いったいまた、何をそんなにぼんやりしてるのか。
『朝顔にラーメン』
頬杖に蓮華。
左頬に擦り傷。
湯気立つラーメンを前に、緋咲はぼんやり向こうを眺めている。
その横顔を、時貞はぼんやり眺めている。
緋咲が何にも見ていないことなら知っていた。
だから、ただその顔を見ていることにした。
昼あたりからずっとこんな調子で、何をするにも上の空だ。
いったいまた、何をそんなにぼんやりしてるのか。
しかしラーメンに罪は無い。
時貞はとりあえず緋咲を放っておき、箸をつける。
隣のなるととこちらのしなちくを交換しても何も言わない。重症だ。
そういえば。
昼に喧嘩した時に、頬に一発入れられてた。
血が出てた、少し。
そうなると緋咲はキレる。
どうして血が嫌いなのか。
どうせすぐ血塗れになるのに。
時貞はチャーシューを箸で摘みながら考える。
左頬の傷をつついてやろうと指を伸ばした。
触れそうになった時、軽く噛むまねをされる。
こちらを見てもいないのに。
それでもやはり緋咲はぼんやりと、どこかを。
見れば、その白い顔の向こう側に、明星。
小さなラーメン屋が外に出した卓に座っているから、頭の上には空が開けている。
宵の口は水気を含んだ藍色で。
いわし雲が少しばかり赤いくらい。
虫の鳴き声が聞こえた。
つられて顔を下ろせば、終わりかけた朝顔の鉢。
閉じた花色がなにか不思議で、目をこらせば、鉢の後から小さな影が歩き出る。
「にゃー?」
時貞の問いかけに、真っ黒なそれが丸い目をこちらに向けて。
なー。
小さく鳴いた。
「チャーシュー?」
なー。
「おまえ何やってんだ」
緋咲が、こちらを向いていた。
「チャーシュー」
時貞が答えると、緋咲は柳眉を少し上げ。
自分のチャーシューを時貞の椀に入れた。
代りに卵を持っていく。
時貞は黒猫に自分のをやった。
「ん」
背中で声を聞いて、時貞は屈んでいた身体を起こす。
緋咲が自分の口元に手をやっていた。
その手が離され、卓の上に置かれる
掌に、とろりと白い歯が一つ転がっていた。
「抜けたの?」
「うん」
まさか、昼間の。
それなら、歯の一本に対し、あいつの指は何本で釣り合うだろう。
「……下の歯が抜けたらどうすんだっけ」
緋咲は自分の歯を眺めて言った。
「何それ」
「なんか、それすると次の歯が早く生えてくるって奴」
「知らないよ。抜けたの乳歯?」
「朝からぐらぐらしてた。いつ抜けるかなーって思ってた」
「ふうん」
「なんだっけな。屋根がどうとかなんだ、たしか」
「屋根? なんで」
「さあ」
緋咲は思いきりそれを投げた。
「おばさん、餃子もう一枚ね」
「なあ、抜けたところ見せて」
「やだ」
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9月現在、ラーメンの美味い季節になってまいりましたよ。
上の歯は縁の下に、下の歯は屋根の上へ。
とかそんなんありませんでしたっけ。
意外とおばあちゃん子な緋咲さんでも楽しいと思います。
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