口に含んだ苦味には、やはり清々しさの欠片もなくて、
少し痛みのある喉を流れ落ちる感触が不愉快。
ぶつける相手が目の前にいるから、それは酷く素直に表に出る。
だから緋咲は顔を顰める。
「まずい」
吐き捨てるように言って、ビール缶をベッド脇に置いた。
秀人はその不機嫌な声を軽く笑い飛ばす。
「俺のせいじゃねーだろ」
開けてから随分と放っておかれたビールは、ただぬるいだけの液体になっていた。
ベッドの上から緋咲が秀人を睨む。
「てめえがしつこいせいだろうが」
「バーカ、缶開けたまま忘れてたのは緋咲だろ」
壁に寄り掛かって座っていた秀人は、涼しい顔で読みかけだった雑誌に目を戻した。
冷たい色をした瞳がきゅうと細められ、悪態をつく。
その左目を覆った包帯を、緋咲は無意識に指で触れる。
そうして上げた腕の、青い静脈が透ける白さに気付き、またのろのろと服を着始めた。
シャツのボタンが上手く留まらないのは、不自由な指と気怠さのせい。
億劫に思いつつ、機械的にビールを口に流し込むのは、掠れた喉のせい。
ゆるゆると募る不愉快は、やはりぶつける相手がいるからなんだろう。
そこにいると思うだけで、神経がひりつく。
緋咲は、当の秀人が既にきっちり着替えてあるのを眺めつつ、ボタンから滑る指を諦めた。
「やっぱりもう少し吹っ掛ければよかった」
「……あ?」
「これ」
緋咲はビール缶を掴み、軽く振った。
流し目に揶揄が浮かぶ。
その気配に秀人は顔を上げた。
「そんなんで良かったんだろ?吹っ掛けんならあん時にちゃんとしとけ」
「あんまり秀人クンいじめんのも悪いと思ったんだよ、あん時は」
「へえ?遠慮してくれたのか」
秀人は口の端を僅かに吊り上げ、言外に否定する。
緋咲に限ってそんなことは有り得なかった。
少なくとも、秀人を前にしている時は。
緋咲は薄く微笑んで、緩慢にベッドから立ち上がると、秀人の前に座りこんだ。
凍りついた湖面のような双眸の奥に、冷めた嘲弄をちらつかせて。
それでもその唇に浮かべる微笑を、随分と艶かしく思ってしまうのは
先程までの熱に浮かされた吐息が、まだ耳に残っているせいかもしれない。
性質の悪い錯覚に誘われて、秀人は腕を伸ばす。
緋咲の手首を引き寄せ、聞いた。
「じゃあ緋咲は、俺には何してくれんだよ」
「何って」
「俺の誕生日になったら、おまえ何してくれんの」
「いつ?」
「もうじき」
「……ふぅん」
緋咲がほんの少し柳眉を顰める。
それは考え込む時の顔付きだ。
返事を促すような秀人の目を眺めながら、気怠げにまたビールを口に含む。
それからふと、秀人に唇を寄せた。
秀人は、冷たい色の双眸を間近に見、そして口に流し込まれたものを知らぬ間に嚥下していた。
ゆっくりと緋咲は離れ、聞く。
「まずいだろ」
それがビールのことを言っているのだと、秀人が気付くには、ほんの少し時間がかかった。
舌の上に残るのは微かな苦み。
触れ合った唇が、熱を孕んだような気がした。
「……ちっと良く分かんねーな」
秀人は緋咲を引き寄せて、また唇を重ねる。
薄く開かれていた唇は容易く舌を受け入れて、緩く閉じた瞳の長い睫毛を震わせる。
緋咲は背筋にぞくりとするものを感じた。
歯列をなぞる濡れた感触や、首の後ろに添えられた手の温度が
身体の奥を漣のように震えさせ、溶かすようで。
そんな感じやすさに神経は余計ひりつく。
けれど不愉快なその感覚が、酷く素直な快感にも思えた。
秀人の手は首筋を撫で上げ、耳朶を掠めていく。
髪に指を通した時、秀人は包帯のざらついた感触を感じた。
そのままそっと手を這わせていくと、丁度目の辺りに親指が掛かる。
緋咲の身体がほんの小さく震えた。
左目を覆ったその包帯を、緋咲が無意識に、けれど神経質に気にしているのは知っていた。
それは痛みのせいでなく、見えないことへの不安なんだろう。
その包帯を引き千切ってやったらどんな顔をするだろうか。
脈絡の無い考えが一瞬秀人の頭に浮かんで、すぐに消えた。
緋咲はもう離れていた。
気怠そうに立ち上がり、秀人を見下ろした緋咲は、やはり神経質そうに包帯に触れる。
そして自分の傷んだ目を指差した。
「……てめえの時は、三倍返しだな」
物騒な予告をした唇が、艶かしい悪意で濡れていた。
「楽しみだろ?秀人クン」
秀人は何も言わなかった。
挑発する瞳を見返して、ただ口の端をほんの少しだけ吊り上げる。
緋咲にとっては、それで充分だった。
満足そうに微笑み、緋咲はそのまま部屋を出ていく。
どうせすぐにまた会うだろうから、振り返る気にもならなかった。
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オマケ。
オマケなのに『おねだり』より微妙に長くなったのは秘密です。
エロも頑張って書かねばと決意した今日この頃です。
ところで。
↑に出てくる緋咲さんの傷についてですが。
すごく綺麗に切ったおかげで、治ってしまえば痕が残らないものと私は思いたいです。
すごい早さで帰ってやる。