からりと晴れた青空の、その果てでも目指しているような
石の階段は続いてゆき、沈黙は白く輝く。
男が一人、歩いていた。
色のないような髪と、ちかりとする瞳が
眠そうにあくびした、少し猫背。
胸を張れば、それなりに上背もあるだろうに。
そんなことも面倒に思うのか
デスマスクは、菓子鉢を持って のんびり歩く。







その日は朝からジャミールにいた。
聖域の用向きではない。
呼び出されたのだ、主に。

"偶にはあなたの聖衣を労わろうと思いませんか。
幸いなことに私の手は空いていますので、来てください "

と、小宇宙で叩き起こされた東雲ごろ。
ジャミールの主は、丁寧な物腰の体育会系で、有無を言わせるところがない。
寝惚けた顔で聖衣を持って行けば、強制採血から一日が始まった。

けれども、不思議に思えたことは。
蟹座の聖衣は勅命明けで、きっと赤黒い濁りが所々残っていたはずだが、
ムウは何も言わず、目に見えない細かな傷と一緒に、綺麗にした。


ぼんやりと 茶をすする。
たっぷりめに抜かれた血液を補うように。
聖衣を修復する工房、その隅に置いた椅子に座り
投げ出した足の先を 軽く組んで

その静けさに、ムウはちらりと視線を投げかける。
僅かに三つほど年上の男は、まるでそこにはいないような
どこにもいないような、空虚な影。

「……あまり己を省みずにいると、踏み外しますよ」

声に驚いたようにデスマスクは顔を上げた。
ぱちりと目を瞬かせ、なにか難しい顔をした後輩を眺める。
けれども、その言葉の意味を確かめることはなく
ただ、にやりと唇を歪めた。

「お代わりちょーだい」










石段を、のんびりと上りながら
デスマスクは小首を傾げる。
何事もなく聖衣の修復は終わり、
糖分補給の大福餅ももらって、聖域に帰ってきたのだが。
しかし、どういうわけだか分からない。

あの引き篭もりとは、もう随分前からまともな会話をしたことがなかった。
わざわざ呼び出してまで顔を見たい人間ではないだろうと、思う。


首を捻り、けれど、大福に罪はない。
丸い餅でいっぱいの菓子鉢を抱え、上を目指す。
青空に、ぽかりと雲。




処女宮まで来て、デスマスクは足を止めた。
そのまま通り抜けるはずが、奥が気になる。
気配はないが、誰かいる。

「……おシャカー?」

そちらに足を向け、暫く進む。
すると薄明の奥、蓮の花が咲いたような光輝。
瞑目し、結跏趺坐の生き仏がそこにいる。

「珍しー。 なんで聖域に出てきてんの」

仏の沈黙は深遠である。
清浄なそれは決して嫌いではなかったが、
知る限りでは、乙女座の黄金聖闘士を聖域に召還するような案件はなく、
デスマスクは仏前に座り込むと、その顔を眺めていた。
やがて、

「うりゃっ」

大福を仏の口に突っ込んでみた。
その瞬間、天魔を滅ぼす瑠璃光の瞳が、くわっと開眼した。















処女宮から更に上、磨羯宮のシュラは、
空気を揺さぶったその波動が、天魔降伏あたりだろうと推察した。
ついでに悪友のいささか間抜けな悲鳴が聞こえたような気もするが、
錯覚だろう。

視線を手元に戻す。
不定形に切り抜かれた、それはパズルのピース。
勅命と勅命の間にある怠惰な空白を、
五千百四十六に切り分けた小片を組み立てて過ごしながら、
なにか いじましい想いに浸るのが、好きだった。
沖に白波立つ南国の海は、どれも似たようなピースばかりで、
容易には正しい場所を教えてくれない。
一つ摘み上げたのは、淡く澄んだ水の碧。


どのくらい時間が経ったのか。
目の前のことに没頭していたので正確なところは分からないが、
意外と早かったようにも思う。
テーブル一面に広げたピースが、ずんと揺れた。

「拝め」

そこには、掌に乗るほどの観音像が優美に降臨していた。
視線を上げれば、悪友。

「何だこれは」
「救世観音。 おまえも少しは神仏に縋って功徳を積め。
まあシュラはくたばったら六道輪廻フルコースだろうけどな!」

そう言い放つと向かいの椅子に座る。
二人のいる聖域が、いわば女神を祀る巨大な神殿のようなもので、
聖闘士の命など、そもそも初めから終わりまで神の贄かもしれないが。

「おシャカが俺にくれた」

木彫りの観音は、パズルの海の上、柔らかく微笑む。
その横にデスマスクは菓子鉢を置いた。

「こっちはジャミールの麻呂眉」

半分ほど数を減らした大福は、もっちりと甘い。
茶があればなおさら良い。
それらを前にしたデスマスクは、何故か拗ねたように話し出す。

「……なんかさァ、二人して俺に優しいんですけど……、怖い」
「怖い?」
「何コレ。 もしかして俺何かやった? 何かバレた!?
何なのこの最期に悔い改めなさい的雰囲気。
……俺、やっぱり地獄に行くのかな……」

シュラは片眉を引き上げた。
しかし、眼前の悪友は、どうやら本気で考えて込んでいるらしい。
本当に何も、全く分かっていないようだ。
シュラは、ふんと鼻で笑うと
観音像をデスマスクの方に押し返した。

「はっぴーばーすでー」

妙に抑揚を欠いた声に、
悪友は珍妙な顔で固まる。

「地獄に行くのはもう暫く待てということだ」

色味の薄い瞳が、大きく見開かれる。
それからようやく、観音と、大福を見比べて、ぱちんと瞬いた。

「……魂消た。 明後日ぐらいじゃなかった?」

とぼけたことを言いながら、けれど完全に虚を突かれたのだろう。
嘘も真も塵芥に嘲笑うくせに、今は居心地悪そうに身動ぎする。
そんな様子を、シュラは黙って眺めていた。
少しは思い知ればいいと、思うのだ。

いつも、何かのついでに生きているような顔をして、
死霊を引き摺ってふらふらしているだけの男が、
いったいどれほど祝福されているのか。
今日ぐらいは、気づけばいい。


やがて、何か言い訳でもしようとする唇が、結局何もできず
どうにもならないと言うように、笑った。


















「で、シュラ君は俺に何くれんのー?」

幻のような微笑は、しかし水のように流れ去り、
悪辣な唇が にっと吊り上がった。
馴染み深い、全く悪友らしい表情に、
シュラは、おもむろにピースを一つ摘むと、
ぴしん とその額に突きつけた。


「結婚しよう」
「は あァアア!?」


















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蟹誕おめでとうございます。
蟹さんなんて周りから塊のような愛をぶつけられれば良いと心底思います。

めでたい日だから、一度ぐらい結婚しても良いじゃない。
大福の半分はおシャカと一緒に食べたそうです。

ありがとうございました!



(灰二)