とりたててかわりばえのしない14歳の雨季













『raining』





雨の匂い。
くすんだ灰色の街、アスファルトに、コンクリートに沁みこむ雨の匂い。
色彩の消えたような視界。
途切れの無い雨音が耳の奥で木霊して、ある単調な韻律を形作り消えていく。
耳を澄ませば澄ますほど、身体に絡みつく湿気が気持ち悪かった。
時貞は廃ビルの屋根のついた玄関でぼんやりと足を投げ出し座っていた。
突然の雨のせいで駈け込んだそこは、雨宿りに適しているとは決していえなかった。
薄暗く、辛うじて雨を凌いではいるけれど、
強い風さえ吹いてしまえば時貞の顔まで濡れてしまう。
それでなくても頭から足先まで濡れそぼっているのに、
この空間には悪意を感じずにはいられない湿気が篭っていた。
吸いこむ息にすら水の重量を感じて。
雨宿りをしているつもりが、座ってただじっとしているだけなのに服を、
肌をじわりとした湿気が這い回り、侵蝕していく。
止めようにも悪意にまみれた水分子達は小さな隙間から身体の中に浸透して
血と混じり合いやがて骨まで達して。
薄い皮膚の一枚下で、身体はゆるゆると腐るだけ。
ぼんやりする間に、ふやけた指と爪の境目から腐れ汁が零れ落ちる。
「おい」
その声が響いた瞬間、時貞の目の前に転がっていた空き缶が
破裂したような音を立てて雨の中へと吹っ飛んだ。
時貞が振り返ると、奥の方で同じように座っていた緋咲が妙に不機嫌な顔をしていた。
小石を投げた指がそのまま時貞を指す。
「思ったコト全部口から出すんじゃねーよ、怖ぇだろッ。
今想像してちょっと気持ち悪くなった」
そう言って、濡れて落ちてくる前髪を掻き揚げる指や、
ぐしょりと濡れた袖を捲り上げて剥き出しになった腕は、
くすんだ灰色の薄暗い視界の中でも不思議にはっきりと青白く浮び上がってみえた。
その顔は酷く不機嫌だったが、それが時貞の言葉のせいでないことは知っていた。
単に梅雨が嫌いなのだ、コイツは。
猫毛だからとかなんとか理由は色々あるらしいが、そんなのそーゆー気候なんだから
仕様が無ぇと言えば、仕様が無いからムカツクんだと答えていた。
要は、我がままな奴。
「…あぁ、でも腐る前にカビ生えるんじゃねーの、脳味噌とか。いいぐらいに水気あるだろ、肉より」
「……緋咲だって気持ち悪ぃ、その言い方。生っぽいから」
「でも蓋開けた途端にカビ生えそうじゃねぇ?今日くらいだと」
「だから生っぽいっつーの…脳味噌カビ生えたんじゃねーか」
「てめぇの場合は脳味噌と違うの積んでんだろ。なぁ?セロニアス」
物言いはどこまでも気怠く。
交わす言葉は果てしなく意味も無く。
緋咲は相変わらず不機嫌そうな声で話すけれど、コイツが声ほど苛ついてもいないし、
退屈してもいないのは、覗き見た冷たい色の瞳で知っていた。
だから、飽きもせず二人してだらだらと取りとめも無いことを口にしながら、
時間が酷く緩慢に流れていくのをぼんやり眺めていた。
雨音の単調な韻律はどこまでも続き、
まるで微睡みの入り口で思考が泳いでるような生温い感覚。
他愛も無い、脈絡の無い事ばかりが口から零れ、気怠い返事と微かな笑いだけが耳の奥に響く。
何故だか今日は頭が少しも働かない。
けれどそれでも別にいいんじゃないかと、どこかで思っていた。
「…時貞」
不意に緋咲の声が心底不機嫌なものになる。
冷たい瞳の先を目で追うと、雨の向こうから人影がぞろぞろ近づいてくるのが見え
た。
途端に空気中を悪意がちりちりと伝わっていく。
それは絡みつく湿気よりも更に不快な気分にさせた。
「っくそ。こいつらマジで人間じゃねー、何考えてこの雨ん中俺等んトコ来んだよッ
喧嘩してーなら別んトコあるだろーが…」
うんざりと吐き捨てた緋咲の声に、ぐるっと囲む形をとったそいつらの
一番前にいた奴がにやりと笑う。
やたら厚ぼったい唇は、けれど音を生まなかった。 
まるでノイズが掛かっているみたいに声が聞き取れない。口だけがぱくぱく動いている。
そればかりか顔から色彩が消えた。目も鼻も曖昧になり何もかも灰色に塗りつぶされ
文字通りの人影でしかなくなる。
俺の目にはもうそいつらはただの灰色の塊にしか見えなかった。
仕様が無く振り返ると、緋咲が怠そうに腰を上げていた。
「こいつら誰」
そう聞くと、緋咲は柳眉を少し持ち上げ、それから唇を吊り上げた。
「さぁ?…忘れた。ま、どーでもいいんじゃねーの、そんなのは」
灰色の塊達が不服そうに騒いだ気がしたが、何を言ってるか俺には聞き取れないんだから仕様が無い。
多分、本当にどうでもいいんだ。
こいつらが誰でどんな顔して何を言うかなんて事は、まったくどうでもいい。
欠片も意味が無い。
だから認識しない。
唯一こいつらに意味があるとしたら、それは酷く邪魔だという事だ。
そう思った瞬間、雨の中に飛び出している。
一番前にいた影をとりあえず思いきり殴り飛ばしてみた。
雨が全身を打ち据える。身体に絡みついていた湿気が飽和する。
不快さが一気に限界まで膨れ上がりベクトルを反転させ何か物狂いめいた歓喜を呼び起こす。
喉元まで込上げてくる高揚感に酔いながら、目の前をふさぐ灰色の影をただ夢中で叩き潰した…



ジッポの音が響く。
それは雨音の中でも少しも掻き消されず、それだけに何故かどきりと胸をついた。
そちらを向くと、煙草を銜えた緋咲と目が合う。
「…おまえやり過ぎ。そいつ殺してぇのか?」
煙草を挟む指先の白さと、拳を染めた赤。色彩に眩暈がする。
視線を自分の足許まで降ろすと、灰色の塊はいつか元の人間の形に戻っていた。
立っている者は誰もいない。動く者も無い。
皆等しく赤に塗れ、雨音だけが単調な韻律を守って響いていた。
憑かれたような歓喜はとっくに消えている。
拍子抜けするほど呆気なく全ては終わってしまった。
あまりに簡単で、あんまり空しくて、無意味過ぎる。
けれど、倒れ伏したこいつらと、突っ立ったままの俺を分つモノは何だ。
そんなものが、ある?
足下の地が抜けるような錯覚がした。
意味が無い、価値が無い、理由が無い、何もかも。
冷たいものがぎちぎちと音を立てて胸の中から皮膚を突き破って飛び出そうとする。
責め苛む飢餓に似たモノが喉元まで込上がり唇を抉じ開けた。
それは音にならず
大気に溺れる だけ



すぐそばに緋咲の顔があった。
小首を傾げるように覗き込んでくる、冷たい色の瞳が小さく瞬いた。
コイツの眼球は口に出すよりずっと早く素直にものを言うから。
「…別に、どーもしてねぇよ」
俺はこんな事ぐらいしかいえないけれど。
緋咲はしばらく黙って見据えていたが、不意にその唇が吊りあがる。
「立ったまま寝てんなら蹴倒してそのまま帰ろうと思った」
雨に濡れたまま笑う顔からは不機嫌さが消えていた。
不愉快な梅雨の空気に抵抗するのをようやく諦めて、
眼前の邪魔だったモノを排除するのに専念した結果らしい。
そう言うと、つまんねーから途中で飽きた と答える。
心外そうに言う唇が微笑を乗せていた。
「…とにかく、どこか行こーぜ。完璧に濡れて寒くなってきた」
くすんだ灰色の街の中を、雨音がどこまでも響いていく。
血の臭いはとっくに雨に洗い流されていた。
何も残らぬように。
「…帰ろうか」
「どこに」
「どこか」
緋咲は柳眉を少し持ち上げて、何も言わずにぶらりと雨の中を歩き出す。
気怠く足を進める時貞が追いつく前に、その背中が振り返った。
「そう言えば、何で今日こんなトコに来たんだっけ?」
「……知らねー…」
「誘ったのおまえな気がするんだけど…ま、どーでもいいか」
「あぁ」




「帰ろう」










とりたててかわりばえのしなかった14歳の雨季





























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中学生な緋咲さんと時貞。
イメージはとってもいちゃいちゃ。外面的内面的にです。
他の人には分からないネタで二人して盛りあがってそうです。
そんな二人を書くのがやたら楽しいんです。

そろそろ戻る。