ひらり、ひらりと、揺れる赤。
鮮やかな色が翻る。
一緒に揺れるのんきな声。



「んーん、やっぱり無ぇなあ……」


磨羯宮。
うろうろと歩き回り、棚を開け、その下を覗き、隣を掻き回し、
其処彼処を引っくり返しているのは、宮の守護者では決してない。
デスマスクは、思いつく限りを探し終えてしまい、徒労の溜息をついた。
その左手。
ビニル紐で口を結んだ、透明な袋。
満々と水を湛えたその中で、赤い魚の尾鰭がゆらり。

「……何なんだ」

シュラはようやく口を開いた。
磨羯宮の守護者は、刻々と混乱の度合いを増していく自室のソファで、次の勅命の資料を黙々と眺めていた。
そして最後の一枚まで目を通してしまうと、徐に、招かれざる客の珍奇な行動を問いただす。
「さっきから何をしている」
眉を顰めるシュラに、悪友はずいと左手を突き出した。
「金魚」
丸々とした明るい赤色から、柔らかな鰭が優雅に泳ぐ。
「もらったのはいいんだけど、入れるのがない」
シュラは金魚を無言で眺めた。
それから、更なる説明を要求すべく悪友を見る。
デスマスクは、へらっと笑った。
「接待」
意味が分からない。

間違っても、黄金聖闘士が接待で金魚を貰うことなど、ない。あるはずがない。
それは黄金聖闘士ではないし第一に金魚は接待にならない。
が、確かに目の前の男は、黄金聖闘士と言い切るにはあまりに抵抗を感じる一面が存在し、
同時に、説明責任に対してこれほど不誠実な人間もいないと、シュラは知っているので、
放っておくことにした。
大抵万事そういうものだ。

「俺んとこ、もう色々いるし。シュラにやる」

のんきな声がまた歩き出す。
シュラはそれを聞き流しながら聞く。

「だからさー、こう、こんな風に丸い、ガラスで、縁が青の」
「そこらにあるボールに入れておけ」
「情緒の無ぇお言葉。流石シュラ様」

常時情緒不安定な人間に言われたくない。
と、シュラは思ったが、情緒も風情にもあまり興味が湧かないのは事実だったので、
ドアを開けて廊下に出る後ろ姿を黙って見送った。
声は何か言いながら奥へと進む。
しかし、そのうち水音がしてきた。
シュラは立ち上がった。
足早に廊下に出て、水の流れる音を追い、浴室に入る。
そこで見たものは、浴槽に水を溜めているデスマスクだった。
その頭をシュラは無言で殴る。
「あイテッ」
「何をするつもりだ」
浴槽の縁に腰掛けていたデスマスクは、頭を擦りながら左手を掲げる。
赤い金魚が、水袋の中で円を描いた。
「……広い方がいいだろ? たぶん」
情緒が無いと罵ったその口が、ほざいた。
シュラはもう一度殴ってやった。
わめいた悪友が、けれども笑う。
馴れているのだ、全く。
薄い色した目は懲りることなく、また下らない思案を始めたらしい。
実に楽しげに、笑った。
シュラは、

「分かった」
「んー? 何が」
「おまえが言ってたのを買ってやるから、今それは止めておけ」

溜息が出た。
一連の間抜けな問答に、哀れみすら覚えていた。

「……俺が言ってたのって、金魚鉢のことか? シュラ君がぁ? ……えー」
「何だ」
「ええー? エクスカリバーでなく? それはちょっと、お優し過ぎるんじゃありませんか。つか何をお考えで」
「今日はおまえの誕生日だろ」

沈黙。
訝しげにシュラを見上げた姿勢のまま、デスマスクは止まる。
虚を衝かれた顔を眺め、シュラの憐憫は再び溜息になった。

「……そ……」

ようやく何か言いかけた身体が、ぐらり、と。
目眩を起こした人のように、後へ傾いでいく。
危機を察した金魚が慌ててシュラに助けを求めた。
左手を掴まれたデスマスクは、浴槽に落ちることはなかったが、
水を溜める際にカランに置いてあった右手は、動揺して、予期しなかった水難を頭上から降らせた。
冷たいシャワーが放心者に降り注ぐ。
頭を冷やせば良いとシュラは思った。
しかし。
デスマスクは、存在のあり方そのものに疑問を差し挟みたくなる友人は、
情けなくも頭からずぶ濡れになりながら、瞬き一つせずに、シュラを見ていた。
笑いもしない、妙に冴え冴えとした目で。
滴り濡れた唇を舐めた。


引き上げる腕。
よりも早く放心者は突然身体を起こし、金魚をシュラに押し付け、出て行った。
置き去りにされた赤い魚は、素知らぬ風に泳いでいた。




シュラは、取り敢えずシャワーを止めた。
それから浴室を出、荒らされた一室一室を見て回る。
なかなかの惨状だった。
片付けは荒らした本人にやらせようとシュラは思った。
そのデスマスクは、まだ帰って来ない。
磨羯宮から走り去ったままだ。
出て行く前に、何か人語ではない言葉を言い捨てたようだが、
生憎そんなものを解する能力は無かったので、シュラは元の部屋に戻ることにした。
直に帰ってくるだろうと、経験上知っていた。

ソファに座り、さて金魚をどうすべきか思案する。
ふと、自分の前にあるテーブルに目がいった。
そこにあったものは、サラダボール。
置いた記憶はないが、先ほど部屋を見て回った時、無意識に手に取り、持ってきたのかもしれない。
シュラはその白い半球を暫く眺めていた。
それから、金魚の袋を開け、中身をボールに明けてみた。
やはりぴったりの容積だった。

「シュラ! それは止めろって言っただろッ」

叫んだデスマスクは、一瞬遅かった。
こざっぱりと着替えて戻ってきた途端、大声を上げた悪友を、シュラは見る。
「何がだ」
「何がだ、じゃねえッ 人の話を聞け! 別にもういいけどな! 出かけんぞ」
デスマスクはけろりとして笑う。
「とりあえず、お祝い。飲みに行こっか」
「金魚鉢が欲しいんじゃないのか」
「だから、そのお祝い。まさかシュラ君がお誕生日プレゼントをしてくれるなんてなあ……。
いーい度胸だ。破産覚悟しとけよ。今日の俺はちょっとすんごいぞー」
「何だか分からないが、とにかく飲みたいんだな」
機嫌良い笑顔が頷く。
それがあんまり他愛無いので、シュラは付き合ってやることにした。



「あたしのこと愛してくれてる?」
「愛してやるから部屋を片付けろ」
「それは帰ってからのお楽しみ」



















次の日。
眠そうな目をしたデスマスクが磨羯宮にいた。
ぶつぶつ悪態をつきながら、荒らした部屋を手際良く片付けていく。
慣れているのだ、全く。



それをちらりと眺め、シュラはソファに横になる。
テーブルには、ガラスの水珠。
瑠璃色に輝く縁取りの下を、金魚が泳いでいた。






























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かにたん2006おめでとうございます。
うっかりデス様呼ばわりしたくなるぐらい大好きです。
好きすぎてうっかりアホな話になりましたが、これも愛ゆえなんです、きっと。

2006.06 灰二



星矢他。わりと蟹まみれテキストサイト。