高校生×予備校講師なパラレルです。
土屋が普通の高二で、さらに予備校なんか行ってたりします。
あと微妙にバレンタインネタだったりもします。
パラレル苦手な方はお戻りください。



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 『ボーナストラック3』



その日、土屋はいつもより早くコンビニから出た。
普段の木曜日なら、予備校の前にあるコンビニを授業の始まる数分前に出れば
四階の401教室には講師が来る少し前に入ることが出来る。
しかし、その日はいつもよりだいぶ早く教室に入った。
木曜に数学を入れているのは仲間内では土屋だけで、
いつもとは違う行動をあれこれと言われる必要も無かったが、
誰かに何か聞かれたとしても、誤魔化してしまえばいいだけだった。
ただ、教室に忘れた筈のプリントを探したいだけだから。
ブラインドが閉められた窓際の席を、後ろから前までざっと見ていく。
どの机の中にも、目当てのものは無かった。
そんなことだろうと考えていたから、土屋は一番後ろの席に大人しく座った。
この教室に来たのは先週の木曜が最後だから、
その時に机の中に忘れたものがいつまでも残っているとは思えなかった。
それよりも、あまり早く来すぎて手持ち無沙汰だ。
取敢えず机の上にテキストを出してみたものの、授業の予習を済ましてしまうほど熱心でもない。
仕方なく携帯をいじる。
しかしふと気がつくと、まだ誰もいない教卓の方に目がいくことがある。
その度に頭の中を掠める何かから、目を逸らした。


「先週に出した課題プリント3枚、全部まとめて後ろから回せ」
ぼんやりしていた土屋は、その声に携帯から顔を上げた。
周りの席はいつのまにか埋まり、黒板の前には数学担当の講師がいた。
まったく別のことを考えていたせいで、この講師がいつのまに教室に入ってきたのか分からなかった。
それでもきっと、いつも通り時間丁度にあのドアを開けたんだろう。
教卓にテキストを広げながら生徒の方を見もせずに話す口振りが、人を自然と使うのに慣れている。
その様子から、土屋は平素と違うものを見つけられなかった。
土屋の二つ前の席に座っていた生徒がちらりと振り返る。
土屋は視線でプリントが無いことを告げた。
視界の片隅にあの講師を入れると、丁度こちらに背中を向けていた。
なんとなく、ほっとする。
しかしそうやって安堵した自分に気付き、何かぎくりとした。
本当にただプリントを忘れただけなら、こんなにあの講師を気にする必要も無い筈で。
のろのろとテキストを開きながら、視線はやはりそちらに行く。
ダークカラーのスーツに、ありふれた黒フレームの眼鏡。
テキストを覗いて俯く線の細い顎が少し神経質そうだ。
唇が動き始める。
歯切れの良いその喋り方が嫌いじゃなかったが、今日は少しも内容が頭に入ってこない。
声だけを、ただ聞いていた。
淡々と話し、黒板に少し癖のある字を書いていく姿を、ただ眺めていた。
その横顔。
蛍光灯の、熱の無い光に照らされているその顔は
あの時は、もっと冷たく、青白く見えた。


木曜なら、授業が終われば土屋は大抵、予備校の前にあるコンビニで時間を潰す。
大した理由は無いが、木曜日はあまり家にいたくない。
だから、先週もコンビニで適当に雑誌を読み流していた。
が、そのうち自分が教室にプリントを忘れたことに気付き、
どうせ時間もあるので取りに戻る気になった。
だいたい、木曜の数学はプリントが多い。
授業中に配られたそれは途中まで手をつけたが、まだ最後までは終わっていなく
その分を次週までの課題として出されていた。
それを、机の中に入れたまま教室を出た筈だった。
予備校に戻り四階まで上がると、辺りはしんと静まり返っていた。
数学のあった401教室も既に照明がついていなかった。
いつも座るのは窓際の、後ろ側のどれかだったから、そちらのドアを開けた。
暗い、と思ったのは一瞬だった。
窓の開かれたブラインドから光が差しこみ
整然と並んだ机の輪郭が、茫と青く、浮かんでいた。
これなら照明をつけなくても良さそうだ、と思いながら何気なく首を巡らせて
土屋はその場に硬直した。
他に誰もいないと思っていた教室に、誰か、背中を向けて立っていた。
それだけなら、さほど驚かなかったかもしれない。
しかし、そこにはもう一人いた。
背中を向けている誰かの首に腕を絡め、教卓に凭れるようにしていたもう一人の
青白い横顔を見た瞬間、呼吸をするのを忘れた。
しかし次の瞬間には弾かれたように踵を返し、気付けば家についていた。
その間に色々なことを考えていた筈が、自分の部屋に入った途端、頭の中が空っぽになっていた。
それ以来一週間、頭がどこかぼんやりとし続けている。
プリントを教室に忘れたままなのに気付いたのは、つい昨日のことだった。

土屋はじっと教卓の方を見詰える。
あれは、どう考えても
今そこで、澄ました顔で話し続けている数学講師だった。
しかし、その事を誰かに話す気にはなれなかった。
一緒にいたのが多分男で、しかもその背中に何となく見覚えがあったとしても
夜目のことで確かではないし、他人の事をどうこう言うのも趣味じゃなかった。
だから、何もしない。
あの時のことは、このまま忘れてしまえばいい。
関わり合いになる気は無いし、忘れるのが一番楽だ。
そう思いたかった。
それなのに、あの青白い横顔が頭の中にちらついて、今そこに立っている姿と重なる。
ふと口を噤み、何か考え込むように時計を見る切れ長の瞳が
あの時の、背筋が粟立ちそうなほど艶かしい微笑を浮かべるような気がしてしまう。
知らず、唾を飲みこんだ。
耳の奥で血管が鳴っていたことにようやく気付いた。
がらになく、焦っている。
そう意識しなければならないことに、舌打ちしそうになる。
まずいと思いつつ、視線はその横顔から離れない。
チョークを持つのとは逆の手が長い指で眼鏡を直した。
そういえば、あの時はその黒フレームを見なかった。
眼鏡を外していたのなら、たぶん向こうはこちらが誰なのか分からなかっただろう。
そう思うと、後ろめたさのようなものを感じてしまう。
唐突にある名前が脳裏を掠めた。
緋咲、だ。
あの講師は確かそんな名前だった気がする。
珍しい名前だから覚えていたんだろう。
しかし、すぐに土屋は後悔した。
記憶の夜闇の中、どこか曖昧だったものが名前をつけられた瞬間
艶かしい冷笑をこちらに向けたような気がした。
血の温度が上がる。
その感覚に背筋がぞくりとする。
こんなのはまったく性に合わないと、自分を嘲笑う余裕まで無くなりそうで
土屋は携帯で時間を見た。
授業が終わるまではまだかなりあった。
今日の授業に出たこと自体を後悔し始めていた。
そしてそれが、胸の内にぼんやりと湧き上がってきた、ある種の衝動にすりかわりそうで
教卓に凭れて話す姿から目を背けた。



「土屋」

授業後のささやかなざわめきの合間を、細く切り取るようなその声は
さして大きいわけでもないのに、土屋の足を止めさせた。
一瞬、誰に呼ばれたのか分からなかった。
さっさと帰ろうとしていた土屋が振り返ると、あの講師と目が合った。
レンズ越しの瞳が、残れと言っていた。
土屋にとって、自分が名前で呼ばれたことは意外だった。
緋咲が、生徒一人一人の名前を覚えているような性格だとは思っていなかった。
「……何すか」
背中の方からざわめきが遠ざかっていく。
生徒が帰り、静かになっていく教室とは逆に、自分の中身がざわついて仕方が無い。
何の用なのか。
もしかして、あの時のことなのか。
血が駆け巡るのと同じくらい速く、色々な考えが頭の中で渦を巻く。
相手は何も言わないまま、机の上に広げられたテキストを片付けていく。
視線の置き場がなくて、青白い指先を見詰めた。
その指がチョークホルダーを仕舞い、机に積まれたテキストを差す。
「それ持って、ついてこい」
有無を言わせない口調だった。
土屋が戸惑うのに構わず、緋咲は一人で教室から出ていった。
仕方なくその背中に従う。
「あの、どこ行くんですか」
「……喫煙室がいいな。先に行ってろ」
緋咲は何の用件かは言わず、廊下の途中にあるトイレのドアを開けた。
土屋もついていき、ただ手を洗い始めていた後姿へ声をかけた。
「すんません。俺、今日は用事あるんですけど」
「すぐ済む」
実際は用事なんてものは無かったが、緋咲の返事はきっぱりしたものだった。
土屋は閉口し、仕方なくそこに突っ立っていた。
水音の中、丁寧に動く長い指をぼんやりと眺める。
鏡に視線をやると、俯いた緋咲の顔が映っている。
頬に落ちる睫毛の影が長かった。
こう傍でまじまじと覗いたことは無かったと、場違いな考えが浮かんだ。
水音が止まり、手を拭き終えた緋咲が顔を上げる。
指が眼鏡に掛かったので、直すのかと思った瞬間、
事も無げにそれが外された。
すっと通った鼻梁には、丁度眼鏡が掛かるあたりを横切るように、細い傷痕があった。
思わずそれに目がいった土屋は、緋咲が外した眼鏡を仕舞ったので更に愕然とした。
「眼鏡、いらないんですか……?」
「元々度なんて入ってねぇよ」
鏡の中の緋咲は無表情に言った。
自分の思い違いに気付かされ、土屋の顔色が変わる。
その様子を眺める切れ長の瞳に、蛍光灯が青白く反射していた。


プリントの左上にある自分の名前を見て、土屋は妙に納得した。
緋咲が喫煙室のテーブルに置いたのは、確かにあの日忘れた筈のプリントで、
緋咲はこれを見たから今日自分を名前で呼んだんだろう。
白いテーブルを挟んで前に座っている緋咲は、椅子に悠々と腰掛けて煙草を銜えていた。
その瞳がじっと土屋を見据えている。
冬の湖を思わせるような双眸に射貫かれるうち、
土屋は、あのありふれた黒いフレームと、レンズの人工的な冷たさが
逆に眼差しの透徹した強さを和らげていたことに気付いた。
今、その見透かすような眼差しを妨げるものは何も無い。
そして多分、見透かしているんだろう。
あの時教室に入ってきたのが自分だということを。
だから土屋は、頭の中で当てもなく言葉を探すのを止め、観念した。
それでも口はやはり重い。
「……先週のアレは、別にわざとじゃないんで……つーか別に、人に言う気とかも無いし……」
そこまで言って、止めた。
緋咲が笑ったような気がした。
「ふぅん?」
煙草を灰皿に捨て、緋咲はテーブルに頬杖をついた。
間近になった瞳が土屋を覗きこみ、きゅうと細められる。
「なんだ、やっぱりおまえだったのか」
一瞬、土屋の頭には何も浮かんでこなかった。
「なんだ、って……まさかあんた、知らなかったとか……!?」
「知らなかった。俺はあの時は良く見えなかった」
緋咲の指がコツコツとプリントごとテーブルを叩く。
「ただ、後で見たらこんなもん忘れてた奴がいたし、おまえの様子が面白いくらい変だったしな」
授業中の取り澄ました表情を思い出し、
土屋はふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
「きったねぇ……かまかけた」
「けど、言わないんだろ?」
今度こそはっきりと、緋咲は唇を吊り上げていた。
傲慢ですらあるのに、どこかあの青白い艶かしさを漂わせた微笑が浮かぶ。
切れ長の瞳が真っ直ぐ土屋に向けられ、冷たく釘を刺していた。
その眼差しに飲まれそうになる。
それでも、土屋はどうにか言いきった。
「そんな気無ぇよ」
「……ふぅん」
緋咲は視線を外し、新しい煙草を取り出した。
土屋の言葉を取敢えず信用したらしい。
しかしその口振りは、あの時のことが露見するのを本気で恐れているようにも思えなかった。
流れていく紫煙を眺める瞳は、何を考えているのか窺わせない。
その顔を見据える土屋の目がきつくなる。
緋咲が何を考えているのであれ、こちらが引っ掛かるように平然と仕向けたことに腹が立つ。
緋咲はそんな土屋を見、ほんの少し笑った。
凍てついた湖のような瞳に幾分柔らかさが差して見えた。
「鎌なんか掛けてねぇよ」
そしてプリントを持ってざっと目を通すと、また土屋の前に置く。
「じゃあ、20分な」
「は?」
「おまえだけなんだよ、これ提出してない奴。20分やるから今終わらせろ」
「はあ?ちっと待って。今から?そんなん来週までにやってくるからもういいでしょ、帰らせてくださいよ」
「来週まで延ばすと俺の仕事が増える。手間かけさせんな」
緋咲は面倒そうな声で言うと、何気なく付け加えた。
「だいたい、おまえホントは用事なんて無いんだろ」
土屋の苦しい言い逃れを嘘と見抜いていたらしい。
勘が良くてやりづらいと土屋は思った。
「……ええ、まあ、無いですけどね」
「俺はあるんだ。だから早く終わらせろ」
「だったら来週でもいいじゃないですか?……だいたいあんた、そんなに仕事熱心じゃないだろ」
土屋はいつも感じていたことを思わず口にした。
緋咲は否定しない。
ただ指先でコツコツとテーブルを叩く。
その目が、土屋の意思は関係無いと語っていた。
余計な仕事の増えることがとにかく煩わしいらしい。
「……何なんだよ」
土屋はぶつぶつ言いながら、プリントを手に取ってみた。
3枚のうち、終わっていないのは1枚だった。
「そんなに時間かかんねぇか」
「まあ、多分……」
緋咲は授業中のような澄ました表情に戻っていた。
だから土屋も思わずそんな気分で答えてしまう。
解けると答えてしまったからには、後は仕方なくでもこの場でプリントをやるしかない。
土屋は思いきり顔を顰めてみせた。



漂う紫煙は微かに甘い匂いがした。
煙草を銜えた緋咲は頬杖をつき、土屋が問題を解くのをぼんやりと眺めている。
喫煙室には他に誰もいなく、廊下の方もひっそりと静まり返っていた。
その沈黙が、土屋には居心地悪かった。
他に気の紛れるものがなくて、どうしても目の前の存在が気になってしまう。
鼻梁を横切る傷痕や、骨ばった長い指の付け根を覆う大きな青白い傷痕に目がいく。
思ったより、緋咲という人間が分からない。
今まで考えていたよりも、ずっと性格が悪いのかもしれない。
けれど一番厄介なのは、そんな人間を、何故か思ったよりも嫌いになっていないことだ。
気怠るそうに伏せた瞳で、長い睫毛が微かに震える。
細く紫煙を吐いた唇を赤い舌が軽く舐める。
そんな様を眺めていたいと思いそうになる。
だから、居心地が悪い。
頭が痛くなってくる。
「……あの」
「ん」
「疲れたんですけど」
「そうか」
「疲れません?」
「だるい」
「はあ、じゃあもう帰りましょうよ」
「おまえのが終わったらな」
緋咲は手を伸ばし、プリントのある箇所を指先でつついた。
白い指先が動く軌跡を目で追うと、設問を読み間違えていたことに気付く。
ぼんやりしていると思ったのに、見るところは見ていたらしい。
ますます居心地が悪い。
「……ホント、もう帰りたいんですけど」
土屋は書きかけていた答えを消しながら、顔を上げた。
「あんただって予定あるんでしょうが」
頭の中をちらりとあの時の事が掠めた。
あの背中が誰だったのか。
そう問うのはどうせ無駄になりそうで、聞く気にはならなかった。
「俺はいいんだよ。どうせ仕事だから」
緋咲の答えは実に味気ないもので、
こんな日に、と土屋は思った。
そして自分の鞄の中に入っていたものを思い出す。
「あ、じゃあこれどうです」
「……何だこれ」
「2月14日なんで、これで勘弁してください」
緋咲は渡された小さな可愛らしい包みを見、馬鹿にしたように笑った。
「おまえなぁ……野郎からもらって嬉しいと思うか」
「いや、誠意として」
「だいたい、これおまえがもらったもんだろ」
ばれている。
「じゃ、コンビニ行って買ってきます」
「いらねぇ」
「俺、食えないんですよ、こういうの」
「俺だって食えねぇんだよ」
「……ダメっすか」
「駄目だ」
土屋の顔に細く紫煙が吐かれる。
微かに甘いそれを手で払い、土屋は顔を顰めた。
「さっきから、ずっと言いたかったんですけどね」
「何だよ」
「煙草、気になるんですけど」
「そうか?俺は気になんねーよ」
「俺が気にするって言ってんですよ」
土屋が自分の煙草を取り出して一本銜えたので、緋咲は小さく瞬きした。
「……そりゃあ、悪かったな」
そう言って唇に浮かべたのは、ただ楽しげな微笑。
「もういいですよ」
紫煙を吐き、土屋は視線をプリントに戻した。
緋咲も黙って煙草を銜えなおす。
二人分の紫煙は静かに漂い、溶け合って消えた。





「じゃ、コンビニ行きましょうか」

























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まだ微妙に口のきき方を知らない奴が約一名いますが、
たぶんこれから自主的に敬語を使うことになるんじゃないでしょうか。
高校生×予備校講師といってますが、軽〜く嘘つきました。
講師のほうには既に本命がいる気配でした。ああ、茨道。
それでもめげずに、コンビニにつれてってチョコなど贈賄したりして励んでいただきたい。

ところで、数学講師がメガネな理由。
1.人に勧められて。
2.週一でしている夜のバイト先が予備校の近くにあるため。
3.趣味。
どれでしょうかね。


あ、チョークホルダーはチョークの粉で指が汚れないようにするものです。
チョーク入れのほうではないです。
……しかし、こんな講師いたら困るということは分かってますよ。
だからそこらへんはツッコんじゃいやん。



即座退散。