「きみをホウキ産業の社長にしたいのだ」


ぬるいメロディーが、その声の裏側に張り付いていた。
どこにでもある、ありふれた喫茶店の奥で
ぼくは、悪魔と顔を突き合わせている。
窓の向こう、日暮れの街。
行き交う人々。
ぼくの前には、夕陽を赤く照り返す、醜怪な目。その気味の悪い光。

狂っている。

悪魔の話に相槌を打ちながら、心の中で吐き捨てた。
何もかもが狂っている。
狂った子どもが地の底から呼び出した悪魔と、コーヒーを飲みながら、
この世の仕組みを語り合い、自分たちの行末を密談している。
猫撫で声の悪魔の言葉は、もっともだった。
絵空事の理想国家に振り回されるか。
約束された成功と平穏な日常を手に入れるか。
選ぶまでもない。
が、見え透いている。
悪魔は、自分が彼等に、特に蛙男に警戒されているので、
そんな気遣いのいらないぼくを、取り込もうというのだろう。
誰がこんな化け物を信用するか。

けれど
それでも、ぼくは 







悪魔と別れ、夕暮れの雑踏を一人で歩く。
道行く人々はちらりとぼくの顔を眺め、しかし何事もないように、ぼくから離れてゆく。
夕陽に染まった、人、人、人。
ぼくを避けて流れる人の流れ。


ぼくの手は、顔に触れてしまいそうで、
きつく目を閉じた。
赤い光が染み付いていた。

一つ、息をついて
目を開けた。

「 メ シ ア 」

そこに、少年がいた。


「……どうした?」
「い、え」


まるで、幻影のように
少年は現れ、ここにいる。
夕景として、一つの息遣いをする街の中
この少年だけが、何物にも染まらず、立っている。
どうして
どうして、こんな少年が、いるのだろう。



「ホウキ会社の方はどうだい」

その言葉に、ぼくは我に返った。
同時に心臓が大きく跳ねた。
狂騒する胸を必死で押さえ込み、声を絞り出す。

「……順調です」

冷たい汗がじわじわと滲んでくる。
ヤモリビトの殻が張り付いて気持ちが悪い。

「メシア、何故ここに?」

今頃は家獣で蛙男と共にいるはずだ。
それが、ここにいるということは、ぼくと悪魔のことを勘付いて、調べに来たのだろうか。
もしもぼくがヤモリビトでないと知ったら、この子は、ぼくをどうするのだろう。
その異常に発達した知力は、ぼくには恐怖でしかない。

しかし、メシアは言った。

「散歩だよ」

ぽかんとしたぼくを置いて、すたすた歩き始める。
慌ててその小さな後ろ姿を追いかけた。

「……お一人で出歩くのは危険ではないでしょうか。
千年王国建設を妨げようとする者たちが狙っているかもしれません」
「可能性はある。
現に今、スフィンクスはぼくの元にあるサタンを助けようと日本に向かっている」
「それなら尚更」
「街を見ていたんだ」
「街、ですか」
「色々なものが聞こえるからね」

ぼくには、聞こえない。
雑踏は雑踏でしかない。

向こうから歩いていた親子連れ。
男の子が、「ねえ、 おかあさん」と
ぼくらの脇を通り過ぎていった。

「たとえば、あの子の声」

「おかあさんの返事」

「その隣で青い顔をしていた彼の溜息」

「色々だ」

その色々を、少年は救いたいのだという。
皆が兄弟となれる、世界国家。

 『世の中のことがよくわからん少年が 一度はかかる病気だよ』

富める者貧しき者健やかなる者病める者
それらでなんとなく、曖昧に世界は回っているのだ。
幸福と不幸は平等でない。この世界の必然だ。

「スフィンクスの上陸で、この国は混乱する。
その時こそチャンスだと考えている」
「千年王国による革命ですね」
「そうだ」


「そのために、きみたち使徒の力を貸してほしい」


少年の目は、真っ直ぐに前を向いていた。
ぼくは彼を見ることができず、横断歩道の信号機の赤色に縋っていた。


「勿論です、我がメシア」


きっと
この少年の傍らに立つことは、特別なことではないのだ。
その言葉を聞き、その目が見るものを見、
同じ未来のために、共にあれば良い。
それだけでいいんだ。

けれど、ぼくは、普通の人間だ。
狂った日々と時間から、もう抜け出したいんだ。

あなたが全てを狂わせた。

あなたは異常だ。
あなたは狂気だ。
悪魔はあなただ。


どうして、あなたの傍にいられるだろう。
あなたの夢は、いつか終わる。








 けれど それでも ぼくは 










「ん」

ふと、少年は自分のポケットに気づき、手をいれた。

「キャラメルいるかい」

小さな手の上におさまる、小さな四角い箱。
そこらの店で買える、子どもの好きなお菓子。

「これは、その、どのような発明品で?」
「安心しろ。第七使徒がくれたものだ」
「はあ」

別荘番の親父は、まだ彼のじいのつもりなのだろう。
受け取ったキャラメルは、何の変哲もない。

甘いそれを口に入れた。
信号が青になった。
二人歩き出して、

「メシア」
「うん」

手を出せば、小さな指が、キャラメルの包み紙を渡す。
ぼくはそれを畳んで片付けた。

あとは、黙って歩いた。


日暮れの街の底を
松下一郎が顔を上げて行く。










その夢が終わったとしても、どうかこの少年が幸福であるように
ぼくは、何かに祈っていた。



































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松下一郎はひたすらかっこいいと言いたかったらしい文。
これも松りに参加させていただきました。


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