『相合傘』




雪の音がする。
薄ら白い宵空から、影もなくゆらゆらと。
ゆらゆらと漂って、アスファルトに消える。
雪の音がする。
握った傘の柄は冷たい。
いつか指も凍えて混じり合う。
一つ、息を吐いた。
気道を駈け上がり熱を孕んでいたはずのそれは、
唇の隙間から出た途端、別のものに変わる。
ひゅう、と小さな音がした。
後ろに流れていく微かな影を見たような気がした。
少し傘を上げ、先に目をやった。
街灯の丸い光の中、ゆらゆらと。
ゆらゆらと漂って。
それだけだ。
あたりを包んだ宵闇はぼやけているくせに、
ぼやけているから、漂うその影も、何もわからない。
ただ、雪の音がする。
その下を二人して歩いている。
肩が触れ合うほど傍にいるあの人は、けれど何も言わないから、
自然こちらも黙って前を向いていた。
霞んだ宵闇の、見えない先を眺めながら、
何も言わないあの人のことを考えた。
仄白い顔に浮かんでいた、厳しい何かの理由を考えた。
けれど、結局何も思い浮かばないまま、あの人は何も言わないまま、
ただ、雪の音ばかり聞いている。
傘の柄をほんの少し握り直した。
冷たさが改めて指を刺した。
ふと、足を止めてみようかと思った。
愚にもつかない考えはやはりそれだけのものでしかなく、
この足を止めるどころか、肩が触れ合うほど傍にいるあの人の、
凍えた水底のような目を確かめることもできない。
そんなことがしたいわけじゃないんだと、思う。
そうじゃなくて、ただ。

あの人は、何も言わないまま、濡れたアスファルトに視線を落としたまま、
煙草を銜えようとした。
傘を持つのとは逆の手で火をつけてやると、思い出したように、
もしかすると初めて気付いたように、
ようやくこちらを向いた。
目が間近に合う。
一瞬で、奥まで射貫かれる。
長い指に煙草は唇から離れ、微かに甘い紫煙は細く吐き出され、
あの人の腕が肩に回って、そして。
唇に触れたのは、いつもより冷たい感触。
あの人の目に間抜けな顔をした自分が映っている。
慌てた傍から舌を入れられて、もっと慌てさせられて、
それなのにこっちががっつくと、もうあの人は離れていて。
宵闇の中、濡れた唇が弧を描いていた。
きゅうと細めた双眸は、さっきまでこちらをちらりとも見なかったくせに、
脳髄からじんと痺れるほど艶かしくて。
たちの悪い熱が込み上げてくる。
あの人は、ただ笑った。


目蓋に冷たいものが触れて、気がついた。
取り落としてしまった傘に雪の欠片が散っていた。
あの人は、もうとっくに先を行っている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 今の何すかッ」
傘を拾い上げてあの人のところに急いだ。
雪の音はもうしない。
それよりも煩いものが胸の奥で暴れている。
その事をどうしても感づかれたくなくて、顰めた顔を作ったつもりなのに、
こちらを振り返ったあの人は、やっぱり笑った。


























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何ですか、じゃないよ!

土屋のいいところは、初心を忘れないことなんだと思います。
だから緋咲さんが傍にいるといつもどきどき。
がんばれ。



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