たいとる : 『ナイショの話をした日』
ながさ :ほどほど
どんなおはなし :駒鳥ジェイソンとある日の拳銃と養父。 『本日は晴天なり。』と同じ頃です。 ちょこっとフラッシュもいる。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++








青い水底に溺れながら
燃える蘇芳の東に、金星。

(ブルースの声だ。)
(ああ、でんわしてる。)

耳障りな金切声で電車がホームに入ってくる。
振り返るけれど、ずっと向こうまで続く、知らない顔顔顔。
人の波に押されて、沈んで、浮いて
群青の空が焦げていく




なにか寂しいその夢を、目覚めと同時に少年は忘却した。
居心地の良いソファから、伸びやかな手と足が宙を突き、ブランケットを床に落として跳ね起きる。
その足首が、ズキンと痛む。
見回せば、ウェイン家当主の書斎。
大きな黒檀細工の机、見上げるような書架、あらゆるものは静謐によって構成されている。
けれど、ジェイソンの隣には、長椅子で本を読んでいたはずの人がいない。
南側の窓の向う、午後の太陽が陰っていく。

「ブルース?」

傍らに置いておいた松葉杖を取り、ソファから立ち上がる。
いつのまにか眠ってしまったジェイソンに、ブランケットをかけてくれた人が、ここにいない。

腹に真新しい銃創が二箇所。
その程度はそもそも数に入らず、「臓器に損傷はないから掠り傷」とほざく人間に、
“仕事はナシ”の絶対安静を実行させるのが、右足を捻挫したボーイワンダーの本日の任務だった。
が、昼寝してる間にあっさりと。

『あの人の“分かった”は、簡単に信用するな』

いつかのディックの言葉が、今さら頭をぽかんと叩く。
腹が立ってジェイソンは松葉杖を振り回し広い邸内を駆ける。
確信はあった。
“地下”だ。
いつもとは違い、時計の裏に隠された階段でなくガレージにある昇降機でケイブに降りる。
あの長い階段を松葉杖で降りるよりずっと早いのに、回り道をさせられた気がする。
足のせいだ。
昇降機が地下に着く。
それよりも早くジェイソンは飛び降りる。
左足と杖で着地。 駆け出す。
ブルースはきっと、コンピュータの前にいる。
その時、目では捉えきれない何かがジェイソンの傍らを走り去った。
少年の頭を軽く撫でていった早口の "Heykid"
彼はむっとしてその頭を振る。

「“仕事はナシ”の日に、なんでフラッシュがケイブにいるんだよ!」

しかし、地上最速の男はとっくに消え去っている。
ジェイソンは、子供扱いされるのが、嫌いだ。
(良い子ちゃんだった誰かとは違う。)

「ブルース!」
「ここだ」

イライラして大きな声を出すと、思っていたのとは違う方向から返事が来た。
色んな実験や、装備の調整をする時に使う区画。

「それ、どうしたの?」

近づいていくと、白い作業台の上に積まれた、拳銃の山。
その後ろに、ブルースがいる。

「フラッシュが預けていった。 詳しい話は聞いてないが、セントラルシティの事件だろう。
 調べたいことがあるから場所を貸してほしいと頼まれた」
「自分のとこでしないの?」
「事情があるらしい」

その事情というのを、ブルースは知っているんじゃないかと思う。
バットマンは意外と、お人好しだ。

ジェイソンはブルースの向かいに座り、その手元を眺めた。
半ばまで分解された拳銃がそこにある。
長い指が器用に動き、フレームの固定をあっという間に外す。

「それも頼まれたの?」
「まさか。 彼が自分でやった方が早く終わる」

淀みなく、滑らかに踊る指。
道具といえば、時折使う細いニードルだけ。
あとはただ、人間の手。
まるで時間が巻き戻るように、拳銃の形をしていた物が個々の部品に分かれ、更に小さく、細密に分解されていく。
なにか不可思議なその光景に惹かれ、少年は思わず手を伸ばした。

「ジェイソン」

静かな声がたしなめた。

「あ、そっか」

ジェイソンは、自分がロビンの姿でないのを思い出し、作業台の引き出しから薄い手袋を取り出す。
その間にブルースは、ばらばらにし終えた全てのパーツを証拠品用のパックに入れる。
そして、拳銃の山からまた一つを。

「これ全部分解するの?」

ブルースは少し考えるように、けれど、彼の手が軽く触れただけで、銃から銃身がころりと外れる。
まるで、鍵盤の上を流れるピアニストの指。

「本を読むのも些か飽きた」

分解された部品の中からジェイソンは金属の円筒を摘み上げる。
片目で中を覗いてみれば、真ん丸く切り取られた小世界。
この筒の内側で火薬が爆発し、弾丸が発射される。
だから、この“形”の意味は分かる。
けれど、たとえばこちらの欠片。
さっきまでは引き金の機関部を構成していたけれど、この一つだけではいったい何なのかまるで分からない。
ただの薄くて小さい金属片だ。
うっかりゴミ箱に落としてしまったら、きっと区別がつかなくなる。

「ジェイ」

低い、穏やかな声。
たった二音節の、特別な言葉。
ジェイソンが頭をひねっている間にブルースはもう分解し終えており、他の部品は全てパックに納められている。
少年は、自分の持っていた最後の欠片をその中に落とした。
黙々と作業する人の手は、次の拳銃へ。

「俺もやりたい」

僅かに眉根を寄せ、藍色の瞳が少年に向けられる。
その眼差しは、明瞭な不承知。
ジェイソンは唇を尖らせるが、

「これは全て、重要な証拠に成り得るものだ。
 預かったからには、私はフラッシュに対して責任がある」

ジェイソンは、真紅のスピードスターのにこやかな笑顔を思い浮かべてみる。
“証拠品”はこんなにどっさりあるんだ。 一つぐらいオモチャにしても、チリドッグで許してくれそうな気もする。
けれど、“責任”を口にする人の瞳は、硬度8000のサファイアコランダム。
夜闇の騎士と言われるのは、理由のないことでない。

「銃器の構造に興味があるなら、アルフレッドに頼みなさい」
「ブルースが教えてくれるんじゃないの」
「彼の方が精通している」

と、ブルースは視線を手元に戻すが、その長い指はジェイソンと話す間も一度として滞ることがなかった。
アルフレッドに頼めと言うが、やはり彼自身が銃器の扱いに長けているように思える。

「ねえ、もしかして目隠ししても出来る?」

ちらりとジェイソンに向けられた眼差しが、頷いた。

「元々、工具の無い状況でもある程度まで分解して整備出来るよう、簡単な構造をしている」
「ふぅん」

しかし、銃を使う人間は皆、そんなに器用な指を持っているのだろうか。
思い出してみて、間抜け面ばかり。

「ブルースはそういうの、アルフレッドに教わったの?」
「いや」
「じゃあ、自分で出来るようになったんだ」
「違う」
「どこかで訓練したってこと?」
「ああ」
「何ソレ、初めて聞いた」
「話したことがない」
「でも、ディックは知ってるんだろ」
「いや」
「ディックも知らないの?」

ジェイソンは、養父の顔をまじまじと覗き込んだ。
彫像のように整った相貌は、表情といえるほどの表情もなく。
何を考えてるのか分からないその顔に、ジェイソンは、にんまり笑いたくなる。

「いつ、どこで?」
「随分昔のことだ。 忘れてしまった」

素知らぬようにブルースは分解を続ける。
言うつもりはない、ということだろうが、ここで簡単に逃がしたくない。

「ねえ、じゃあブルースは、射撃の訓練を受けたことがあるんだよね。
 でも、バットマンは銃を使わない。 どうして?」
「……以前にもそんなことを聞いたな」
「嫌いなんだっけ?」

見返すのは、冴々とした藍色の瞳。
拳銃の山から新しく一挺を取り上げてみせ、

「これの利点は何だ」
「んーと、離れたところから撃てる、隠し持つことが出来る、引き金を引けば弾が出る?」
「自分と相手の間に距離を作ることが出来るのは魅力だ。
 携帯が容易であるから、気付かれずに相手を射程距離に入れることも出来る。
 そして、手順を知っていれば、子供でも銃は撃てる」
「あー」
「子供が手に取って遊ぶうち弾丸が発射される。 良くあることだ。
 これは機械だ。 撃つ意志があろうとなかろうと、操作が正しければ機能し、時として誤作動もする。
 たしかにお前の言うとおり、引き金を引けば弾が出る。
 まあ、利点でもあるだろう」
「けど?」
「銃弾が発射されることと、それが目標に当たるかは別の問題だ。
 目の前にいる相手を撃つのでない限り、基本的に拳銃というものは、当たり難い。
 銃身の短さは携帯を容易にするが、それは命中率を犠牲にしたものだ。 
 扱いに慣れていなければ3m先の標的を外すこともあるが、その弾丸が20m先の無関係な人間を殺すこともある。
 そして、相当の訓練を受けたとしても、自分と相手の双方が動いている状態では、命中させるのは至難の業だ。
 では、人はどうするか。
 標的を仕留めるまで撃ち続ける。 弾数に限りはあるが、再装填は容易い。
 お前も、気を付けなさい。
 都市内の銃撃戦は無用な犠牲を出す。 まず銃の無効化を考えるように」
「わかってる」
「相手の銃が手に握っている一挺だけとは限らない。
 殺傷力の低い22口径でも、至近距離で意表を突かれれば避けられない。
 動脈を損傷すれば、最悪、死ぬ」
「そんなに間抜けじゃない」

むっとして言い返すと、ブルースが淡く微笑って、

「そうだな」

たぶん、ガキっぽいと思われた。
途端、頭に血が昇る。 でも、それだけはダメだっていっつも言われるから、
冷静に、冷静に、一つ、息を吐く。

「俺は、そんなドジなんて、踏まない」
「……“そんなドジ”を踏むと思っていたら、お前をパートナーにしない」

淡々とした声が、言うのだ。
ブルースの眼差しは自分の指先に向けられている。
睫毛に薄く光が踊る。
時計の針は逆回り。
世界で最も普及した拳銃が、その手の中でただの金属片の集合になる。

「ブルース」

名前を、呼ぶ。
その言葉が、どれほどジェイソンの世界を揺り動かし、どれほど鮮やかに、創り変えるのか、
ブルースは多分、知らない。

「嫌いなのに、何で銃の撃ち方も習ったの」
「利点、だろう。 一般的な拳銃で弾丸の初速は亜音速。 ライフルなら倍を超える。
 狙いを外さない自信があるなら、引き金を引けば、次の瞬間に相手は行動不能になる」

滑らかにパズルを解いていた指が、止まった。
そして、平静の声。

「だから私は、これが嫌いだ。
 銃器というものは、人を傷付けるための効率を追求して生み出される」

僅かに眉を顰めただけの、感情の乏しい顔。
その瞳に底光りするものは、真実の嫌悪なのだ。
ジェイソンは時々、不思議になる。
バットマンは、クソみたいな街のクソみたいな連中を、片っ端からぶちのめす。
死んだ方が世の中のためになる奴等ばかりだから、当然だ。
けれど、その暴力の渦の中心で、悪魔みたいに恐れられているブルースは、正気を疑いたくなるぐらい “正しい”。
クソとクズと狂人だらけの世界の、どうしようもない病癖を、まだ、悲しいと。

「私がこれを撃つことは、もう無い」


それでも、ジェイソンは想像するのだ。
凍えた眼差しを真っ直ぐ前に注ぎ、拳銃を構える、かつての人の姿を。
血の気のひいた、蒼褪めた横顔で、けれど、引き金を引き続ける。
その銃口から世界へと放たれる、彼の憤怒を。


それは思慕だったのだろう。













++++++++++++++++++++++++


ヌープ硬度
8000はダイヤモンド
撃てないと撃たないは意味が違う。
ジェイソンが殺されてからが蝙蝠の本番、と思ってるふしが私にある。




もどる→