当然出るはず。
サガの側からしても三人が真相を知ったのなら、自分がサガであることを隠している必要がないような。
また、もし先に「教皇=サガ」だと知っていのたら、当然事件の真相も知っていることになるし。
それに。
「教皇」自体には一応、地上を守るという大義名分がある。
けどサガにはない。
サガが正義になるためには唯一、「力=正義」という論しかない。
そんなあたりから考えて、「力=正義」を唱えた三人は、サガが教皇だと知っていたのかもしれない。
ま、本当のところは分かりませんが。


勿論、元々そういう「殺伐として身も蓋もないが、真実であろう正義観」の持ち主達だったとも考えられる。
しかしそう考えるには、特に魚という人は紳士過ぎるくらいなんだよ……。
敵を苦しめるのを良しとしない、無駄な血が流れることも好まない。
そんな魚が、神とはいえまだ何もできない幼子を殺そうとしたサガを肯定するような論を、
そもそも持っていたとは考えにくいような気がする。
魚は、蟹もそうなんだけど、どうも論と行動、態度にズレがあるような気がしてならないんだ。
山羊は……山羊は何なんだろうなあ……魅惑の三白眼だからなあ……。


しかし、そもそも何でこの三人はサガの側につくことを選んだのか。
1)でも言ったが受動的状況は揃っている。
しかし最後までサガを切らずに付き合ったのは何故か?
ここから先はもう本当に推測、いや妄想の果てだ。
私としては、何かしらの人間的な、不条理で不合理な、ものがあったと思いたいです。



最後にちょっとまとめると。
三人の「アテナを絶対正義としない、いわば相対的な正義観」は基本的に教皇を肯定するためのものだ。
だから「アテナ=絶対正義」という、聖闘士の鑑のような紫龍から見れば、この主張は“悪”確定。
が、もしもアテナが教皇に負けていたなら決して正義とは呼ばれなかったであろうことを考えると、
この主張はそう間違いではないと思う。
個人的に言えば、組織の中に多様な価値観があることは健全な証だと思いもするがね。






■逆賊上等蟹様語 その3  それは言わないお約束

や、なんだか長々と語ってきた気分ですが。
次は紫龍が蟹を非難する点の
3)蟹が今までに大量の人間を殺してきたこと、かつその中に子供すら混じっていること、について。


蟹の守護する巨蟹宮といえば、浮かび上がる無数の死に顔。
曰く、蟹に殺された恨みつらみで成仏できずに巨蟹宮をさまよっているらしい。
その中には子供の姿もあって、紫龍はもう本当に怒ってしまうわけだが……。

しかし、だ。
仮に「殺人=悪」とするなら、蟹だけでなく紫龍自身も悪になるんだが。
何か?
「アテナ=絶対正義」のために行った殺人は善として肯定されるのか?
しかし蟹も私事で殺人をしたとは一言も言ってないんだが。
蟹の言い振りだと、あくまで「勅命」だから敵を殺した、らしい。
とすると蟹と紫龍の差は単に立場の違いのように思えてくるんだが。

じゃあ「大量殺人=悪」として蟹を非難してみようか?
ほほ〜、善悪の基準は殺傷数の大小に求められるのか。
んじゃあ何人くらいまでなら殺してもセーフなのかな。

結局、殺すだけの力を持ちそして殺してきた人間が、同じ立場の人間を、その殺し方で非難しても、
どうにもならんと思う。

じゃ、蟹はやっても紫龍が絶対にしないであろう、「子供を殺すこと」についてはどうか。
ちなみにエピソードGの蟹は老若男女選り好みせずに殺してきたらしい。
原作ではその件について、「しらんな」の一言で終わってる。
あっさりしてるね。
えーっとつまり、勅命を果たす途中で巻き込んだことはあったかもしれない、ということらしい。
そして紫龍曰く、そんなんは正義の戦いとは言えないから悪確定。
……あー。
まあ、別にそれでいいんですけどね。
倫理的に言えば、蟹は悪の他何者でもない。
つーか、それ以外であってはいけない。
……ただ、正義の戦いって、何なのかなーと。

一つ絶対に言えることは。
紫龍の中には「蟹に殺された人=罪もない人」「子ども=罪がない」という図式がある。
しかし本当にそう言い切れるものなんだろうか。
紫龍は蟹の過去の殺害について、その状況を何も知らない。
原作でも詳しいことは語られないままだった。

罪が在るとか無いとか、善とか悪とか、紫龍が決めることなのかな。
決めてもいいけれども、それに見合う分の責任は取ってもらいたいもんだ。

ま、蟹は自分を善であるとは一言も言ってないし、教皇のことも肯定はするが善と言ってないし。
紫龍は蟹を悪と言うんだから、双方に意見の一致が見られそうなところで、蟹はもう悪でいいよ。
ここらへんをつっこむと、身も蓋もない。
そしてたぶん紫龍が可哀相になる。
だからもう蟹は倫理的に、すっきりさっぱり悪でいい。
つーか、蟹を前にして倫理を説くのがまず間違いだ。

代りに、印象を言わせてもらうと、
蟹は自分の言いたいことを言うが、人の意見は聞かない。
蟹の言い分は兵器の言い分だ。
こんな感じで。



ところで。
蟹が大勢の(罪がないかは知らんが)人間を殺してきたのはどうも間違いではないらしい。
が、この“大勢”ってのは他の人と比べるとどうなんだろう?
巨蟹宮は死に顔が浮かんでくれるから分かりやすい。
しかし、他の宮はそんなことがないんで比較できない。
そして、「他の宮には死に顔が出ない=他の黄金は誰も殺していない」というわけではないことを考えると、
実際蟹が他と比べてどうだったのかは分からない。
が、しかし。
人を殺すことを目的とするならば蟹の技が一番使い勝手が良いだろうことを考えると、
人死に関わる勅命を一番受けたのは蟹と見るのがやはり妥当かもしれない。
やー、実際便利だよなー。
蟹の積尸気冥界波は相手の魂だけを冥界の入り口に飛ばしてしまうことが出来るんで、
その死体を見る限り自然死。
くわえて蟹は老若男女の選り好みなし。
暗殺とか、ちょっとバレるとまずい殺人にはもってこいのコマですね!

ちなみに。
紫龍はそんな積尸気冥界波を二回受けてる。
劇場版も入れると都合三回。すごいな!
積尸気冥界波を食らって死んだはずの紫龍が生き返った時の蟹のリアクションが、
なんだか素で驚いているみたいで楽しい。
いい人だ。
生き返った人は今までいなかったのかな。
そりゃビックリするわな。
紫龍が戻ってくるのに女神の力が必要だったことを考えると、やっぱり滅多なことでは帰ってこれんらしい。
ま、その後もう一回食らわせてあっちの世界に送り返してしまうんだが。
問題はその後だ!
魂だけあっちの世界にいってしまった紫龍の身体を前にして蟹が何をしたかというと、
自分まであっちの世界に行ってしまう。
また生き返ると困るから自分の手で黄泉比良坂に突き落とそうとしたとか、そういうことらしいんだが。
ちょっと待て。
まず何よりも確実でかつ簡単なのは、魂が抜けてるうちに紫龍本体の首を落としてしまうことじゃないのか!
仮に魂が帰ってこようと、身体が完璧に死んでたらどうしようもないじゃないか。
と、その後の展開を知っているこちらとしては言ってみたくなる。
というわけで、何で蟹がそうしなかったのか考えてみたい。

1)紫龍が積尸気冥界波を食らっても帰ってこれた原因が、飛ばされた先にあるかもしれないと思った。
……これは結構いいんじゃないかな?
自分の邪魔をした原因もついでに探るために冥界の入り口に自分も行ったのかもしれない。

2)基本的に、積尸気冥界波を受けて帰ってこれた奴がいないので、死体相手にどうにかしようとか思わなかった。
……今までそんな必要が無かったから、蟹も気が引けたのかもしれない。
1,2を合わせて、とりあえず紫龍がどんな様子なのか見に行くつもりになっただけかもしれない。

3)完璧に紫龍を侮っていた。あっちの世界でまさか負けるとは思わなかった。
……まあ、普通負けると思わねーわな。こっち黄金で相手は青銅だし。
負けるっつーことが欠片も頭にない分、無抵抗な死体をどうにかするというのはプライドに拘るかも。

4)普段そういうのはシュラ様の役目だから。
……様を付けちゃったよ!
何か?
普段は積尸気冥界波で綺麗に殺す分、刃傷沙汰は山羊が担当ですかッ。
そりゃ奴は手足が既に凶器だからな! 小僧の首くらいあっさり落とすけどな!
そういえば蟹は普通に殴る以外、直接攻撃系の技が一つもない。
それはそれで良し。
まったく逆なのが山羊さんですね。



……実は原作読んでてここんところは疑問だったんだが。
だって多分これが無かったら蟹は負けなかったもん。
しかし1,2,3,と考えて、ようやくなんだか納得したような気分ですが、どうでしょう?





■逆賊上等蟹様語 その4  積尸気冥界波って何。

で、4です。
その3を書いているときにいくつか疑問がわいたので、それについて考えてみたいですよ。


積尸気冥界波って、何。

まず蟹唯一の必殺技ついて。
あれは何なんだ……。
前述どおり、敵の魂だけ冥界の入り口に飛ばす技なんだが、
なんで蟹がそんなことを出来るかというと、蟹座の散開星団プレセベが、地上の霊魂の天にのぼる穴だから、らしいよ。
このプレセベが中国では積尸気と呼ばれることから技名が出来たんだろうが……。
蟹はイタリア人なのになんで技が中国語なのよ。そして日本語読み。
や、まあ日本語読みのほうが分かりやすいからですけどね!

ちなみに、国籍or修行地が中国で技名が日本語読みな人間は他に二人いる。
老師と紫龍。
そこらへんのことと、五老峰での会話を考えて、蟹と老師は何らかの繋がりがあってもいいと思う。
つーか、そっちのほうが楽しいよ。
蟹の修行地はシチリアらしいけど。


話を続けるが。
☆矢ワールドで死んだ人間は普通どうなるかというと、
魂→積尸気→黄泉比良坂→冥界(ハーデス領)
こんな感じ。
おいおい、中国と日本とギリシア神話がごっちゃだよ、とか言わない!
とりあえず積尸気とか黄泉比良坂というのは便宜上そう言っているだけで、名は違えど概念は世界で共通にあるんだと思う。
つまり、あの世と、そこにいたる道だね。
その概念は多分とっても古いんだろうさ。人間が死を文化の中で捉えようとした最初かもしれない。
つーか。
私は蟹がなんでそんなアジアローカルな民俗用語を使うのか、のほうが気になる。

話を続けようとして外れていく気がする。
とにかく、普通死んだ人間の魂は天にある積尸気にのぼり、黄泉比良坂を下って冥界に落ちるわけだが。
この積尸気に強制的に魂を送ってしまうのが蟹の技、積尸気冥界波。
蟹の言い方からすると魂そのものにダメージを与えることも出来るらしい。
そこらへんの加減は蟹次第、気分次第。
ま、ここまでは分かりますな。
しかし蟹はたまに生身の人間も積尸気に飛ばしたりする。
なんつーか、積尸気直行の穴を作り出して放りこむらしい。(劇場版ではそれも積尸気冥界波だった)
蟹自身も積尸気は出入り自由。(多分生身だ)
しかし蟹よ!
普通は魂で行くところを生身で行くとはどういうことなんだ?
ちなみに蟹は積尸気で魂のみの紫龍と殴り合いをしたことがある。(蟹は生身)
蟹よ! それはありなのか?

と、思ったが。
よく考えたら冥界を生身で出入りできる人間たちもいるので、いいのかもしれない。
そして☆矢ワールドでは聖闘士は魂のみになっても色々ぶちかましてくれるので、
積尸気では生身と魂に、特に優劣はないのかもしれない。
要は何故お互い干渉できるのか気になっていたんだ。
ううん、積尸気を司る蟹だからこそなのか?


ところで。
積尸気で紫龍と蟹が戦っているときに、蟹が亡者に纏わり付かれるシーンがあるんだが。
黄泉比良坂を下ってあの世に行くこともしない、こっちの世界に生き返ることもできない亡者が、
蟹に縋り付く様は幼心にトラウマ級でしたよッ
ちなみにこの後、蟹はビビる紫龍を余所に亡者を笑いながら黄泉比良坂に投げ落としたりする。
蟹、とんでもない子ッ
紫龍はその姿を見て、こんな大人にはならないようにしようと心に決めたんだよ……。
しかし、紫龍は亡者をして「蟹に殺された罪もない人たち」と言ってたんだが。
そうなのか?
紫龍、なんで知ってるの? 亡者とお知り合いですか?

もう一つ不思議なことがある。
蟹はこの時、積尸気にいながらにして、中国五老峰で紫龍のために祈っていた春麗を滝壷に落としたりする。
理由:祈りがうっとおしい。
何ともな理由だが、何気にすごいのは、言わば別世界にいながらこっち側の世界を索敵してしかも干渉できることだ。
アンドロメダチェーン並のことを普通に素でやる蟹はちょっとすごいと思う。
しかしそれよりすごいのは、一般人の筈なのに積尸気にいる黄金聖闘士すら足止めできる春麗だったりする。
春麗の執念がすごいのか、蟹の感知能力、索敵能力がすごいのか……。
とりあえず春麗には聖衣を与えてもいいと思いますよ。


更に、だ。
考えてみると蟹さんちである巨蟹宮もけっこう謎だ。
蟹に殺された人間が成仏できずに巨蟹宮で死に顔として表れているらしいが。
……成仏できないぐらいで、何故死に顔が浮くの?
「成仏できない=死に顔が出る」としたら、他のキャラのところにだって死に顔が出そうなもんなんだが。
つーわけで、考えてみよう。

巨蟹宮って、いったい。

まず「成仏できる・できない」の問題だが。
仮定として、「成仏している」状態を、魂が完全に冥界に入っている状態だとすると、
「成仏していない」状態とは、魂が冥界にも入りきらず、現世にも完全な形で帰ってこれない状態なのかもしれない。
とすると、思い浮かぶのは積尸気在住さまよえる亡者さんたち。
紫龍曰く、「蟹に殺されたなんの罪もない人たち」ですな。
罪の有無は知らんが(だいたい何を基準とした罪なのか)、蟹に殺されたというのはあながち間違いではないかもしれない。

積尸気冥界波の話にちょっと戻るが。
あの技で積尸気に飛ばされた魂というのは、他の魂より自由が許されているようだ。
たとえば紫龍はガンガン動き回っていた。
しかし、他の魂は淡々と黄泉比良坂を落ちていっていた。
すると、積尸気冥界波で飛ばされた魂は、黄泉比良坂を下って冥界に行くかどうかの選択権があるのかもしれない。
つまり望めば積尸気に留まっていられる。
これが「成仏できない」亡者なんだろうか。
黄泉比良坂を下る気にもなれず、帰り道を探して迷っているのかもしれない。
とりあえず、「蟹に殺されて成仏できない」というのはこんな感じでいいんじゃないだろうか。
他の「成仏できない」状態については知りませんが。
たとえばアイオロスなんか「成仏?それ何語?」ってくらいに大活躍だし。

では、蟹に殺された亡者の顔が、何故巨蟹宮に出てくるのか。
原作では語られてないので推測に過ぎないが。
やはり蟹に殺されたというのが原因なんじゃないだろうか。
蟹は積尸気への扉を開けることができる。
つまり向こう側と一番近い位置にある。
積尸気自体が蟹の領域みたいなもんだから、向こうにいる亡者にとって、
蟹は地上にある中で一番近くに見えるものなのかもしれない。
場所でいえば、そこが巨蟹宮。
大人しく黄泉比良坂を下る気のない亡者たちは、恨み言の一つも言おうと巨蟹宮にコンニチハ!
蟹がそれをほったらかしにしておくもんだから、巨蟹宮は今日も満員御礼。
あるいは、積尸気冥界波が魂に関わっている分、殺された方と殺した方に何かしらの縁が出来てしまうのかもしれない。

ここで疑問がもう一つ。
なんで蟹は、魂を積尸気に送るだけで、黄泉比良坂に落とすまでしないのか。
やれない、と、やらない、の差は大きいと思うが。

……んー、どちらかなのかは分からないが、蟹のやることは実は自然なことなのかもしれない。
「積尸気→黄泉比良坂→冥界」が、死後の正規ルートだとすると、
蟹のは強制的にこの正規ルートの出発点に立たせる技だと言っていいんじゃないかな。
その中で道に迷うか逝くかは本人次第という。
これが何で「自然」かというと、一見して近いものにパピヨンの「フェアリースロンギング」があるが。
これは相手をあの世に強制的に運ぶ。
途中経過無し、いきなり冥界直行。
迷いも無く地獄行き。
どちらの技が良い悪いは言わないさ。
役目の違いなのかもしれない。
蟹のそもそもの役目は葬送指揮者なのかもしれない。
あと、ムウの「スターライトエクスティンクション」は相手の肉体を消滅させる技で、直接冥界に飛ばすのではないと思う。
そうでなければ冥界と現世の行き来が自由な冥闘士にかける意味がない。
そういえば。
積尸気冥界波って、冥闘士相手に使えるんですかね?

積尸気冥界波は冥闘士に有効なのかどうかについて。

……普通に効くんじゃないですかね。
冥闘士は、生身で冥界と地上を行き来できるが、それは、死なない、と同義ではない。
冥闘士は殺せる。
つまり魂が身体から切り離されれば、その魂は二度と身体に戻ることはできない。
なら、積尸気冥界波は普通に効く。
基本的に積尸気冥界波は「殺す」技であって、ならば死を避けられぬ生き物全てに有効でしょう。
冥皇の加護とは、彼の領域、つまり冥界での自由であり、決して死なないことではないから。



話がずれた。
とにかく、蟹は亡者が祟るがままにさせておくような人なんだが。
曰く、所詮死者には何もできないから。
ところで。
巨蟹宮の死に顔というのは、蟹が強いてそうなるようにさせておくのか、それとも出るがままにしてあるのか。
私は後者のような気がする。
蟹の言い方を見ていると、死者個人個人に対して興味なさそう。つーか覚えてなさそう? なんだ。
だから強いて死に顔を出させているというより、出るから放っておいてある、のかもしれない。


しかし。
実際自分ちに死に顔が出たら普通びびるよなー。
初めての瞬間はどうだったんですかね。




■逆賊上等蟹様語 その5  ハーデス十二宮編OVAを見たらしい。
ふ、ふふ。
ふはーっはっはっは!
ハーデス十二宮編OVA、ついに最後まで見たよ!
蟹が…・・・蟹がっ……
ほんのちょっとだけ笑ってみせた蟹様に涙が溢れそうですッ


そんなわけでその5では、ハーデス編について考えたいと思う。


サガとアテナのある意味壮絶な内輪揉め 「サガの乱」で死亡した黄金聖闘士が冥界から甦り、
永遠の命をハーデスから与えられる見返りとして、アテナの首をとるために聖域十二宮に現れるのがハーデス編前半。

この時復活したのが、蟹・山羊・魚(サガの乱では青銅メンツに敗北、死亡)、
水瓶(弟子バカゆえに死亡)、サガ(首謀者、最期は自決)、サガに殺されたシオン教皇の6人。
OVAでは白銀の人達もちゃんと復活していた。本当にありがとう!

さてさて。
以上の皆さんはハーデスの冥闘士としてアテナの首を狙うわけだが。
その真の目的は、女神の聖衣を復活させ、冥界に特攻させるというとんでもないものだった。
しかし何も知らない生き残り黄金メンツは当然アテナを守るために復活組との戦いを決意。
元同僚同士の殺し合い、腹の探り合い、更に正規の冥闘士も絡んできて聖域を崩壊させていく。
……こんな感じにハーデス編は悲劇性の漂うストーリーな の だ が。
しかし、だ。
ここでの蟹と魚があんまりなもんで、長きに渡ってこの二人の印象は悪かった!
と、いうわけで。
まずはハーデス編序盤の蟹と魚様についてまとめてみよう。
原作とOVAでは物事の順序が少し入れ替わっているが、原作中心に見ていく。

1)白羊宮にシオンと蟹と魚登場。
死んだはずの人間が現れて驚くムウに、アテナの首を12時間以内に取って来いと命令する。
蟹、だいたいの状況を説明。その悪役っぷりはキラキラと輝いていた。
(ただしシオンの真の目的と、12時間経てば自分たちの体が消滅して冥界に舞い戻ることは言わない。)
後は、拒否ったムウに積尸気冥界波を跳ね返されたり、途中で来た星矢に流星拳食らったりローリングクラッシュ食らったり、
ムウに片手でひねられてみたり、最後はスターライトエクスティンクションで消されてみたり。
まさに醜態。

2)ハーデス城にてラダマティスにしめられる。
ムウに、肉体を消滅させる「スターライトエクスティンクション」をかけられたくせに何故かハーデス城に戻ってる二人。
アテナの首も取らずおめおめと引き下がってきた二人をラダ様は死界直行の穴に落とす。
この時ラダ様に背中を見せてまで逃げようとする二人の姿が素敵に無様。

実質、二人の場面はこんな感じ。
後になってからシオンの「たとえ死してもアテナの聖闘士!! ハーデスなどに寝返るものが一人でもいると思うのか!?」
という台詞と、黄金12人が全て揃わなければ破壊できない「嘆き壁」の前にちゃんと蟹と魚も来てくれたことから、
あの二人の醜態はどうやら演技だったらしい、と分かるんだが。
1)、2)の二人があまりにアレなため、実は演技でなく本当にアテナを裏切ろうとしたんじゃないかとも読めた。
(蟹の笑い方が超がつくほど悪人だったせいもある)
原作ではそこらへんのフォローが無かった。が、
OVAでは逆賊の汚名を永劫に着せられようとも真の目的を果たそうとするシオンに蟹と魚が頷いてみせるシーンが追加!
ありがとう、ありがとう!
と、いうわけでOVAでは二人へのフォローがあったわけだが。
フォローが特に無かった原作でも、やはり演技と見なさなければおかしい点が結構ある。

そもそも。
蟹と魚はハーデスを信用しないと思う。
つーか、自分ちの神様の首を取ってくるような人間にハーデスが永遠の命なんか与えるか?
んな危ない奴は用が済んだら消えてもらうと思うよ。
そこらへんのことは黄金復活組の皆が考えているんじゃないかと思う。
だいたい、☆矢ワールド全体を通しても屈指の男前な魂の持ち主である魚様が、
永遠の命なんてくだらんもののためにハーデスにつくか……!
蟹の思想も無常で無情。
永遠の命なんて欲しがらんと思うよ、あの人。

あと、1)で星矢の攻撃を食らうあたりからしておかしいんだ。
普通星矢のは音速、ギリギリまで頑張れば光速域に達するが、この時は素だ。
蟹は素で光速。
蟹が食らう気でなければ絶対に攻撃は当たらない。
OVAでは視認までしているのに流星拳を食らってる。もう当たる気満々。
だからまあ、やっぱり演技だったのかなーと思う。
ダメージも無さそうなんで。
ところでこのシーン。
OVAで、頭から地面に落ちる蟹とか尻餅ついちゃう蟹とか面白かった……つーか、好きだ。

そして何よりもおかしいのは。
ムウのスターライトエクスティンクションを食らった後で二人がハーデス城に戻ってきたことだ。
この技は相手の肉体を消滅させるもの。
実際ムウも技をかけた後ですっかり二人を殺した気になっていた。
が、二人の姿はその後でハーデス城に見える。
ハーデス城は地上にれっきとして存在する城だから、あの二人はちゃんと生きて技をかわしたことになる。
どうやってかわしたのか……
蟹がテレポーテーションを使えることは確認済みだが、それで逃げたとすればムウは気づく。
けどそんな様子がないことを考えると、蟹と魚は積尸気経由で逃げたのかもしれない。
便利な技だなー。
ま、とにかく。
二人はスターライトエクスティンクションをかわすわけだが、もし本気でアテナの首を取りに行くのなら、
わざわざハーデス城に戻る必要はないんだよ。
そのままムウの背後にでも出ればいい。
けれどそうはしなかったのは、ハーデス城に戻ることが予定に入っていたから。
と考えるのがやはり自然じゃないか。
すると全ては演技だったということになる・・・…。

では、ハーデス編において蟹と魚はどういう役割だったのか考えてみよう。
黄金復活組の編成は、シオン・蟹・魚、 サガ・山羊・水瓶、のニ部隊。
前者が先にムウの前に出てきた。
さてさて、復活組の目標は真の目的を隠したまま12時間以内にアテナの元に辿りつくこと。
それが達せられる前にハーデスに反するようなことをしては元の木阿弥。
たとえば真の目的を黄金生き残り組に話そうとすれば仮の身体が塵となってしまう。
それでは目的を達することができなくなる。
つーわけで、馴れ合いでなく本気で黄金同士が殺し合いをしているのだとハーデス側に演出する必要がある。
つまり自分ちの神様を前にして土壇場で寝返らないことを見せる必要があった。
だから、先発隊に蟹がいるんだと思える。
蟹の悪役っぷりは輝くほどだぞ、昔からな!
蟹のテンション高い悪役っぷりのおかげで、後発隊はローテンションでもいいんだよ。
だってあの三人、演技とか無理だもん。
特に山羊! OVAではまっさきに変な汗を流してた。
そして三人とも魂が血の涙を流してるのをあっさりムウに見抜かれたりする……だから向いてないのよ!演技とか。
ま、とにかく。
この時点での蟹と魚の役はハーデスの走狗となったことを強調すること。
そしてなるだけ容赦なく、派手にやられること。
つまり黄金同士の馴れ合いが無いことを見せること。
これが役割の一つだったと思う。

ちなみに。
OVAで蟹がムウを殴りまくるシーンがあるんだが。
その後で、殴られていたムウが顔を上げて蟹を睨むんだ。
けどそれを見た蟹は、一瞬本当に無表情になるんだよ。
戦闘中は基本的にテンションばか高なあの蟹が!
思い返すとあれも伏線だったのか……と思う。
その後でにやっと笑う蟹がすごく好きだけどね。

話を戻そう。
蟹と魚の役割はそれで終わりだったんだろうか。
考えてみると、もう一つぐらいありそうな気がする。
最初の一つだけなら、スターライトエクスティンクションを食らって、そのまま消滅してもいい。
が、どうもハーデス城に戻るところまで予定に入っていたと思うと、もう一つ役目がありそうだ。
それは冥闘士をハーデス城から引きずり出すことだったんじゃないかなーと思う。
蟹と魚がラダマンティスに死界の穴へと落とされた後の展開は、
→ラダ、元黄金聖闘士の不甲斐なさに自分の出撃をパンドラに願い出る。
→冥闘士を誰一人出撃させる気のないパンドラによってあえなく却下。
(実際、最初冥闘士は誰もサガ達についてなかった模様)
→ラダ、パンドラに無断で冥闘士を出撃させる。

順序が少し入れ替わるかもしれないが、蟹と魚がハーデス城に戻った後で冥闘士が聖域に出撃したのは確か。
黄金復活組の真の目的が、女神を冥界へ突撃させることだということと、
ハーデス城には冥闘士以外が弱体化する結界があることを考えると、
蟹と魚の役割は、後の展開を少しでも有利にすることだったんじゃないだろうか。
つまり、冥闘士をハーデス城から出すこと、そしてその数を減らさせること。
冥闘士の意識を聖域に向けさせて、冥界を手薄にさせること。

……こう考えるとさ、蟹と魚って重要じゃねえ?と思えてくる。
自分でもあまりの蟹至上主義にちょっとビックリだ!






■逆賊上等蟹様語  その6  この部下にしてこの上司在り。


さて、蟹と言えば忘れちゃいけないのが「勝手に聖衣が外れました!事件」
黄泉比良坂の淵にぶら下がった紫龍を蹴り落とそうとした蟹の聖衣が勝手に外れ、
あれよあれよという間に昇龍覇で蟹が黄泉へ落とされたという、蟹を語る上で欠かせないお話ですが。
何故、聖衣が外れたのか。
紫龍曰く、「蟹の悪の心に黄金聖衣が蟹を黄金聖闘士とみとめなくなったから」だそうだ。
……悪??
悪の心ってなんだろう。
話の流れからいえば、ここで言ってる悪とは、
1)蟹が仕える教皇は13年前に女神を殺そうとした張本人だということ。
2)蟹がそれを知っているということ。
3)蟹にとっての正義が女神でないこと。
4)蟹が今まで大勢の人を殺してきたこと。

こんな感じかな。
あと、場面のノリは
5)うっとおしいから蟹が春麗を滝壷に落とした。
6)どう見ても紫龍が死にそう。魂が既に身体から離れてるし。

と、まあこのくらいに整理しておく。
1)は別に蟹の責任ではないが、2,3,4)を仮に蟹聖衣にとっての悪と仮定しよう。
そうすると、蟹聖衣が蟹を見放すのは、もっと早い段階でも良かったように思う。
たとえば蟹が教皇の勅命で人を殺した時点で、蟹聖衣が外れてもいいはずだ。
しかし、蟹の様子を見るとどうも外れたのはこれが初めてな様子。
だとすれば、何故今まで蟹聖衣は大人しくしていたのか。

某スレで見かけた説に、じんときてしまったことがある。
それだと、蟹聖衣は蟹が改心するのをじっと待っていたそうだ。
でも最後まで蟹は心変わりしなかったから、蟹から外れたらしい。
じっと待っていたなんて、何だか愛あふれる話だ……

が、しかし。
蟹聖衣が蟹の改心を期待するかどうかには、少し疑問がある。
山羊、魚、サガ以外で誰よりも付き合いが長かっただろう蟹聖衣。
だったら蟹の考え方もよく分かっている筈。
「正義も悪も絶対的なものではない、ただ勝った者が正義とされるだけ」というのが蟹の主張だが。
この論でいけば蟹が足を止めるのは、負けたとき、死ぬときだけであり、
放っておいて改心するような奴ではないぞ、蟹は。
ちなみに蟹を殺しても、「力=正義」論は否定できないから、お子様ではちと手に余りますかね。

だから、2,3,4)が蟹聖衣にとっての悪だとしたら、蟹が改心することがない以上、
もっと早く蟹を見放すんじゃないだろうか。
しかし、そうはならなかった。
ならば、2,3,4)は蟹聖衣にとって悪ではなかった、ということにならないだろうか。
(1に関して言えば、そもそも双子座の聖衣がサガを見放さなかった時点で、許容範囲だったんだろうか?)

だいたい、これ以上無いタイミングで主を見放すというある意味で主と同じくらいシビアな蟹聖衣が、
目的に添わないことに加担するだろうか。
つまり、蟹聖衣にとって、蟹の13年間は、蟹の殺戮も含め、必要だったんじゃないかと主張したい。

繰り返しになるが、蟹が教皇に協力したことは、間違いとは言いきれないと思う。
聖域といえば地上最高峰最終武力機関。
その頂点にいるはずの女神はいない、教皇(シオン)もいない、老師もいないならば、
(前の二人はサガのせいだが)サガ以外に上に立てる人間がいない。
もう一つ。
蟹・山羊・魚がサガにつかなかったとしたら、黄金同士が潰し合って戦力をいたずらに削る可能性が出てくる。
最後に。
三人がいなかったとしたら、サガ自身が動くことになり、それこそ被害甚大。
以上、聖域の現状維持を視点とすれば、三人の選択はそう間違いではなかったと思う。

まあ、結果としてそう読めるわけで、彼等がそれを目的としたかは分からんが。
とにかく、13年間に関して言えば蟹聖衣は蟹を否定しないんじゃないかと思う。

じゃあ、なんで最後の十二宮で蟹聖衣は外れたのか。
なんであのタイミングだったのか。
5,6)を考えてみる。
蟹聖衣が4)を問題にしていないことを考えると、今更小娘一人、青銅の小僧一人殺したところでどうでもいいような気がする。
あれが、ただの小僧なら。
しかし実際は、紫龍の後ろには13年前に聖域から追われた女神がついていること、
ここで紫龍が死ぬとその女神まで死ぬ可能性があること、
などを考えると、女神のために蟹聖衣は外れたんじゃないだろうか。
正義とか悪でなく、女神を死なせないために外れたんじゃないかと思う。

「聖衣外れる=蟹が死ぬ」ということだが。
蟹聖衣がそれを選んだのは、女神のためというのが一つ。
また、蟹は殺さなければ退けられないというのも一つあると思う。
話し合いでどうにかできる人間でないし。
蟹は、自分の好きにけっこう喋るくせに対話は受けつけてないのよね、そもそも。
女神が聖域に戻ってきた以上、聖域維持機構としての蟹・山羊・魚の役割は終わり。
話し合いで退くことのできるような論の持ち主達で無い以上、あの三人はやはり死なねばならなかったんだと思う。

ただね。
蟹聖衣が蟹を裏切ったタイミングは、本当にギリギリだったとも思うんだ。
今見たように、蟹聖衣がひたすら女神の帰還と聖域の現状維持を(それも要は女神のためだが)求めていたとしたら、
それだけだったら蟹聖衣はもっと早く蟹から離れたと思うんだ……。
たとえば積尸気冥界波を使う前に止めるね、蟹を。
普通に考えれば、積尸気で紫龍が蟹に勝てるとは思わん。
それでも蟹を止めなかったのは、紫龍についている女神の(凶悪な)加護と、彼の底力に期待してたんじゃないかと。
蟹聖衣としては積極的に蟹を殺す気はなかったんじゃないかと、思うんだ。
実際、蟹聖衣が蟹から離れたのは、そうしなければどう考えても次の瞬間に紫龍は死ぬってタイミングだった。
つまり、ギリギリまで蟹聖衣は蟹から離れることはなかった。
だからもっとさっさと紫龍が蟹を殺していれば、蟹聖衣は主を見放すこともなかったんじゃないかと思う。
まあ、それが無理だからああなったんだけどね。
昇龍覇は通じないし、道連れ自爆技の亢龍覇は積尸気で使えないだろうし。


以上から、結論。
蟹聖衣は主と同じくらいシビアで自己主張がはっきりし、けれど主とは真逆に女神への忠義厚く、
けれど主のこともけっこう気に入っていたお茶目な奴(と思いたい)。

ちなみに。
射手座といい蟹座といい、黄金聖衣はかなり自己意識が強そうだが、
諸々の混乱の元凶であるサガが持ってる双子座のも結構すごい。
原作では、白と黒に分かれて存在の不確かなサガの精神に、かなーり嫌なプレッシャーをかけたりする。
そしてアニメでは勝手に外れる!
この上司にしてこの部下あり!
ステキだ。






お疲れさまでした。
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