『八月に』
夜は密やかに西へ帰り、太陽が顔を覗かせ始める。
透き通るような藍色の夜空はもうだいぶ白くなった。
星の光もその中に溶けこんで。
静まり返った住宅街を風が吹き抜ける。
鮮やかな緑の木立ちを揺らすこの風が、夏の熱を孕むにはまだ少し時間があるだろう。
夜明けは心地好い空気の底を漂っていた。
その静寂を、雷鳴のような排気音が食い千切っていく。
眠りかけの街を真っ直ぐに貫く、ZII 。
現場仕事の都合で少し遠出していた、ヒロシとキヨシの遅いお帰りだった。
「んあ゛ー、ハラヘッターッ」
さっきからキヨシは同じ台詞を4回は繰り返し言っている。
そしてヒロシも、後ろに乗っている相棒同様、腹の減り具合は切羽詰まったものだ。
返事する声のトーンが少し低い。
「あ゛ー、うだうだ言うな。俺だって腹減ってんだからッ。
確かここらへんにコンビニあっただろ。それまで我慢しやがれキヨシちゃん」
「うーっす。頑張りまーす」
キヨシは情けない声で返事するとしばらく口を噤んだ。
けれどそのうちまた同じことの繰り返し。
今度は妙なメロディをつけて。
すきっ腹に響くから止めろッ
そう言おうとしたヒロシの視界に、何か鮮やかな色がちらりと入りこむ。
「ん?」
怪訝に思った瞬間、ZIIはその脇を駆け抜けている。
ヒロシが見たものは花束だった。
バックミラーを覗けば、花束を抱えた小柄な老女が見る間に小さくなっていく。
後部座席のキヨシが振り返り、小首を傾げた。
「なんだ?あのバーちゃん。こんな朝っぱら花なんか持ってよ」
花、と聞いてヒロシは思いついた。
「あぁ、今日は盆じゃねーか」
今日は八月十五日。
遠い遠い場所に行った、親しき人が帰ってくる日。
「盆か。そういや死んだバーちゃんも盆には朝から出掛けてたな。
確か墓掃除するとか何とか言って」
「へぇ…」
祖母の記憶の無いヒロシは、キヨシの話に適当な相槌を打つ。
朝日がその横顔に昼間とは違う優しい光を投げかけていた。
ヒロシはちらりと視線を上げ、回りの風景を確認する。
住宅街を彩る木々は、あの時とは違い、旺盛な生命力に溢れていた。
あの時とは、季節が違う。
「…なぁ、キヨシ」
ぽつりと呟くような声にキヨシは小首を傾げる。
「どした?そんなに腹減ってんのか?」
「バーカ、そんなんじゃねーよ。憶えてんだろ?」
ヒロシが回りを見ろと言うように、顎で指した。
「……あ、ここって時貞の墓の近くか?」
天羽時貞。
彼等の“兄弟”がその苦しみを終え、静かに眠る場所は近い。
最期の別れは寒さの混じる季節の中。
それ以降、二人とも何故かこちらには足が向かなかった。
もしかしたら避けていたのかもしれない。
そうして、今は蝉の鳴く八月。
時間が流れるのを、随分と早く感じた。
ヒロシは前を向いたまま言う。
「ちょっと見に行かねーか」
ぶっきらぼうな声。
キヨシは無論賛成し、
「そーだなー、ちっとも顔見せねーとか言って出てくるかもしんねーぞ?
盆だし、しかも時貞だし。そんくらいやれると思わねぇ?アイツなら」
わざと叩いた軽口がヒロシを笑わせた。
細かく枝分かれした道。
微妙な上り坂。
背の高い垣根。
笑う向日葵。
蝉の声。
「…よー、ヒロシちゃん。なんかさっきから同じトコ回ってねぇ?」
「……やっぱそー思うか?キヨシちゃん」
高い垣根の向こうから覗く向日葵を見つけ、ヒロシは舌打ちした。
もう三度、同じような風景を見た気がする。
記憶ではもうそろそろ着くはずなのだが。
入り組んだ道は直進しているつもりでも微妙に進路を曲げられる。
何度角を曲がっても、目的の場所は見えてこない。
後ろでキヨシが怪訝な声を上げた。
「おっかしーよな。前来た時こんな分かりづれー道だったか?」
「さー、すんなり行けたと思ったんだけどな…」
ヒロシは前に来た時のことを思い出そうとした。
しかし、だいたいの場所は掴めても、どの道を行ったのかは思い出せない。
その時は、道のことを考える余裕は無かったんだろう。
前にこの道を通ったのは、時貞が死んだ時だ。
蝉が鳴いている。
けれど街は静かだった。
ZIIだけが己の存在を高らかに主張していく。
「道聞くにしても、こんな朝早いんじゃ誰も通ってねーし…」
ヒロシがそう言って角を曲がった瞬間、擦れ違ったのは
花束を持った老女だった。
キヨシがそっちを振り返る。
「あれ…?あのバーちゃん、さっきのバーちゃんじゃねーの…?」
ヒロシがバックミラーを覗くと、その姿はもうカーブの向こうに消えている。
「そーかもな。さっきの墓参りのバーちゃんか…」
しかしヒロシはふと気付いた。
先程、老女と会った場所と今自分がいる場所は、
ヒロシが目的地を見つけられなくて手間取っていたことを考えても、
老女の足で短期間に行き来できるほど近くではない。
「って、バカ言うな!
俺のZIIより早ぇババァがどこにいんだよッ怖ぇコト言うな!!」
キヨシもようやくその事に気付き
「あ、そーか、そーだよな……同じバーちゃんな訳ねぇか」
笑って誤魔化そうとする。
けれど脳味噌の片隅にでも、薄ら寒い想像が生まれたのは盆のせいだろうか。
しばらく二人は押し黙っていた。
向日葵の見えるカーブを曲がり、坂を登っていく。
ようやくヒロシが口を開いた。
「埒があかねー、もし今度人間に会ったらソイツに道聞こう。
で、誰にも会わなかったら……今日はもう帰るぞ」
後部座席でキヨシが同意する。
そうしてZIIは坂を登りきり、右手に木立が広がる三叉路に出た。
その時、
「あっ」
洩らした声は、ヒロシとキヨシの異口同音だった。
正面の道に、人影がある。
片手に袋を持ち、こちらに背を向け歩いていく、その後姿。
ソイツをきっと知っている。
髪型が違うがまず間違いは無い。
けれどソイツは、こんな所でぷらぷら歩いているような奴じゃない、はず。
「緋咲!!」
二人分の大声で名を呼ばれた本人が振り返る。
冷たい色の双眸。
「なんだ…やっぱり、てめぇらか」
緋咲は近づいてくるヒロシとキヨシのZIIに冷ややかな眼差しを送った。
「さっきから煩いのがグルグルしてると思ったら…
朝っぱらから何してやがる」
「バーカッ。てめーこそこんなトコで何してやがる」
噛みつくようなヒロシとは逆に、緋咲は面白くもなさそうな声で
「風呂から上がったら冷蔵庫ん中に何もなくてコンビニ行ってきた」
極々平凡な答えをした。
そんなことをはっきり言い捨てらたら、「あぁ、そーですか」としか言えなくなる。
そもそも問題なのは緋咲がここにいる事なのだが。
互いの因縁は深すぎて、
喧嘩する理由は増えても、減ることはまず無いような関係だった。けれど
目の前に落ちかかる、まだ乾ききっていない髪を
面倒そうに掻き揚げる緋咲は
喧嘩の時とは違う空気を纏っているような気がした。
冷たい色の眼差しに剣呑な光は無い。
少なくとも今は。
それはヒロシとキヨシも同じことで。
喧嘩好きはお互い様だったが、こんな時までやるほど物好きでもなかった。
「ま、いいや」
あっさりと、ヒロシはその一言で終いにする。
キヨシもヒロシの性格は良く分かっているから何も言わない。
「緋咲、おまえ時貞の墓知ってるか?」
ヒロシの唐突な問いに、緋咲は柳眉を僅かに顰め、キヨシの方を見た。
キヨシがヒロシの言葉を補足する。
「墓参りすんだよ。
けど道が何かよくわかんねーんだ」
「ふぅん……」
緋咲は二人を眺めながらほんの少し思案した。
「場所は、分かると思う。一回しか行ったことねーけど」
「決まりだな。乗れよ、緋咲」
ヒロシは軽い口調で言った。
冷たい色の双眸がきゅうと細められ、その顔をじっと見据える。
「乗れ。キヨシが飢え死する前に墓参りしちまうから」
名前を出されたキヨシが顔をしかめる。
「あ゛ー、言われたら腹減ってんの思い出したじゃねーか!ヒロシちゃんッ
行くなら行こーぜ。俺マジで限界近いわ……」
二人の遣り取りを眺めていた緋咲は、小さく息をつくと
「…朝からうるせぇ奴等」
気怠そうに呟いて、大人しくキヨシの後ろに乗った。
その拍子、緋咲が持っていたコンビニの袋がキヨシに当たる。
キヨシは中身をちょっと覗いてみた。
「……おい、緋咲」
煙草を銜えようとした緋咲が顔を上げる。
「ん」
「おまえ…俺が言うのもなんだけど、
もう少しちゃんと生きてくほうがいいんじゃねーの」
袋の中にはミネラルウォーターとビールしか入ってなかった。
「別に。喉が乾いてただけだし」
緋咲は澄ました顔で紫煙を燻らせた。
「かーッ信じらんねぇ!てめぇのそれは朝飯か!?
コンビニ入って弁当買わねぇ奴の気が知れねぇよ!!米を食え!米を」
激しく主張して、キヨシも煙草を銜える。
緋咲は手の中でまだ燃えていた炎を差し出した。
「バーカ、てめぇと一緒にすんな。今の時間のコンビニなんざ残りモンしかねーだろ」
キヨシを眺める緋咲の瞳に、楽しげな悪意が見え隠れし始めていた。
キヨシが言い返そうとした時、ヒロシの低い声が響く。
「おまえら……俺の後ろでメシの話をすんなッ」
そうして走り出したZIIは、
見る人が見たら、悪夢だと信じて疑わないものだった、かもしれない。
プルタブの、軽い音。
緋咲はビールを一口飲むと、それを黒い敷石の上に置いた。
磨きぬかれた石の表面には古い友人の名前が刻んである。
敷石の上には白い十字架。
まだ新しい。
回りを取り囲むのは旺盛な夏草。
風に揺れるのは小さなリンドウ。
冬の湖のような双眸は、ただ静かにその光景を眺めていた。
緋咲の言葉に従ったZIIは、
不思議なくらいすんなりと目的地に着くことが出来た。
何と言うことはない。
ただ記憶とは季節が変わったせいで、風景も変わって見えたのだ。
十字架を掲げた教会や、整然と並び沈黙を守っている墓碑が変わることは無い。
移り変わるのは、草と木と、陽の光。
それとも、そんなものを眺めている自分の目が変わったのかもしれない。
ヒロシは少し離れ、時貞の墓と、緋咲と、キヨシを眺めていた。
そうしていると、妙な気持ちにさせられる。
自分が墓参りなんかしていること。
そこに緋咲がいること。
時貞が死んでいること。
まるで妙だ。
現実味が無い。
そう感じること自体が妙で、目の前に確かに墓はあるのに。
頭のどこかが、時貞の死をまだ認めていないのかもしれない。
けれど、それも違うんじゃないかと
頭のどこかでぼんやり思っている。
静かな風が吹く。
蝉が鳴く。
胸の中にあるものは、何一つ言葉にならない。
ここでこうやって時貞の墓を三人で眺めていることが
悲しいのか、切ないのか。
笑い飛ばしたいのか。
泣きたいのか。
よく分からない。
結局、立ち尽くしたまま
何も言えぬままこの風景を眺めている。
それでもいいと、少し思った。
ヒロシが物思いから覚めると、緋咲がこっちを向いていた。
「なんで、今日墓参りなんだ?」
「盆だから」
緋咲は小さく瞬きする。
「あ?盆…?」
「今日くらい顔見せねーと、恨んで出て来そうだからって、キヨシが」
「だってアイツなら地獄に落ちても気合で戻ってきそうだろ?」
緋咲は眉根を寄せ、そんなヒロシとキヨシを交互に眺めた。
「盆っつってもアイツは……」
しかし何故か言淀み、二人から視線を外してしまう。
「なんだよ!」
「…ん、まぁいいや。気にすんな。いいんじゃねーの、盆で墓参り」
「何か気になる言い方しやがんな…」
キヨシが突付いても、緋咲はもうそれについては答えなかった。
「よーし、今度こそ飯食いに行くぞッ」
「ここの場所分かったし、今度来る時にはちゃんと食ってからにしよーぜ」
青みを増していく空の下、二人はうきうきと歩いていく。
ふとキヨシが振り返ると、緋咲はまだ墓の前に立っていた。
煙草を銜え、ぼんやりと視線を落している。
夏の光は段々と強さを増し、整然と並ぶ墓碑に濃い影を落していた。
「緋咲ー、さっさと来ねぇと置いてっちまうぞ」
一緒に振り返ったヒロシが大声で言う。
…ホント、騒がしい奴等だな。
緋咲は墓碑を見下ろしながら小さく呟いた。
けれど二人の耳にそれは届かない。
ただ、
緋咲がほんの少し笑ったような気がした。
そうしてまた、次の夏にでも。
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あー、キリスト教の場合、盆はないはずです。
つまりわざわざ8月15日に墓参りする習慣は無い、はず。
んで時貞はクリスチャンでしたよね、確か。宗派は知りませんが。
4000HITしていただいたかなめさんのリクエストで、
お題は『ヒロキヨと緋咲で、天羽について三人でタバコでも吹かしながら語り合う』でした!
ハイ、あんまし語り合っておりません、コミュニケーションが充分でない気がします(泣)
き、きっとこの後にでも語り合いになるんじゃないでしょうか…
そこらへんの想像はおまかせしましたよ!リクエストありがとうございましたvかなめさん。
…風呂上りの緋咲がなんでそんなとこウロウロしてたのかは知りません。
誰かの家でお泊まり会でもしてたんじゃないでしょうか。
WORKSに帰るぞ