『 ...is black. 』
夏の夕暮れ、コンビニは混んでいる。
それをちらりと見、相賀はぼんやり煙草を銜えていた。
吐き出した紫煙は夕陽に照らされて、優しい色した空に昇っていった。
もう一度、ちらりとコンビニの中を覗いてみる。
土屋はまだ出てこない。誰かと喋っている。
中に戻ろうか。
そんな事を考えていた時、ふと相賀は首をめぐらせた。
「何だ、てめーは」
ちっちゃなトラ猫が相賀を見上げていた。
大きな緑色の目を零れ落ちそうなほど見開いている。
「んー?でっけー目玉。指つっこんじまうぞ?」
子猫は可愛らしく鳴いた。
どうも意思の疎通は困難らしい。
相賀はしゃがみこむとその小さな頭を撫でてやった。
すると子猫は煙草に興味があるのか、しきりと桜色の鼻を相賀の指に近づけようとする。
「うん?吸いてーのか?」
相賀はゆるゆると紫煙が流れ出ている煙草を子猫に銜えさせようとして、
「何してんだ、バカ」
ガツンと後ろ頭を蹴られた。
「痛ぇッ」
振り向くとコンビニの袋を抱えた土屋が顰め面していた。
「おまえ猫に煙草吸わせてどーすんだよ」
「だってコイツが吸いたいって」
「バカか。猫死ぬぞ」
「ウソ?俺死なねーよ?」
「一緒にすんな」
「そっか…死んじまうのか。弱ぇなー?てめぇは」
相賀はアスファルトに煙草を押し付けると子猫を抱え上げた。
くるんとした猫の目はやっぱり大きく開かれて、相賀と、その上に広がっている夕空が映りこむ。
その目には、何か綺麗な冷たさがあって。
場違いとは思いつつ、あの凍りついた湖面みたいな双眸を思い出してしまう。
相賀はぽつりと呟いた。
「なぁ」
「なんだよ」
「緋咲さんは」
「あー、知らねぇ」
「なんで知らねーんだよッ」
「携帯繋がんねぇし、しばらく部屋にも戻ってきてねぇな、あの人」
「だから、なんでだよ」
「知らねぇっつってんだろ。ごちゃごちゃ言うなら自分で部屋見に行け。もしかしたら帰ってきてるかもな?」
「……前に、一人で来んなって言われた」
「おまえ煩いしな」
思わず言ってしまった土屋は、相賀のものすごい視線から目を逸らした。
薄い雲が漂う夕暮れの空ではそろそろ涼しい風が吹き始めていた。
アスファルトはまだじんわりとした熱を持っていたが。
「……で」
「あ?」
「緋咲さん」
「ん……まぁ、あの人はよくいなくなるからな。今回のは盆のあたりから…十日くらいか?いないの」
「もしかしてさー、盆だから家に帰ったんじゃねーの?」
「家?あぁ、親んとこって事か」
「それかジーちゃんのとことかさ。あ、俺こないだジーちゃんとこ行ってきた」
「ジーさん元気だったか」
「全然元気だった。ありゃしばらくボケねーな」
「よかったな」
「ん?うん……ジーちゃんは俺に優しいから。俺はジーちゃんちの子になりたかった、って言ったら泣かれたね、ホント」
「そんなもんか。俺はジーさんもバーさんもいないから分かんねぇな」
「じゃあ、盆とか普通に部屋にいたんだ」
「どっか行く必要ねぇしなー。親んとこなんか絶対行かねぇし」
「まぁなー、それは絶対ねーな」
だんだんと、空の端々に夜が透き通る紺色を広めていく。
子猫は一度小さく鳴いて相賀の手から地面に降りると、尻尾をぴんと立ててどこかに歩いていった。
「……で」
「ん?」
「緋咲さんの話。ホントどこ行ったんだろ、あの人」
「これで本当に盆だからっつって家に帰ってたら、それはそれで驚くな」
「ビビるね。……つーか、あの人って親いんのかな」
「さぁな。俺は親のことなんかあの人に聞いたことねぇし」
「おまえが聞かないなら俺が聞くかよ」
「ま、あの人もそういうのあんまし話さねぇ人だから。……あぁ、でも」
「なに」
「……親の顔が見てみたいなぁ」
言いながらもう半分笑いかけていた。
「あー、どうなんだろう。似てんのかな」
「全然想像つかねーな。だいたい俺はあの人にこれくらい小さい時があったこと自体信じられねーよ」
そう言って手を腰ぐらいの高さにすると、頭を撫でてやる仕草をした。
笑えた。
笑った。
咳き込むくらい笑ってしまった。
「……それ小さすぎ!無い、絶対無い!あの人に限って小さい頃は無い!」
「無いのかよっ」
「無くていい。だって親なんかと一緒にいるあの人がまず想像できぇし!授業参観なんて無茶言うなッ!!」
「無理。それは無理!……けど、もしかしたら意外とかたい家かもしれねぇ、あの人んち」
「何かたい家って」
「なんつーか、あの人ってたまに妙に行儀良いとこないか」
「うーん、よく分かんねぇよ」
「おまえにはな」
「むかつく」
「だからさ、ちゃんとした家にいたんじゃないかって思うんだよ」
「ちゃんとした?……あぁ、俺とかとは違うってことか。俺はもしかしたら、こっちかと思った」
指で頬に一本線を引いてみせる。
「本職さんかよ……まぁ、そっちも違う意味でかたい家だな。つーか違和感ねぇよ」
「だろ?あんなのに乗ってそうだし」
丁度、二人が話していたコンビニの駐車場にベンツが一台寄せてきた。
官僚御用達かそっち系かと言いたくなるような黒塗りである。
何気なく眺めていると携帯が鳴った。
途端に慌てて土屋が出る。
「……はい」
こんな時、敬語を使う必要のある相手は一人しかいない。
土屋は緋咲からのだけ着メロを変えていたようだ。
「……ハイ?あぁ、確かにありますけど……」
携帯で話ながら土屋は歩き出した。
その足が向く先にあるのはあの黒塗りのベンツ。
突然、くるりと土屋が相賀を振り返る。
「おい、おまえは絶対そこから動くな」
「へ?なんで」
「いいな」
「別にいいけどさー、なんなの」
「いいから、後で話す」
しっかりと釘を刺された相賀は戸惑いながらも頷いて、土屋がベンツに近づくのを眺めていた。
透過率の低い後部のウインドウが少しだけ開く。
土屋は中にいる誰かと話をしているらしい。
俺の知らない間に怖い人たちとお友達になっちゃったのね。
などと相賀が考えているうちに土屋が戻ってきた。
用がすんだらしくベンツは走り去った。
土屋は妙な顔をして、
「……黒かった」
妙なことを呟いた。
「は?」
「あ、いや、なんでもな、い」
「おまえ噛みまくりだよ。今の誰?」
「え、あ、まぁ……緋咲さん、だ」
「はぁ?!なんで俺呼ばねーんだよッ俺って避けられてる?つーかあの車は何!」
「車……?……あぁ、何だったんだろうなぁ」
土屋はなんだか遠い目をして暮れていく夕陽を眺めた。
「何言ってんの?聞けよ!そういうトコ重要だろ?ちゃんと聞けよ!それで!」
「あん?」
「緋咲さん何だって」
「あー……今年は初盆って言ってた」
「初盆?何ソレ」
「……死んだ奴の初めての盆。だから普通の墓参りじゃなくて、きちんとした法事があるとかなんとか……」
「何かよく分かんねーけど、だから緋咲さんはこっちにいなかったのか?」
「そうなんじゃねーかなぁ……」
「はっきりしねーな。おまえ頭大丈夫か」
「……しばらくダメかもしれねぇ」
「なんだよ、どーしたのよ?君は」
「……別に、何がどーした訳でもねぇんだよ」
「じゃあなんだよ、さっさと言え」
「……喪服着てたんだよ。上下黒でネクタイも黒」
「あ?それって普通なんじゃねーの?要は葬式に行ってたようなもんなんだろ」
「葬式とは違うんだけどな…まぁ、いいや。それはいいんだよ」
「さっきから何なんだよッ何が気に入らねーの?」
「別に気に入らねーわけなじゃねぇよ。……ただ、ちっとまだ驚いてるだけ」
「何が?おまえ何ビビってんの?」
「……黒かったんだよ」
「さっきもそんなコト言ってただろ。何のコト言ってんだよ」
「頭」
「は?」
「だから、髪が黒かったんだよ」
「……へぇー」
「で、髪全部降ろして、後の長いとこはちょっと結んでて」
「……ふぅんー」
「それで喪服着て……」
「でも、それって普通だろ」
「ん?」
「だから、普通だろ?要は普通に葬式行く格好してただけだろ?普通なのに何でおまえはそんなに驚いてんだよ」
「おまえな、バカ言うなよ?おまえは見てないからそう言うけどな、自分の目で見たらホント、ビビるぞ?」
「だから何でビビるか分からねーよ。あ、じゃあ、これから緋咲サンとこ行こうかなー」
「……止めとけ。それだけは絶対止めておけ」
「何でだよ?」
「とにかく機嫌悪ぃぞ。初盆の日程が無茶で死ぬほど疲れたとか言ってたけど…、
なんかいつもと違う分、怖い。何かが怖い。俺はそのまま殺されるかと思った」
「よく分かんねーよ、俺見てないしー……でも、そんな機嫌悪ぃなら今日は止めておこうかな」
「そうしとけ。一週間はあの人の部屋に行こうとか思うな」
「長いなー、一週間かぁ……」
「堪えろ、我慢しろ。そんくらいしたら多分あの人もケロっとしてるだろう」
「そっかー…」
「そうだ」
納得したようなしていないような顔で相賀は歩き出した。
土屋の部屋に帰るためだ。それなのにふと傍らを見ると、そこにいるはずの人間がいない。
振返ると、土屋は後退りするようにして別の道に行こうとしていた。
「何してんの」
「いや、俺は用事が…」
「だから、何の」
「用事だ」
「……おまえ、俺には緋咲さんトコ行くなって言っておいてさ、そういうコトするんだ?」
「俺はあの人に言われて行くんだよ」
「だったら俺だっていいだろ」
「おまえダメだよ」
「なんで」
「煩いから」
「だから!そこが間違いなんだよッ。俺のどこがウルセーのよ?教えて?ホント」
「全部」
「分かった。じゃあ黙ってる。こうやって口押えてる。で、部屋の隅にいる」
「……怖っ!」
「遅ぇ」
自分の部屋で、ぽつりと呟いた緋咲は半ば眠りかけていた。
ソファーに投げ出した身体は気を抜けばすぐにでも柔らかく心地よい眠りの淵に沈んでいこうとする。
ネクタイを解いていく指の感覚が、辛うじて自分がまだ目を覚ましていることを教えてくれているけれど。
「あの野郎、さっさと来いって言ったのに…」
抗いきれずに目蓋を閉じる。
眠りに落ちるほんの少し前、緋咲は小さく舌打ちした。
「これで途中で起こしやがったらブチ殺してやろうかな……」
静かにすると言いつつグダグダ言ってる相賀を黙らせた土屋は、突然悪寒を感じて緋咲のマンションを仰ぎ見た。
いつのまにか空には黒い雷雲が湧き、辺りは急に暗くなっていた。
「雨降りそうだな…さっさと行くか」
どこか遠くから、低い轟きが静かに近づいてきていた。
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土屋と相賀の台詞でどっちがどっちのだか分からないところは故意です。
決して情景描写を書くのが面倒くさかったわけじゃありません。
あと最後まで緋咲さんちがホントはどんなんだか書いていないのも思いつかなかったからじゃありません。
突発的に脳内スーツ祭が開催されたからという理由で喪服仕様の緋咲さんを考えたわけじゃありません。
僕はただ、まったりした二人を書きたかっただけです。
あぁ、言えば言うほど嘘になる(笑)
WORKS部屋に逃走する!