古今東西、世の中は結局勝ったもん勝ちです。

聖戦後の世界は勝者である女神の御望みどおり。
地上・海界・冥界の間に三界講和が結ばれ、互いを不可侵としたが、
ついでに三界の死人どもも復活した。
全く冗談みたいなお話で (世界は冗談みたいに平和で)

開いた口が ふさがらねえ。





「ンあ」

よだれ垂らして寝てるような気がして、びくんと目が覚めた。
手の甲で拭ってみる。 どうもならない。 夢だったのかもしれない。
びくっとして損した。
もう一回眠ろうとしてソファに頭を戻すと、シュラと目が合った。
なんだかじっと見られる。 見られてる。
実はやっぱりヨダレ垂らしてたかな。


間抜けな声を上げて目を覚ました悪友を、シュラは黙って見下ろした。
眠たげな目がのろのろとシュラを見上げ、何か考えるように、
それでいて至極どうでも良さそうに視線を合わせる。
ソファにだらんと横になった身体。
その腕先だけを軽く持ち上げ。

「よぉ」

復活してからのデスマスクは始終こんなものだった。
日がな一日磨羯宮の奥でぐにゃぐにゃとしている。
昼も夜もない。 曜日もない。
それでも、蘇生してから暫くはまだまともに活動していたとシュラは記憶している。
が、ある日のこと。
教皇宮から戻る途中、長々としたあの石段を下るのがとにかく面倒になったらしい。
その時偶々そこにあったのが磨羯宮で、以来デスマスクはそのまま居ついている。
シュラは、特に不自由もないので放っておいた。
気ままな猫が一匹潜り込んできたようなものだった。
そう思って、いたのだが。

「……何をしている」

初めてそれを口に出した。



「何もしてない」と答えたら案の定、機嫌の悪い顔をされた。
けれど聞き方が悪いんだ。
どう見ても他に答えようがないことを聞いてどうする。
何で、怒る。
おまえ、本当に、分かってないの。

「シュラは」

二度死んで生き返ると頭の中身も変わるもんかね。

「どっか行くの」
「紫龍から手合わせしてほしいと言われている」
「ふぅん」

そういえばそんな話を聞いた傍から忘れた気がする。
全く冗談みたいに平和なお話を、わざわざもう一回聞かせてくれるから、
妙に眠気が覚めてしまった。
脳味噌が動こうとする。 メンドくさい。
思考回路が真っ当に働く前にぶち壊す。 目蓋を閉じる。

「いってらっしゃい」


何もしないのは、することがないからだ。
こんな、お話みたいな世界で、俺のやることは何もない。
サガの中身が分裂してまるで収拾のつかなかった頃は、嫌になるほどやることがあった。
一度死んだ後、ジジイに義理で付き合って冥闘士ごっこした時も、馬鹿みたいで面白かった。
馬鹿ついでに嘆きの壁にも行った。 あれは最後のおまけだ。
終わりのつもりだったんだ。
それが、まさかねェ。
どうにも笑えないお話で。

俺は、自分の力がどう使われるべきか知ってる。
だから、こんな平和な世界にぽいっと生き返らされても、役立たずでしかない。
やることがないってのは、あまりいいもんじゃなくて、
だからこうやって社会的廃人1号として取り敢えず大人しくしているわけだが。

いってらっしゃい、2号。




「げっ」

目を明けた。 遅かった。
廃人2号がすぐそばにいた。
「待っ、」
待てという声が聞こえたはずなのに廃人2号の肘が落とされる。
正確極まりなく鳩尾深く。
「ッの バ カ 」
昔からこいつは嫌なタイミングを読むんだった。
臓腑に直接叩き込まれた衝撃が呼吸を止める。 重い痛みに身体が硬直する。
「どうした?」
悠々と聞きやがる、人をソファ代わりにして。
まだ何も喋れない俺の頬をぺちぺち叩く。
もし今俺が涙目になっているとしたら今日中にこのバカを3回殺す。
(てめェのやったことだろうがッ)
自由になる足を跳ね上げて、その使えない脳味噌に止めを刺してやろうとして、
ふっと冷めた。
だるい。
不味いものを無理やり口に詰め込まれたみたいに舌を動かすのも億劫になる。
とにかく、なんとなく、だるい。
もう勝手にしてほしい。

「……おまえは少し外に出たほうが良い」

いえいえ、どうぞお構いなく。
と、言いはしないが伝わったはずなのに、廃人2号は涼しい顔で再び暴挙に出る。
背中の下に腕を入れられる。 身体がぐんと浮く。
そのまま荷物扱いで仰向けに肩の上に担がれた。
「ぐぇ」
どうなってるかというと、俺の背骨がシュラの肩で反り返って酷いことになってる。
ついでにさっきの鳩尾が死ぬほど辛い。
「……こ の クソ山羊がッ! 人がたまに大人しくしてりゃ調子に乗りやがって!
てめぇのハラワタ引き摺り出して積尸気の亡者に食わすぞ」
俺はぜーぜー喘ぎながら言った。 やり遂げた。
そしたら、山羊は、恐ろしくイイ顔で笑った。
怖っ。



実際、俺はものすごく暴れた。
が、暴れれば暴れるほど反りっぱなしの背骨は痛んでボロボロになって、
それを人でなしは平気な顔で担いで歩く。 石段を下りる。
その上下振動がどれくらい拷問になるか、こいつは絶対に分かっててやってる。
不運にも偶然通りかかった雑兵や神官達は、ぎょっとして立ち止まり、
それからそっと目を逸らす。
見なかったことにしてくれるらしい。 ああまったくすげー有り難いね畜生。
十二宮に詰めてる黄金聖闘士が他にいなくて、良かった。
あいつらが何を言うかなんて考えたくもない。

そういえば、刑罰で『晒す』ってのがあったな。 市中引き回しとか。
これはつまりそういうことなんですか。
(この状況を脱する方法なら幾つかあるが、そこまでするのも面倒だった)

獅子宮を過ぎたあたりで俺はもう力尽きていた。
人は慣れる生き物だ。
諦めと忘却は生きていく上で必要なものだ。

「シュラ」

いい加減声を出すのが辛い。 背骨に響く。
喚き過ぎて喉がガラガラになってる。 ずっと頭が逆様だから目が回る。
視界の隅に、人の話を聞く気がまるで無いシュラの顔がある。
逆様のそれはいやに真っ直ぐ前を見据えている。
俺の世界はシュラの歩みに合わせて揺れる。
ちかちかする青空が目の奥まで飛び込んでくる。
久し振りに、空を見た。









闘技場まで拉致されていくと、ガキが二人待ってた。
「ほう、星矢もか」
シュラは何でもないように言ったが、星矢は肩の上でぐったり死んでる俺を見て目を丸くした。
「デスマスク !?」
「シュラ、それは……」
紫龍が俺を指して遠慮がちに聞く。
変な顔。
変なのはこっちか。 いや、この山羊だ。
「日干しだ。 気にするな」
気にするなって言うほうがおかしいだろ。 つーかおまえが言うな。 気にしろ。
ガキがぽかんとしてるだろ。
「……あ"ー、おまえら」
俺は自分を、ちょっと優しいと思う。
「いつものことだから、気にすんな」
「デスマスク」
「つか紫龍、てめぇ目上をそれ扱いすんな」
「すまん」
律儀に謝る。
変な奴。 コイツ誰なんだっけ。
「……ガキ相手に礼儀説いてもな」
俺は忘れてないし、こいつらだって忘れたわけじゃないんだろう。
ただ、逆さの世界で見る二人は、呆気ないくらいガキだった。


「二人いるなら同時に相手をしよう」
さらりと言ったシュラの肩の上には、まだ俺がだらんとしていて。
「何だよそれ! それじゃシュラの方にハンデありすぎだろ!」
ぴーぴー騒ぐ星矢は口を尖らせて俺を見る。
この場合、言ってることがおかしいのは明らかに山羊の方だが。
おまえ、ちょろいぞ。
紫龍は不満そうな顔をしているが黙っている。
こいつは多分、知ってる。
「構うな、問題ない」
不遜に言い切る言葉は嘘じゃないんだ。


まともに掌底を入れられて吹っ飛んだ星矢がようやく地面に落ちる。
あー、痛い。 あれは痛い。
と思ってたら俺の視界に入らないところで紫龍も吹っ飛んだらしい。
シュラは軽く俺を担ぎ直した。
だったら下ろせ。

シュラはバカだ。
じゃなかった。 バカみたいに強い。
要らない荷物で右腕を塞ごうが、視界の3分の2以上が死角になってようが、
そっちの方が嘘なんじゃないかって思うぐらい、お構いなしで滑らかに動く。
小宇宙は使わない。 純粋に体術のみ。 なら、シュラが一番状況が悪い。
けれど、後ろから踏み込んでくる紫龍の拳を見ないまま流し、
そのまま投げるってのはどうなんだ。
こいつは無駄に強い。

無駄、なんだろう。
こいつが一番機能するのは、地平線の果てまで屍が溢れ返るような戦地だ。
そんなのもう、させてくれないんだろ、この世界は。
だったらおまえ、要らねぇんじゃないの。

「どうした、もう終わりか」

息一つ乱さない、けれど分かんないぐらいちょっとだけ、機嫌の良いシュラの声。
さっきから張り倒されてばかりの二人も、悔しそうに言い返しながら良い集中をする。
だんだん連携が取れてきた。 最後には一発ぐらいシュラに入れるかもしれない。
なんだ、おまえら。
揃って戦闘バカか。
だからそんなに面白そうにしてるのか。

星矢と目が合う。
やりにくそーな顔をする。
こいつらは勝手に自分の動きにハンデをつけてる。
甘ちゃんが。
相手に庇うところがあるならまずそこをぶち貫け。 でなきゃシュラについていけねえ。
俺は口ぱくで、ガンバレ、とだけ言った。 他人事だ。
そしたら星矢は口をいーっとさせて、俺をちょいちょい指差した。
同じ指が、自分の立つ地面を くっと指す。
何だソレ。
シュラが喉の奥で笑った。
紫龍まで何か言いたそうに人の顔をじっと見やがる。
何なんだ、おまえら、本当にさ。

 " シュラ "

ほんの少しだけ小宇宙で伝える。
声を出すより楽だ。

 " おまえ、楽しそうだな "

元廃人2号はちらっと俺を見て、何事もないように星矢の蹴りを捌く。

 " 楽しいからな "

問いに対して答えになってない。
俺は、おまえがどうしてそうなのか、よくわからないんだ、2号。
おまえはこの世界をどうしたい。
こんな世界になんとなく生き返ってしまった俺は、どうしようか。

 " ……十二宮の戦いで、おまえがいつまでたっても積尸気から戻らず、
  そのまま死んだと知った時、俺は心の底からおまえを阿呆だと思った。
  碌な奴でないからいつか犬死すると思っていたがな "

その言葉そっくり返すぜ山羊。
てめェの死に様を後から聞いて俺はもう一回死ぬかと思うほど笑った。
バカばっかりだった、あの聖域は。

 " だから、今はおまえが生きていることが楽しい "

 " 誕生日おめでとう "



バカは、死んだぐらいじゃ 治んねェのかな
何だよソレ。

俺は、




シュラのせいで視界がぐるんぐるん回る。
皮膚の下までぐるぐる騒ぐ。
なにか怒鳴りたいような、けれど少し違うような、じんわりした熱が喉に来る。
ぐるぐるの世界にガキがいる。
丸い、黒い目。
思い出す。

そういえば昔、犬が飼いたかったんだ。






「シュラ」

声に出す。
もういい。 山羊が山羊だってことは分かった。

「下ろせ。 やる」

世界がぴたりと止まる。
ようやく地面に足をついた俺の背骨はとっくに役立たずで、
うずくまった俺にガキが言う。
「おい、大丈夫かよ!」
「暫く時間をおいた方がいいぞ」
だから俺はすんなり立ち上がってみせる。 伊達に見栄張ってバカやってねェ。

「どうせやるなら、条件は一つ」

皮膚が、ぞくんとした。
せいぜい澄ました顔で笑ってやる。

「最後まで立ってた奴におごれ」

ガキが二人、にぱっと笑った。



























「卑怯だ」
「絶対卑怯だ!」

昼過ぎ、市街地の色鮮やかな雑踏を。

「あン? 条件は一つだって言ったろ。 小宇宙は使わないと俺は言ったか」
「しかしッ……」
「いきなり積尸気冥界波なんてやっぱり卑怯だ!」
「取り得る手を使うことのどこが卑怯だ。 おまえ俺に手加減してほしかったのか?
だったら最初に言え。 戦闘条件は自分に都合良く調えるもんだ」
「でも、だって」
「それにおまえら、俺の手の内知らないわけじゃないだろ。 紫龍、おまえ何度目だ」
「ぐっ」
「諦めろ。 こいつに言うだけ無駄だ」
「それはてめェだ クソ山羊ッ! 言っておくけどおまえが一番最悪だからな!
罰として全員分おまえが持て」
「俺達二人も倒れたぞ?」
「バカか。 ガキの金でメシが食えるか」


爪先は踊るようにふらふらと、鳴り止まない世界を泳ぐ。
デスマスクは ハンッと鼻で笑う。


「おまえらは、まァ……犬でも選べ」






























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かにたん2007おめでとうございます。
今年もお祝いができることを嬉しく思います。

これからも大人げないだろう蟹さんですが、意外と子供好きでもいいです。
犬はきっと小型犬でしょう。


2007.06 灰二



星矢他。 蟹まみれテキストサイト。