『夕景症候群』




光の中、目を細める
この耳に届くのは
その声は






小さな低い唸りともに空気が揺れた。
浅い眠りはそこで終わる。

ぼんやり目を開けた秋生は、机に両足をかけて椅子に座っている自分に気づいた。
だいぶ傾いた夕陽が教室の並んだ机に反射して眩しい。
そんなのを眺めているけれど、頭のどこかはまだ午睡から覚めきれないまま。
気怠く首を巡らせ、教室を見回した。
とっくにみんな帰っ……
違った。
肩越しに振り向いた先に、秋生は幼馴染の頭を見つけた。
机に突っ伏すようにして眠っている真里。
細い髪に金色の夕陽が透けて輝いている。
「マー坊…?」
日向でぬくぬく眠っている真里はまるっきり子供みたいだった。
思わずちょっと笑いそうになる。
「起きろよ、マー坊」
そう声をかけても起きる気配が無い。
たぶん秋生が目を覚ますのを待っていて、自分も寝てしまったのだろう。
苦笑と言うには柔らかなものを浮かべて、秋生はそっと真里を起こそうとした。
その時、耳のすぐそばで空気が唸ると同時に
視界を白い光の軌跡が横切る。
一匹の蜻蛉が、真里の頭に止まった。
透き通る翅は微かに震え、暮れていく陽を浴び硝子のような光を振りまく。
背中に通う深紅はますます鮮やかに。
か細い糸のようにすら見える脚はしっかりと真里の髪を掴んでいる。
しかし当の真里は、やっぱり起きようとしない。
頭にトンボを停まらせて、それでもすやすや眠っている様子はなんだか妙にハマっていて、笑えてくる。
子供っぽい寝顔や、
ほっそりした首に華奢な肩。
これで喧嘩になれば、鬼も忌避する存在になるんだから、性質が悪いと言えばそうかもしれない。
世界はまだまだ不可思議なコトで一杯だ。
そんな落差にすっかり慣れるほど、付き合いも長いのだけれど。
秋生はそっと真里に手を伸ばした。
頭にトンボをつけたままなのは、結構面白いとも思うけれども
いくら教室にもう誰もいないとはいえ、そのままにしておくのもナンなので
目を覚ます前にせめて取ってやるべきだろう。
指をゆっくり伸ばす。
硝子のような翅が一度大きく震える。
瞬間、
「捕まえた」
真里の手に蜻蛉は捉えられていた。
いつから起きていたのか、真里は顔を上げると、にこりと笑う。
「おはよう、アッちゃん」
寝ていたと思った人間がいきなり動いたので秋生は驚いていた。
「なんだ、起きてたのか」
「うん。ビックリした?」
「まーな」
「コレ欲しくてさー、久しぶりだよね?トンボなんか捕まえたの」
真里は手の中の透き通る生き物を秋生に見せた。
得意そうな顔が微笑む。
「アッちゃんにあげる」
ほんの一瞬、
秋生は自分の頭から言葉が消えていくのを感じた。
ただ静かな思いが胸をつく。

朱と金の、暮れゆく光。
影はだんだんと暗く、恐ろしく伸びていく。
その中で、自分よりも随分と小さい幼馴染は
沈んでいく太陽に照らされた、満面の笑顔で言うのだ。

『アッちゃんにあげる』

そうして自分の宝物を差し出す手は
何度でも繰り返されてきた場面。
そしてきっとこれからも繰り返されるのだろう。
何度でもこの耳は、同じ台詞を聞き届けて
この手が受け取るのは二人で分かち合う宝物。
これは、きっと繰り返されるんだろう。


秋生の手の中で蜻蛉は静かに翅を震わせようとした。
硝子みたいに透き通る光を振りまくそれは、柔らかく脆い。
「トンボってすぐ羽もげちゃうよね」
「弱いんだよ」
真里は大きな目をさらに真ん丸にして、蜻蛉をじっと観察した。
「でも、首とか取れてもまだバタバタ動くでしょ?すごいね。
……・あ、やっぱり気持ち悪い、ソレ」
気持ち悪いものを人にあげたのか。
秋生は苦笑いして教室の窓に近づいた。
「アッちゃんはトンボ捕まえるの上手かったよね。俺いっつも羽しか取れなかったよ」
「マー坊のは力入れすぎんだろ」
小さく開けられていたその窓から腕を出し、秋生は掌を解放した。
一瞬、蜻蛉は力無く落下していく。
けれど脆く柔らかな翅はぴんと張り詰めて風をつかむと、遥か高みまで一気に飛んでいった。
「早いね。すごいね」
秋生の隣で真里が窓の向こうを眺めて言った。
見れば、外は朱と金の軌跡。
夕陽を浴びて煌き飛翔する蜻蛉の翅。
秋生は目を細めて、その光景に見惚れていた。
ふと、脇で笑う気配がする。
視線をやると真里と目が合った。
なんだかとても楽しそうに笑っていた。
そして

「帰ろっか」

繰り返される、同じ台詞。
これまでも、これからも、きっと繰り返されていくんだ。
秋生は静かに窓を閉め、それから小さく笑う。

「そうだな」





















3000を踏んでいただいた彩良さんからのリクエストで、
お題は
『放課後の学校で教室に二人だけで残っていてなにやら昔話に興じつつ
トワイライトシンドロームでいつもよりあいつが儚げに見えたとかいってむにゃむにゃ…(以下略)』
でした!
この儚げに見えたあいつというのは、きっとアッちゃんのことだと管理人は理解しております(笑)
twilightと言うには早い時間の情景な気がしますが勘弁してください、彩良さん。





帰る!