『phantom pain 』
「…で?」
緋咲は俯いたまま尋ねた。
背を向けた窓から青い月光が晧々と降り注いで
ベッドに腰掛けた緋咲の項や肩を淡く闇に浮かばせる。
とりあえず腕だけ通したような黒シャツのボタンは申し訳程度にしか止められてなく
その下から剥き出しの脚が伸びていた。
丁度シャツで隠れるあたり、腿の中ごろに傷跡がある。
引きつり歪んだそれを、月光が不思議な青さに染めているのを
緋咲はぼんやり眺めていた。
何だコレ。
薄明りの中、妙にはっきり目を射るそれ。
指でなぞる。
痛みも何も無い、指の感触もしない。
思い切り爪を立てる。
ほんの少し重たいような感じがするだけ。
何だコレ。
茫とそんなのを眺めながら
やがて思い出した傷の理由にも特別な感想は浮かばず
緋咲は顔を上げた。
青白い闇の向こう側、壁に背をもたれて座っている人間の名前を呼ぶ。
「龍也」
応えは無い。
闇に伸びる白い爪先が軽く床を叩いて言葉をせがむ。
「それで?」
「……それで、終わりだ」
龍也は思い出したように口を開いた。
物思いに沈んでいた瞳がようやく緋咲の方を向く。
「誠が死んで、六代目爆音小僧は解散して…」
一度も吸わない、指ではさんだままの煙草。
紫煙だけが月光に仄白く溶け出して、
龍也の顔がよく見えない。
声は聞こえるのに。
「俺は朧童幽霊を作った…それでこの話は終わりだ」
昨日は何してたのか、なんて言うみたいな声。
もう少し違う風だと思ってたのに。
どんな顔してるのか見てみたかった気もするのに。
「……ふぅん」
緋咲は面白くもなさそうに呟いた。
密やかに神経を闇の中に張り巡らせて、言葉にそっと毒をのせてみる。
「つまんねー話」
てめーが話聞きてーとか言ったんだろうが。
そう言う甲斐も無く、龍也はフィルタ近くまでになった煙草を捨てた。
緋咲はもう龍也の話に興味を無くしたようで、窓の外の月を眺めている。
珍しく緋咲が他人の事を聞きたがった。
ほとんど他人のコトなんか気にしない奴のくせに。
『いいから話せよ。だって俺よく知らねーし、六代目のコト。
あんたがいたの、そん時の爆音だったんだろ』
だから、緋咲の気紛れにつきあってやろうと思った。
そうして。
話をしながら思い出す。
あの頃の記憶は思っていたより遥かに鮮明。
夏生さんのことも、誠のことも、ついでに須王のクソのことも
問われるままに話す。
緋咲は大人しく聞いていた。
どのくらい長く話していたのか分からなかった。
笑ったコト、むかついたコト、くだらねーコトとか
言うつもりじゃなかった事まで話したような気もする。
あの頃の事を話す度、忘れそこなった感情の残りカスが浮かんで消えた、けど
誠が死んで俺の話すことは無くなる。
『つまんねー話』
緋咲は笑っていた。
声に悪意がちらついてる。
それはよく分かった。
意外なくらい俺は大して何にも感じなかった。
そのはずだった。
龍也は立ち上がるとベッドに近づいた。
ぼんやり月を眺めている緋咲をぞんざいに押し倒す。
反射的に顔をしかめた緋咲は自分に覆い被さっている龍也を見上げ、
その目を覗きこみ、薄く笑った。
「…なぁんだ……やっぱり怒るんじゃねーか…」
刃よりもずっと研ぎ澄まされた龍也の眼差し。
口で言うより遥かに強く脳味噌を殴りつけてくる。
「緋咲…俺が何に怒ってんだよ…?」
低い囁きが夜気を張り詰めさせる。
緋咲はそれを肌で感じながら口を開いた。
「さぁ、ね?……まぁ、俺が知ってんのは、
あんたがまだ六代目のコトどっかで引きずってるって事ぐらいかな」
一瞬龍也の眼差しが揺らぐ。
緋咲は倒れた拍子に目の前を覆っていた前髪を掻き揚げると
そのまま手を目の上に置いた。
月光が眩しいみたいに双眸を閉ざす。
「…やっぱり、あんたの話つまんねーよ」
緋咲はもう笑っていなかった。
「その夏生って人も、もう単車降りたんならどうでもいいし、それに
……死んだ奴のことなんかもっと興味無ぇよ」
龍也は何も言わない。
ただ、囁くような緋咲の声はほんの少しだけ、いつもと違うものを感じさせる。
それが何なのか、龍也は分からなかった。
緋咲は龍也にほとんど自分のことを言わない。
聞いても無駄だから龍也も聞かなかった。
けれど今日は少し欲が湧く。
龍也は緋咲の手を外させた。
青白い目蓋は閉じられたまま、睫毛が微かに揺らめく。
小さな声を、聞いた。
「俺は、死ぬ奴は嫌いだ」
それは静かに夜気を震わせて消えていく。
「……緋咲」
緋咲は茫と目を開けた。
冷たい色の瞳が月を映しこむ。
「…だいたい俺は生きてる奴で手一杯だしな」
その目が龍也を捉えて、唇を吊り上げた。
「あんたとかね」
「俺?」
「そ。他にもムカツク奴多いし、全部俺をイラつかせるから
ホント生きてる奴等だけで充分。死んだ奴のコトまで構ってるヒマなんかねーよ」
「フン、だったら俺も相当ヒマが無ぇことになるんだな」
「そーじゃねーの?まぁ俺は、あんたと、あの鮎川って小僧が勝手に潰し合いしてくれれば面白いけど」
冷たい色の瞳が艶かしい悪意に満ちた微笑をした。
ぞくりと、身体の奥底の暗い闇で何かが蠢く。
「あと誰だっけ?あんた色々敵いるだろ…」
龍也は剣呑な笑みで返した。
「あっさり潰れたら俺が笑ってやるから、な?龍也サン。
ま、たまにはまだ生きてるか顔見に来るから」
そう言うと緋咲はぐいっと龍也を押し退けようとした。
龍也は一瞬身体を引こうとしたが、すぐに緋咲の腕を掴むと頭の上で組ませてベッドに押し付けた。
「…どいてくんねー?俺もう帰るから」
「ダメだ」
言い切った龍也に緋咲が顔をしかめる。
悪態をつこうとした唇は次の瞬間塞がれていた。
「……んっ…」
反射的に逃げようとするのを押さえつけ、龍也は舌を絡ませた。
片手で押さえた緋咲の手首が小さく脈打つ。
濡れた吐息が耳をくすぐり身体の奥まで響く。
「…はぁ……っ」
ようやく龍也から解放されると緋咲は大きく息をついた。
「ちょっと待てよッ明日学校だから早く帰れって最初にあんたが言わなかったか?」
「フン、こんな時だけ他人の言うコト素直に聞く気か」
さっきの口付けで濡れた唇の間近で囁くと、龍也は緋咲の耳に唇を寄せた。
それだけで緋咲は小さく息を詰める。
耳朶を噛まれる感触に緋咲は思わず目を閉じた。
「ッ……さっきまで俺のコト忘れてボケーっとしてたくせに、何なんだこのヤローはッ」
「ちっと聞いてみたいコトがあんだよ」
「何だよ」
「その前に…おまえムカツクから泣かす」
どうも逃がしてくれそうもない雰囲気に、緋咲は溜息をつく。
「…しょうがねー奴」
月光に晒された瞳が冷たい微笑をした。
1414HIT夏月さんのリクエストでお題は『裏的な龍緋』でした。
なのに裏に行く前に話が終わるという…(汗)
と、とにかくキリリクありがとうございました!!
ところで、僕の中で緋咲は“墓穴”ほりです。
そんで、龍也も同じです、実は。
気分は墓穴ほり合い。
さっさと帰らせていただく。