『年の瀬も終いまで』






今年の雪は積もるらしい。
見上げた空は一面曇色だ。
鈍くねじれあうような雲からは雪が落ち始めていた。
思わず出る吐息は、白い塊となって流れていく。
秀人は首を竦め、マフラーを直した。
そして道行く人の流れにまた乗る。
並んだ街路樹は寒々しく腕を虚空に伸ばす。
葉は全て落ち、僅かな欠片となりアスファルトに張りついている。
道行く人に踏まれながら、もうかさりともしない。
その中に一つ、銀杏の葉が見えた。
綺麗に形の残ったそれを何気なく見下ろしたとき、秀人の後ろのほうで音がした。
人の走る足音だ。
師走も末だから何か急ぐこともあるだろうと、考えるでもなく顔を上げた瞬間、
後ろから衝撃が来た。
視界がぶれる。
目を逸らしたはずの銀杏の葉が大きく映る。
自分がつんのめりそうになっていると理解する前に足が動き、そしてそのままの勢いで振り返った。
笑い声がした。
歪んだ平衡感覚の中でも、それは鮮やかに脳味噌へ突き刺さる。
「よぉ……秀人クン」
悪意と嘲弄に満ちた、独特の言い方だ。
盲いたとしてもこいつの声なら間違えようがない。
「緋咲ッ」
自分の名を吐き捨てる秀人に、緋咲は唇を吊り上げた。
コートのポケットに両手を突っ込んだまま悠然と立つその姿は、
ほんの数瞬前の行動を秀人に覚らせようとしない。
けれど秀人には関係なかった。
自分の後ろ頭をいきなり吹っ飛ばすような奴は、目の前の人間以外にいるはずがなかった。
頭の奥はまだ重く、深い揺らぎがある。
しかし秀人は、不具合を起こしている神経連鎖の悲鳴を無視することにした。
「緋咲……おまえホント、むかつくな。もうちっと季節とか考えろ」
「どうせいいんだろ? 秀人クン。遊ぼーぜ、ホラ 早く」
冬の湖面のように冷たい色をした双眸が、きゅうと細められる。
秀人は眉根を寄せ、口の中でもう一度罵った。
けれど言葉がもう音ほども意味を成さないことを知っていた。
足を一歩そちらに踏み出せば、雪に凍えた空気を熱が走る。
狂った神経連鎖が澄み渡る。
歓喜と良く似たものが込み上げる感覚に、秀人はほんの束の間、笑ってみせた。










 +++ +++









「ああ、おかえりなさい」
ドアを開けて入ってきた人間に、土屋は声をかけた。
「今、雪降ってます?」
緋咲はマフラーの下から寒そうな返事をし、炬燵に足を入れた。
そして首を巡らせ部屋の中を見回すと、綺麗になったなと呟いた。
「結構前に掃除終わらせたんで携帯に電話したんですけど」
大掃除が済むまでどこにいたのか問う声に、緋咲はただ曖昧な言葉を返した。
「相賀は」
「途中まで手伝うとか言ってここにいたんですけどね、いても邪魔になるんで」
台所にいた土屋は緋咲の方を向き、そして首を傾げた。
「そんなに寒いんですか?」
炬燵に入っている緋咲は、コートもマフラーも外そうとしない。
ふと見ると、部屋の窓を一つ閉め忘れていた。
「寒いんだったら窓くらい閉めてくださいよ」
緋咲はただ、なにか恨めしげに土屋の顔を見るだけだった。
土屋は仕方なくその窓を閉めると、緋咲の向かいに座った。
「緋咲さん」
「……ん」
「口んとこ赤いですよ」
緋咲は、唇に滲んでいた自分の血を、思い出したようにぺろりと舐めた。
「あとここ、腫れそうになってますけど」
その唇の端に土屋は指を伸ばそうとした。
緋咲は柳眉を僅かに顰め、その指から身を退く。
「あんた、何してきたんですか……」
緋咲にとって喧嘩は既に習性のようなものだから、土屋はそれ以上聞こうとしない。
緋咲も土屋の言葉に耳を貸さないまま、
持ってきてそこらに転がしたままだった袋を取り上げ、土屋の目の前に置いた。
「土産」
「みやげ、ですか?」
袋が置かれた瞬間、かなり重量のありそうな音を聞いて、土屋は一抹の不安を覚えていた。
「みやげ……ホントに土産なんですか?」
「何だよ」
「あ、いや、別に」
土屋は慎重に中のものを取り出す作業を始めた。
それらは、もの自体は意外とまともだったが、それ以外の点で明らかにおかしかった。
まずはカニだ。
カニの種類なんか知らないが、とにかくでかい。そして重い。
人の後ろ頭を殴ったら殺せそうだ。
次に出てきたのは、肉だった。
何の肉か分からない。
牛のような気もするが、塊が大きすぎて判別がつかない。
こんなもんどうしろって言うんだ。
聞いてみると、どうもうちには肉々うるさい奴がいるらしく、そいつに買ってきたらしい。
それでも、これは大き過ぎじゃないかと思う。
土屋は、精神的な疲労がじわじわと増していくのを感じながらも、袋の中から最後の物体を取り出した。
一番下にあったそれの包装を解いてみる。
平たい桐箱だ。
ちらりと緋咲を見ると、本人は切れた唇を神経質そうに指でなぞっているだけだ。
おそらく聞いても無駄だろう。
土屋は意を決して蓋を開けた。
そこにある、薄紅の、艶のある、たらこ。
「緋咲さんッ!」
「いきなり何だよ」
「あんたいったい何買ってきてんですか!」
「何って、たらこ?」
「そうじゃなくてッ! いや、そうなんだけど! 量がッ 量とかッ おかしいでしょ!」
箱いっぱいのたらこは4kgを優に越えていそうだった。
そんなにあっても絶対食わない自信があった。
たらこを含め他のもどう考えてもおかしい。
「うちは三人しかいないでしょうが。こんなにあってもどうすんですか……」
熱でもあるんじゃないかと聞こうとして、ふと土屋は気付いた。
「緋咲さん……朝とマフラー、変わってます?」
「……うん?」
緋咲は胡乱げに自分のそれを見た。
そしてそのままじっと考える。
暫くして気怠るそうに立ち上がると、携帯をいじりながら部屋を出ていってしまった。
誰かと話す緋咲の声を遠く聞きながら、土屋は積まれた物体たちを眺め、
どうしてやろうかと思案し始めた。
そのうち、独り呟く。
「組み合わせだけは年末っぽいのか……」
外で一度くしゃみしたのが聞こえた。


























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原作が終わった後の秀人くんと緋咲さんは、もしかしたら微妙に仲が良くなってるかもしれない。
たぶん年末とか色々関係なしに殴り合い。
ほろ酔い気分に熱があっても問題なし。
んで、後になってから風邪ひいてたことに気付くような。
そんな微妙にほのぼのした、関係。

あと、たぶん緋咲さんは本当は近所のお肉屋さんのおいしいメンチカツを買おうとして、
風邪ひいてるせいでちょっと間違えたものを買ってしまっただけなのであり。
決して、天然とかおバカとかそんなことが言いたかったわけじゃないです。
たぶん。


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