二人見上げた坂道は、空と陽炎の境へ伸びていく。
細く曲がりくねるその向こう側から焼けた風がやってくる。
どちらともなく、顔を見合って。
「ジャンケンしよーぜ」
『自転車』
ぎいこ、と軋んだ音がする。
錆びた自転車が炎天に不平を漏らす。
雨ざらしで赤茶けたチェーンは苦しげに歯車を噛み、だらだらと続く長い坂道を登っていく。
さながら殉教者のように。
ならば自分は、と自転車の後ろに乗っている時貞は考える。
逆に座った背中をぐっと伸ばし、片足を抱えて空を仰ぐ。
太陽は脳髄を奥の奥まで貫く。
目が眩む。
(きっと、鞭打たれて進むその背に担がれた十字架なのだろう)
ぎいこ、と軋んだ声は物憂げに。
時貞は自分の連想の不味さを嘲笑う。
熱に頭の中が沸いている。
眩んだ目を瞑れば、目蓋の裏側が染まっていた。
とろけるような赤だった。
時貞はますます嘲笑う。
その気配が伝わったようで、頭の上から声をかけられた。
「なんだ、とうとう頭イカレたのか」
目を開けて、首をそちらに曲げる。
立ち漕ぎで坂を登る背中がそこにある。
肩甲骨の向こう、染めた髪を乾いた風が揺らす。
時貞は唇を歪め、前を見据える彼の項に向けて話しかけた。
「ゴルゴダの丘はまだ遠いな」
はん、と軽く笑い飛ばされる。
「くだらねー。つーか おまえに言われると腹が立つ」
忌々しげに言いながら、ジャンケンに負けたその足は勢い良くペダルを蹴り降ろす。
錆びた自転車が何とも剣呑な悲鳴を上げる。
時貞は、思ったとおりの反応に微笑んだ。
そしてまた首を戻し、片足を抱え直した。
もう随分と坂道を登ってきたらしい。
白く焼けた道は緩やかに身をくねらせながら下へ続いている。
アスファルトの照り返しに、また目が眩みそうになる。
喉に詰まった熱気を吐き出した時、自転車を漕ぐ人間がぼそりと呟いた。
うち、神道だから。
思わず時貞は振り返り、彼を見た。
前を向く形のよい頭を支える首、項の青白さ。
それだけだ。
意味なんてものはまったく分からない。
きっと存在もしないのだろう。
今その顔がどんな表情をしているのか想像しようとして、時貞は諦める。
そして陶然と溜息をついた。
「―おまえも、」
だいぶ頭の中が沸いてるなあ。
空には雲一つない。
頭上に広がる、ただ青。
日差しは確かな質量をもって肌を刺す。
僅かな影は滲むように暗く、猫がひたひたと歩く。
白昼の静けさを軋ませて自転車は坂道を登っていく。
網膜まで焦がそうとする熱のせいか、一度だけ大きく右に傾いだ。
しかしすぐに体勢を戻す。
時貞は器用に身体をいれかえると、自転車の進む方向へ顔を向け、足を揃えて立ち上がった。
見れば坂はもう終わりに近い。
その白い道の途切れた先は、ただ青。
いや、それよりも深い蒼が空へと迫り上がってくる。
ああ、あれは。
思う間に身体がふわりと浮くような感覚。
峠を越えた自転車は一気に坂を下る。
落ちる。
落ちゆく先に開けるのは蒼海原。
潮鳴りを運ぶ風は轟々と唸りを上げ、なにか冷たい、堅い腕で身体を包む。
時貞は笑っていた。
目に染みる蒼が身体の内側に広がっていくような気がした。
その時、彼が笑った。
支えにと掴んでいた肩が動き、冷たい色をした瞳が時貞を振り返る。
「なあ、さっき気づいたんだけど」
巻き起こる風に声が消されぬよう、顔を近づけた、それは。
「この自転車、ブレーキ壊れてる」
きっと、この夏一番のいい笑顔だ。
二人げらげらと笑いながら、
風をまとい空から海へと落ちていく。
目蓋に透ける光は、とろけるような赤。
潮鳴りを数えて風が轟く。
大地を焼く日差しはやはり確固たる質量をもち、時貞を束の間の午睡から引き上げた。
ぼんやりと目を開け、防波堤に寝転んでいた身体を起こす。
時貞は一人だった。
そして静かな午後だった。
なんとなく辺りを見渡せば、寂然とした砂浜で白波に遊ぶ犬二匹。
あの日沈めた自転車は、海の底ですっかり朽ちただろうか。
煙草を銜えながら、時貞は記憶を追う。
一睡は陽炎のように覚束なく、浮かべた夢も波間の泡のよう。
けれどここにあるものは、変わらぬ青と蒼。
その懐かしさを手繰る指は躊躇うこともなく。
脆い、鮮やかな影を、紫煙の中に見る。
ゆったりと時貞は煙草を燻らせた。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Waste star の染井さんの描かれた中学生日記が、ずっと好きで好きでたまらなくて、
勝手に書かせていただきました。
自転車。
たぶん学校さぼってそこらへんにあったのに乗ってるんだと思います。
基本的にやることは小学生並。
つーか、この二人ならどんなバカやっても許されると思ってるんですが。
それってどうなんでしょうか。
←もどる。