『ありがとう』

白々と明ける空。
いつもよりほんの少し早い朝食は、いつも通り土屋の部屋で。
白粥をレンゲで掬う相賀は、
けれど両の目をずっとテレビに向けていて、呟く。
「あ、俺今日、1位だ」
今日のおひつじ座は何をするにもツキまくり。
丁度バスルームから出てきた緋咲に早速教える。
「今日の運勢、俺1位って」
緋咲は眠そうな顔のまま、タオルで無造作に髪を拭きながら、
相賀があんまり朝から楽しそうなので、テレビを一瞥してやった。
他愛無い、朝の占い。
「ふぅん」
緋咲の感想は簡潔。
相賀は、小さな卓を挟んで向かいに座った緋咲に、思わず姿勢を正してしまう。
正座してものを食うのは、緋咲が前にいる時ぐらいしかない。
それとは逆に緋咲は今、頬杖をついているのだけれど。
興味無さそうにテレビを眺める緋咲を、相賀は眺める。
「あれ?緋咲さんて誕生日、いつでしたっけ」
「……いつだったかな」
ぼんやりと、緋咲は言う。
ふと、その冷たい色の瞳が上目遣いに相賀を見た。
いつもと違う目線の高さを、相賀は少し不思議に思えた。



落胆の声は、本人のものでなくて。
「あー、そうすると緋咲さん、今日の運勢最悪らしいですよ」
相賀はまるで自分のことのように、残念そうな声を上げる。
「そうかもな」
最悪と言われた方の緋咲は表情を変えない。
しかし、その時聞こえてきた耳障りな音には小首を傾げた。
ジクジクという音に台所の方を見ると、やかんから派手に吹きこぼれた湯で火が消えたところだった。
その前には土屋がいる。
「土屋?」
何してんだと緋咲は続けようとしたが、それよりも先に土屋の方が近づいてくる。
ものすごい不機嫌な顔で。
「緋咲さん」
険のある声で言われ、緋咲は思わず相賀の方を見た。
相賀は目を丸くして首を横に振ってみせた。
怪訝そうな緋咲に、土屋が言った。
「三日」
「は?」
「あんたの誕生日、もう三日も過ぎてんじゃないですか!あんた今まで何やってたんですか?」
「何って、別に」
「だいたい緋咲さんの誕生日なんて聞いたことありませんでしたよ」
「言ってないからだろ」
「なんで!」
「忘れてたんじゃねーの?」
「嘘でしょ」
「まあな」
面白くもなさそうな緋咲と、それが不満な土屋。
二つの視線が絡んだ一瞬は、呆れたような溜息に流される。
「……あんたね、もっと前に言ってくれたら、こっちも色々とやりようってもんがあるでしょうが!」
「別にどうでもいい事だろ」
「どうでもいいわけないでしょ……」
恨みがましい声を余所に、緋咲は平然として相賀から白粥を一口貰ったりする。
土屋はすっかり最初の勢いを無くしていた。
まったく遣り甲斐の無い相手なのだ、目の前にいる人間は。
誕生日なんだから何かしてやりたかったとか、そんな思いを気安く汲んではくれない人間なのだ。
がっくりと肩を落とした土屋を眺め、緋咲は相賀にレンゲを返しながら声をかけた。
「土屋?おまえ何朝から凹んでんだ」
凹ませた本人がそれを言う。
「……緋咲さん」
けれど土屋は、このまま黙る気にはなれなかった。
「“三日”遅れですけど、誕生日おめでとうございます」
「別にめでたくねえだろ」
「俺にとっては充分めでたいんだから、いいんです」
自然と土屋の口をついて出た言葉に、緋咲は少しだけ唇を吊り上げる。
それはあんまり微かな笑みで、土屋は首を傾げる。
他の連中と比べれば遥かに付き合いがある筈なのに、
それでも土屋は、こういう時の緋咲が何を考えているのか良く分からない。
微かな表情や、或いは言葉。
そんなものの揺らぎを飲みこみきれずに戸惑う。
けれどこんな風に振り回されるのは、緋咲が確かにここにいるからで。
今更ながら感慨深くなるのは、たぶん三日遅れの誕生日のおかげだ。
緋咲がいなかったら、出会うことがなかったら、こんな他愛もない言い合いも、そのせいで凹むこともなかった。
それどころか、キスしようとして殴られたとか、押し倒した途端に殴られたとか思わず手錠使ったら殴られたとか
そんなこともきっと無い筈で。
もしも会わなかったら、人生変わってる。
胸をまるで後悔のように締め付けるのは、いっそ笑いたくなるような恍惚。
緋咲に会ったことで、人生が思いきり捻じ曲がったような気がしても、そんなことはまったくどうでもいい。
歪んだ道の先に、今目の前にいる人間が立っているのなら。
土屋は緋咲の前で畏まった。
「……あー、緋咲さん」
「何だよ」
「生まれてきてくれて、ありがとうございます」
緋咲は土屋をまじまじと眺めた後、
「……どういたしまして」
堪えきれずに笑いだした。






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相賀がおひつじ座になってますが、とくに深い意味はありません。
にしても土屋、朝からテンション高いですね。
けど緋咲さんの方に悪意はないと思います。
きっと数え年で考えたんですよ。だから誕生日がぴんと来なかったんじゃないでしょうか。
……慰めにならない……。

お帰りはこちら。