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『夏休み観察誌』
ところで、夏だ。
毎年毎年夏が来るのは地球にいれば、まして日本にいれば当然な事で
そのコトに不服をいっても仕様が無いのは分かっている。
少なくとも俺は、そんなに夏は嫌いじゃない。
が、この人を見てるとそうお気楽なコトも言ってられないかもしれない。
肌寒く感じそうなほど冷房の利いてる麓沙亜鵺のタマリ場で
土屋は周りで騒いでる連中が感づかない程度に顔をしかめ煙草を銜えた。
目の前にいるのは緋咲。
ソファーに抱かれるように身を沈めて目を閉じている。
さっきから相賀がやたら楽しそうに話しかけているけど、
それにも三言以上続けて答えようとしてはいない。
相賀はとくに気にせず上機嫌。
逆なのはこの人。
薄明かりの冷たさの中で白い目蓋は開こうとしない。
こんな時、この人について考えられるコトは二つ。
滅茶苦茶機嫌が悪いか、
単にダルいのどちらか。
この二つは普通見分けがつき辛く、だるいんだと勝手に判断して構いすぎると
逆に恐ろしい目にあうから気をつけなければいけない。
しかし今日のこの人はたぶん後者。
と言うより見ればすぐに分かる。
何故ならあの髪の毛が全部降りている。
普段俺達の前に出てくる時は絶対立てられてる筈のあの髪がッ。
周りにいる奴らが今日はミョーに浮ついてるのはそのせいか?
楽しいか?おまえら。
そりゃあ普段見慣れてないモノが見れて楽しーかもしれないが、
あからさまに印象違ってて面白いかもしれないが、
コレはおまえらが思ってるほどイイもんじゃないぞ。
気温が25度こえたあたりからこの人の様子がおかしくなってたの気付かなかったのか?
見かけ変温動物っぽいからといって夏になると元気になるんじゃないんだぞ。
寧ろ逆。
夏場のこの人はダルさ全開。そのコト最近悟りました。
ここだって冷房ききすぎて寒いくらいなのに、この人はそんなことお構い無し。
内心かなり帰りたいモード入ってるはず。
ひきこもり小僧並に。
暑いからダルいんじゃない。
夏だからダルいんだ。
それは、理由としてはどうなんだ?いいのか?
そして今日だ。
なんで緋咲さんが髪の毛立ててないのか。
理由はいたってシンプル。めんどーだから。
ここで問題なのは、ソレをめんどくさがる程この人はヤル気が無いって事だ。
いやホント、大問題。
もう末期症状に近いそのダルさ。
頭がそんなんでいいのか俺達。
なんて考えながら、土屋は外見上穏やかに緋咲を眺めていた。
その視線が楽しそうな相賀に移り、妙に浮かれて見える周りの連中に移り
銜えていただけの煙草を灰皿に押しつけた。
楽しそーだな、おまえらは。
けど知ってるか。
髪の毛立ってない時のこの人は、心底ヤル気ないぞ?
はっきり言えば使いモンにならないんだぞ?
「だるぃ」と「うぜぇ」だけで会話するんだぞ?
一人で放っておくとホントに何にもしないんだぞ?
いいのか?この人このままでいいのか?
本人が聞いたら一蹴されそうなコトを土屋がウダウダ考えてると
不意に緋咲が口を開いた。
「……アイス、食いてーかも……」
独り言のようにぼそりと呟いた声に、土屋はふと思いついたコトがあった。
そうして持ってきたのはアイス一本。
ミルク味とか言いながらどこが牛乳なんだかよく分からない謎の甘さ。
普段のこの人なら絶対食わない、てか食えない筈。
甘いモン苦手だから。
「…緋咲さん」
自分の声がなんか少し震えてる気がする。
大丈夫、な筈。こんなにこの人ダレてるし。
二回、名前を呼ぶとようやく緋咲は顔を上げ土屋と目を合わせた。
冷たい色の眼球が気怠そうに瞬く。
心なし虚ろな瞳は土屋から受け取ったソレをよく見もしないで口許に運んだ。
「……ん」
先っぽを銜えた瞬間、すこし眉根を寄せる。
そのまま上目使いで土屋の顔を窺うが、土屋が平然としていると
とくに何も言わずにまた視線を落した。
アイスの白い冷たい表面に舌先がそっと触れる。
舌の上を緩慢に滑べらせ半ばくらいまで咥えこんで、
ほんの少し唇を窄めて引いた。
目の前に落ちてくる前髪を左手がかきあげる。
伏せたままの目許で長い睫毛が影を落していた。
極々大人しくアイスを舐めてる緋咲。
それを眺めてる土屋の胸の内はちっとも大人しくなれない。
というか予想外の現実に打ちのめされていた。
それはほんの出来心。
『緋咲サンおねだり上手っすね』
とか、命懸けのツッコミをしてみたかっただけなのに。
ちらりと垣間見えた舌の赤さに背中がぞくりとする。
伏し目になれば睫毛が長く見えるなんて当たり前なことなのに、
白い肌の上にかかる睫毛の影を一本一本数えられそうなほど
食い入るみたいにその表情を覗き見てる自分がいる。
しまった。
困った。焦った。
普通にアイス食ってるだけの筈なのに、なんでこの人こんなにやらしく見えるんだ。
土屋は無理やり目の前の光景から視線を外して新しい煙草を銜えた。
冷静になってみよう。
目の前のこの人は只だるそーにアイスを食ってるだけ。
髪の毛降ろしてるからいつもと違って見えるだけ。
それだけ。
土屋は煙草に火をつけながら、ちらっと視線を上げた。
ふと緋咲が溜息をつく。
それは口の中の甘さに辟易して思わず洩らした吐息だったのだが、
唇についた白いもののせいで昼間にあるまじき卑猥なコトを容易に想像させた。
赤い舌がちらりと覗きゆっくりと唇を舐める。
その光景に土屋は煙草を取り落としかけて焦った。
どうも錯覚じゃない。
気のせいだったらどうにでもこの場を流せるのに、今はムリ。
咥えてるこの人見て完璧欲情してきてる。
ナンだよコレ。
暑さで脳味噌ダレてんの俺のほうじゃねーのか。
さっきから背筋を這い上がってくるものに眩暈を起こしかけながら、
自分が、目のやり場が無くて困る小僧でもないことを知っていたので
土屋は機械的に煙草を吸いつつ外見だけは穏やかに緋咲を眺めていた。
それでも決して冷静だった訳ではないから、
さっきまで五月蝿いくらいに騒いでいた連中が、今は息を呑んで
同じような目で緋咲を盗み見ていた事には気付いていなかった。
そんな中を相賀の楽しそうな声だけが空虚に響いていく。
緋咲は曖昧な相槌を打つだけ。
ふと土屋は喉元に冷たい刃を突き付けられたような感覚に震えた。
一瞬だけ緋咲が上目使いにこちらを見た気がしたのだ。
もしも。
目の前のこの人が。
俺が考えてるコトに気付いたら。
身体中の血を凍りつかせる悪寒に身震いしながら
土屋は必死でその恐るべき予感から意識を逸らそうとする。
大丈夫、な筈。
いくらこの人が妙に勘が良くても、今日は気が抜けきってるし。
きっとさっきのも錯覚だ。
やましー事を考えてるからこんな風に思うんだ。
あぅ、俺って立場弱ぇ…。
限りなくどうでもいい事柄に散々苦悩している土屋は
自分の煙草が既にフィルタ近くまでなってるコトにも気付けなかった。
が、やがて悩ましき時間も終わる。
緋咲はようやくアイスを食べ終えた。
「……ふぅ……」
甘ったるくなった唇を軽く指で拭う仕草にまた視線が囚われる。
が次の瞬間、立ち上がった緋咲は緩慢な足取りのまま土屋を蹴った。
ぼんやりしていた土屋は短く呻いて吹っ飛ぶ。
それを見下ろす冷たい色の双眸が面白くもなさそうに瞬いた。
「昼間からオーラル・ショーさせんじゃねーよ」
突然蹴られた痛みはすぐにその言葉で掻き消される。
頭の中が真っ白になった。
「は?じゃあ気付いててやってたんですか!?…」
そう思わずこぼした瞬間、土屋は自分の過ちに気付き冷水を浴びせられたように愕然とした。
床に転がったまま恐る恐る緋咲を見上げる。
白い額に青筋が浮んでいた。
「………ふぅん?ホントにそーゆーコト考えてたんだな?土屋ぁ……」
囁きは鼓膜を震わせ、ゆっくりと緋咲の唇が弧を描く。
そこに浮んだ、寒気がするほど艶かしい悪意に満ちた微笑を見た瞬間
土屋はこれから自分の身に何が起こるかを悟り
何もかも諦めきった顔でぐったりした。
「ちょっと向こうで俺と遊ぼうな、土屋」
襟首掴まれてずるずる引き摺られていくその姿に、
誰もが心の中だけで合掌していたが、その中で一人
「いいな~土屋、緋咲さんと楽しそうで」
相賀だけつまらなそうな声を上げた。
「…じゃあ代わるか?」
喉の奥から絞り出すように土屋がそう言うと、相賀は笑顔で首を横に振った。
その愚かさに敬意を表して、合掌。
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あー、平和ですなロクサーヌ。いいんですかね、みんなこんなにボケボケしてて。
土屋がかなり情けないですが、そんな情けない話を更にもう一本書く予定です。
土屋はかっこいいと思ってた方に向け、今のうちに謝りましょう。
ごめんなさい。
緋咲の性質の悪さだけでも伝われば本望です。
最速で帰路につく。