『 雪中夏眠生物 』





夏の太陽は確かな意志を持っている。
自分の遥か下を足を引き摺って彷徨う小さな生き物を焼き殺そうとしている。
理由は多分、ちょっとむかつくとかそんなもので。
きっとそれで充分なんだ。
そうとしか考えれない。
土屋は顔を顰めて視線を上げた。
乾ききったアスファルトは陽光が白く焼きついて。
妙に緑がかった視界でハレーションを起こしている。
目が痛くなる。
立ち尽くしている土屋は目を閉じる。
目蓋の裏側に広がっているのは、やっぱりアスファルト。
妙な色に染まって、焼け付いて。
肌をひりつかせるこの熱が薄れる筈もなくて。
諦めすら感じまた目を開ければ。
太陽は真上にある筈なのに黒々とした影が横にどこまでも長く伸びていく。
首を巡らせて影を追った。
長い足が、投げ出されている。
丁度日陰に収まるように、土屋の片足に背を凭せ、緋咲がだらしなく座りこんでいた。
いつもは綺麗に整えられている髪は全て下されて。
項垂れた青白い項に絡む細い髪が汗で少し乱れている。
力の無い肩が掠れた吐息と共に緩やかに上下した。
引き攣れたような傷痕のある左手が落ちかかる前髪を煩そうに掻き上げ
緋咲は伸びあがるように上を向く。
殺意に輝く太陽を映し込んで、冬の湖面のような瞳が虚ろに揺れた。
その目が、日陰を作りながら自分を見下ろしている土屋に気付くまで少し時間がかかった。
常の張り詰めたものが無い緋咲を、土屋は目を細めて眺める。
弱りきったその様子は陽光の下に引き摺り出された水棲の生き物のようだ。
青白い肌は夏を忌むように血の気が無い。
ただ薄く開かれた唇が赤く、ちらりと覗いた舌が血の色をしていた。
気怠るそうに座り直す緋咲の微かな溜息が耳をくすぐる。
……暑い……
掠れた声はそれだけ言うと、恨めしげに土屋を見上げた。
そんなことを言われても、困る。
夏が暑いのも、太陽が殺意を持っているのも、どうしようもない。
そう答えても、緋咲は虚ろな目で見上げるだけで。
シャツの合わせ目に指を引っ掛けて少しでも涼しくなるようにする。
苦しげに唾液を飲み込もうとして喉が小さく動いた。
そんなに、苦しいんですか。
口を開きかけた土屋はその言葉を飲みこんだ。
ぐったりとして影の中に座りこんだまま、虚ろな瞳で切なげに見上げるだけの、その表情が
身体の奥から焼けつくような何かを込上げさせて。
同時に小さな、けれど普段なら想像すら出来ないような優越感が湧き上がってくるのを止められない。
飲みこんでいた言葉を吐き出せば、それは少し掠れた笑いを含んでいた。
けれど瀕死の生き物は陽光を厭うように目を閉じていて
頬にそっと触れても少し眉を顰めるだけ。
唇が微かに動き、乾いたそれを潤そうとした。
土屋は唇を重ねて代わりに舌で舐める。
頭の上にある太陽とは違うものが眩暈を起こさせていた。
強引に口を開かせ舌を差し入れると初めて緋咲は抵抗する。
けれどそれも冷たい指が肩に爪を立てるだけで、尖らせた舌先で感じやすい所をなぞれば小さな声を洩らした。
そんな微かなものでも脳が沸騰してしまいそうで、貪るように緋咲を求めた。



茫として土屋を見上げたまま、唇が濡れている。
冷たい色をした瞳はまるで硝子玉で、感情と呼べそうなものは何一つ浮かばせない。
ただ瞬きと共に揺れる睫毛の影と、シャツに引っ掛けた指だけが緩慢に動く。
土屋は身を屈めて緋咲と視線の高さを合わせ、
白い首筋に残る小さな痕に指でそっと触れた。
薄紅の、見せつけるように残されたそれがどうしても気に入らなくて、口を開く。
それを残したのが誰なのか。
問いながら、酷く気に食わない筈なのに
頭のどこかでとっくに諦めている。まったく常日頃の性質が悪い教育の結果だ。
それでも聞かずにはいられないから、尚悪い。
けれど、硝子玉の瞳に何一つ浮かばせないまま、緋咲は言う。
その一言、
揺らぎの欠片もない言葉に、土屋はどうしてか笑ってしまった。
唇を歪ませるのは、顔も分からない誰かへの嫉妬なのか、侮蔑か。
あるいは憐憫か、同情か。
眩暈は止まらない。
頭が働かない。
だから結局考えることを止めて、忘れられた誰かの残した痕に唇を寄せれば
陽光の下、水棲の、死にかけの、傲慢な生き物は
酷く淫らな吐息をついた。
そうやって触れていった肌は、やはりどこか冷たいと思った。






















冷たい。

「土屋、おまえさっさと起きねーと埋もれるぞ」
その声に土屋は目を開けた。
目の前に広がっていたのは、真っ黒い空。
星の無い空から降ってきた何かが頬に当たる。冷たい。
手も、背中も冷たい。
身体を起こして周りを見ると、自分が積もった雪の中に仰向けになっていたことに気付いた。
空から降ってきた雪がまた頬を掠める。
いくら酔いが回っているとはいえ、少し冷た過ぎた。
「で?酔いは覚めたか」
そう言った緋咲の口許が少し笑っている。
随分飲んでいた筈だし、充分酔ってもいたが、それでも緋咲の顔色はほとんど変わらず
ただ切れ長の目許だけが淡く色付いていた。
雪を踏んで近付いてくる長身を土屋はぼんやりと見上げる。
「いや……雪ん中寝転んでも寒ぃだけで」
まだ酔ってますよ、と言いながら立ち上がる。
視界が揺れそうになると緋咲が片手を掴んで引き上げた。
間近にある緋咲の顔を土屋は繁々と覗きこんだ。
「……なんだよ」
「緋咲さんて」
「ん」
「夏、嫌いですよね」
「は?何おまえ冬にそんなこと聞くんだよ」
「……いや、ちょっと季節外れの夢見たんで」
なんか最近酔い方まずいんですよ。
土屋は、興味無さそうに曖昧な相槌を打つ緋咲を、じっと眺める。
緋咲の首には深い色のマフラーが巻かれていた。
「緋咲さん、マフラー崩れてますけど」
かなり緩くなってしまったそれに、土屋は手を伸ばそうとした。
けれど青白い指先がさっさと直してしまう。
その動作はあんまり滑らかで、余計な世話を焼くどころか、首筋を確かめるなんてことは尚更無理だった。
土屋は、先に歩き出した緋咲を視界の隅に入れながら、寒さで冷えた指を額に当て
酔いと、幻の夏が焼き付かせた眩暈を覚まそうとした。




























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元ネタはBLUE-SKYのチイ様から。
夏に弱そうな緋咲と甲斐甲斐しい土屋……な話の筈だったんですけどね。
弱いどころか死にそうな人がいますよ、あっはっは。
個人的に、緋咲は夏眠する生物だと思っていたので、こういうのは逆に楽しかったです。
拘束ネタではないですが、正しく妄想話なんでここに置いておきます。
寧ろ夢オチ妄想万歳!

夏眠というと思い出すのが肺魚なんですが……
今、調べたら蝶でも夏眠するのがいるらしいです。
成虫が夏眠するんでしょうかね。




もう帰る。