『ユキマチ』




気付いてみたら、大晦日。


ちらりと時計を見る
今年もあと30分で終わってしまう。
なんて実感はあまりなく、ただ時計の針だけが急いでいる。
この騒がしい日々に切れ目があるわけでもないから、
大晦日と言っても別段特別な気分になるわけは無い。
そう思ってはみるけれど。
真嶋商会の作業場で、龍也はぼんやり紫煙を燻らせていた。
パイプ椅子に凭れて如何にも気怠く煙草を銜えている。
細く吐き出した紫煙はストーブの暖気に揺らめいて。
まるで眠いみたいに細められた龍也の瞳がそれを追う。
ふとその視線は、壁のある一点に止まった。
蛍光灯を鈍く反射している、時計の文字盤。
 “11:35” 
あと25分だ。
それを確かめ龍也はどこか憂鬱な吐息をついた。
座っているのもダルくて身体はずるずるとパイプ椅子をずり落ちていく。
なんとか背凭れに腕を回して後を振り返ってみた。
真嶋商会の作業場は爆音連中のタマリ場兼遊び場。
いつもは五月蝿いこの場所が、今日はやたら静か。
騒がしい原因である二人が二人とも今日明日ぐらいは実家にいるらしいから。
今、ここには龍也と夏生しかいない。
そう聞いた時、ツイてると思った。
あいつらがいないってコトは、
今そこで、さっきから黙々と爆音スペシャをルいじってる人と、久しぶりに静かに過ごせるってコトで。
素直に期待していた。
そう思うコトに、ほんの少しだけあいつらに悪いとは思ったけれど。
あくまでほんの少しだけ。
貴重なこの時間を嬉しく感じるほうがずっと大きい。


なのに、この状況は何なんだ。


龍也がココに来た時から夏生はずっと爆音スペシャルにかかりっきりだった。
別に龍也は邪険に扱われる訳じゃない。
話しかければキチンと答えてくれるし、普通に笑顔だって見せたりもする。
けれど龍也の顔を真っ直ぐに見るコトは無い。
その眼差しは愛機に注がれたまま。
思案するような瞳に心地よい意志が張り詰めている。
龍也は椅子に凭れてぼんやりとそんな横顔を眺めていた。
こういう時間が気に食わないわけじゃない。
こうしているだけで気持ちがイイのもたぶんホント。
けれど、
期待していた分、落差もあって。
自分が想像していた都合のいい図と比べると
いい加減溜息も出そうになる。
龍也が詰まらなそうに煙草を捨てた時、後ろ頭あたりで声が爆発した。
「あ!ねー、龍也。アッちゃんどこ?」
真里のいつでも元気一杯なその声は、
今の龍也にとって天真爛漫というよりは傍若無人だった。
「もしかして俺置いて先に行っちゃったのかなー」
「……うるせぇぞ、ガキ」
地を這うように低い声は不機嫌さを少しも隠さない。
訳もわからぬままいきなり怒られた真里は途端に腹を立てる。
「ナンだよ!一つしか違わねークセにガキ扱いすんな!!」
その物言いが既に子供っぽい事に気付いていない真里は唇を尖らせた。
龍也は澄ました顔で新しい煙草を銜える。
その様子が更に頭にきて真里が何か言おうとした時、
「マー坊」
コートを着た秋生が作業場に入ってきた。
「あんまし龍也かまうな。なんか知らねーけど腐ってんだから」
「ナニそれ」
不思議そうな顔で真里は聞き返す。
秋生は答えずに肩を竦めただけだった。
龍也は顔をしかめて秋生を一瞥した。
秋生の声は兄貴のそれによく似ている。
その声で“腐ってる”なんて言われると複雑な気分になりそうだ。
「……さっさと行けよ、ばあちゃん子」
秋生は正月を祖母の家で過ごすことになっているらしい。
と言っても歩いていけるくらいの近所だけれど。
何故そこに真里までついていくのか。
この、ばあちゃん子め。
不機嫌な龍也を横目に、秋生はコートの肩に積もった雪を払い落とした。
「外は寒ぃからちゃんとしたの着ていけよ、マー坊」
真里は大きな目をさらに丸くして、床に落ちた雪が溶けて水になっていくのを眺める。
「アッちゃん。もしかして雪積もってる?」
秋生は親指と人差し指の間を広げてみせた。
「こんぐらい」
「すげぇ!」
はしゃいで真里は外に駆け出していった。
置き忘れられた真里のコートを掴んで秋生もまた出て行こうとする。
「じゃあ、兄貴。あとよろしくな」
作業場の奥で夏生が空返事をした。
龍也にも軽く声をかけて秋生が出て行くと、真嶋商会は元通りの静寂に包まれた。
目立つ音といえば
詰まらなそうに龍也が身動ぎして、パイプ椅子が小さな音を立てるくらい。
ちらりと時計を見上げる。
あと10分で今年も終わるらしい。
そして、夏生はまだ顔を上げない。
ずるずると椅子からずり落ちそうになる身体を引き上げて、龍也はその横顔に声をかけた。
「夏生サン」
「…ん?」
「ヒマっす」
「…ん」
夏生はちらりと龍也を見て、
「もう少しで片が付くから」
それだけ。
その視線はまた龍也から離れる。
龍也は背凭れに両腕を乗せ顎を支えて、夏生の横顔をぼんやり眺めた。
吐き出した紫煙がゆらゆらと目の前を漂っていく。
静かな夜だった。
時計の針が時を刻む音がやたらと大きく聞こえるような。
耳を澄ませば、雪ノ音。
降り積もっていく。
「…夏生さん」
空返事。
「外、雪みたいっすね」
雰囲気あるとか思わねーの、あんた。
俺がどんなコト期待してるのかって考えねーの。
こんなトキなら単車いじる以外にするコトがあるんじゃねーの。
ねぇ。
眼差しだけでこちらを向いてくれるなら、いくらでもその横顔を眺めていられるから。
こっちを向けよ。
雪ノ音に紛れる
密やかな兆しも逃さないように
感覚を研ぎ澄ましている。
声や仕草。求めている。
あと4分。
その間に、あんたがきちんと俺の方を向いてくれたら
来年もきっとツイてるって思えるんだ。
だからさ、
早く。


ポスン


龍也は後頭部に軽い衝撃を覚えた。
項を冷たいものが伝い落ちる。
ゆっくり指で触ると、溶けかけの雪がくっついていた。
龍也は鬼のような目付きで後ろを振り返った。
「……真里ッ」
雪玉を投げつけた真里は、寒さで赤くなった頬に満面の笑みを浮かべて、
「龍也のバーカ!」
それだけ言うと走って逃げた。
笑い声が木霊する。
秋生の声も混じっているのを聞き逃す筈がない。
「あのガキッ……!」
肩を震わせキレかかった龍也は、ふと振り向き作業場の奥に視線をやった。
蹲るような格好のまま、笑いを殺そうとしている人間が一人いる。
「……あんたが笑うなッ」
怒りと微妙な恥ずかしさが混じる声で夏生の笑いが収まるわけもなかった。


本当は、夏生はとっくに仕事を終わらせていた。
後からちくちく刺さる視線に気付いていた。
ただ、
お預けをくらったワンコのようなその眼差しを見て、思わずそのまま放っておいてしまった。
もう少しだけ、龍也の視線を支配していたくて。
自惚れではない優越感を味わいたくて。


夏生は笑いながら、とりあえず龍也に謝った。
まだ機嫌を直していない龍也の頭を撫でてやる。
子供をあやすようなその手を、龍也は恨めしく見上げて
そっと指を絡めた。












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3333HITしていただいた夏月さんのリクエストで、お題が“夏龍”だったんですが…
なんつーか、乙女が一人います。
夏龍の龍也は基本的に万年乙女です。困ったちゃんです。しかもまわりから生暖かい目で見られてます。
平和なんす…爆音は。
ところで夏生さんの年齢がいまいちわかりません。僕の中ではとっても大人なイメージがあるんですが…
どうなんでしょうね?

とにかく!3333HITありがとうございました☆



もう帰りたい