いったいどんな風にその場から逃げ出したのか、わからない。
気が付くと、廊下にいて。
何故だか変な具合に両腕を上げていた。
心臓が、バクバクしてる。

さっきのは、きっと何かの、間違いだ。
ハルと、あのブルースが、一緒のベッドにいたなんて。
そんなこと有り得ない。

後ろで扉の開く音を聞いた時、カイルは反射的に振り向いた。
出て来たのは、ハルだった。

「……なんでホールドアップ?」

きょとんと、カイルを眺めている。
カイルは両の手の平をハルに見せたまま、無言で首を横に振った。
それはたしかに、銃口を突き付けられた人そのものだ。

「つぅか何だったんだ、さっきの悲鳴。 一気に目が覚めた」

ハルは、奇天烈なことなど何も起こってないと言うようで、
カイルに近づくと、半開きで固まっていた顎を閉じさせた。
カイルは、目をぱちぱち。
お手上げ状態を維持したまま、おそるおそる、その顔を見上げると、
ハルが、にっと笑った。

「おまえさっき……、俺がパンツはいてるか確認しただろ」

その表情に、カイルは全てを覚り、
ハルの膝裏辺りを狙って薄く蹴りを入れた。

「してない。 ハルのパンツなんか興味ないし」



つまり、カイルは からかわれたのだ。
最初に訪れたあの部屋が、やはり、ハルに用意されたものだったのだろう。
ハルはそれを、わざわざ使ってないように見せかけておいて、部屋を後にすると、
まだ眠っていたブルースのベッドに上手く潜り込んだ。
何のために?
カイルを驚かすためだ。
ただ、それだけの、ために。

ハルは時々、大人げない。
最近になってカイルが知った事実だ。

純朴な後輩で遊んで屈託なく笑う先輩の、膝の同じ箇所を、
カイルは先程より幾分だけ強く、蹴った。
パンツはいてるか確認したか?
したに決まってる。


その時、もう一度扉の開く音がした。

「う゛っ」

カイルの口から妙な声が漏れた。
廊下に姿を現したのは、青色のローブを気怠くまとった、ブルースだった。
素足にスリッパをつっかけ、無感動な瞳で、カイルとハルを眺めている。
そして、明後日の方を向くと
静かにあくびした。

どうしよう。

カイルの思考は、その言葉の中でグルグルと激烈な渦を巻き、
火を噴く中心点が何であるかなど、考えたくもない。

冷たい夜闇そのものを身に纏い
深淵の底から現れ来たる断罪者。

それが、カイルにとって見慣れた姿なのだ。
だから。
着替えるのも面倒だからバスローブのまま寝ちゃった、ような格好、
心の準備が。

「ブルース」

そう呼びかけたハルが、何故かニヤニヤ笑っていた。

「カイルがブルースのパンツに興味あんだってさー」
「ハァ?! 違ッ」

しかし、ブルースは
彼一人だけ違う時間の流れにいるのか、
ゆっくりと、頭を巡らせると。
小首を傾げて言った。

「はいてないな」














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家帰ってきてお風呂入ったら、あらゆることが面倒になったそうです。
この後おハルさんに、人生何が起こるか分からないからパンツはいて寝なさいと諭される。
隣でカイルくんは、この人今ノーパン……と悶々してるといいよ。

おハルさんのカイルくんの扱いは、いじめでなく、かわいがりの部類に多分入る。
ちなみにおハルさんはこの後、事故を装って尻バット三十回の刑に処される。
三十回はあれだ、椅子に座れないね。痛ェー。
なんで座らないの? と人に聞かれると、カイルに掘られたからと答えるよ。
そこから広まるカイル怖ェーッ!という流言飛語。
いや、なんかGLって体育会系のイメージなもんで。
ハル:喧嘩を売るのも買うのも得意。
ガイ:息をするように自然に喧嘩を売る。
ジョン:売られても買わない。 叱る意味でゴチンとやる時はある。
カイル:売らないし買わない。 出来ないという意味じゃない。


パンツが書きたかっただけなのに、何故こうなった。
あと一話、次が最後です。
















4.二つ繭

↑3の前の夜。 蝙蝠のただいまおかえりおやすみなさい。

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往来が途絶え
雪は止んだ。
街は眠る。

エマとエヴァンの父親は
双子を胸に抱いたまま、カウチで。
エマが抱いているのは、ぬいぐるみの子犬。
けれど、エヴァンの手はずっと
エマのパジャマをつかんでいた。

眠る親子をそのままに
テレビは放送を続けている。
我々は危機を脱したという演説は
犠牲者への哀悼と
困難に立ち向かったヒーロー達への賛辞
そして、全ての市民の勇気を称え
我々には明日が訪れると
締めくくった。

閉じたカーテンの向こう
街は眠る。


大聖堂をねぐらにする老猫は
回廊をよろばいよろばい
三日ぶりに中庭に出た。
瞑想の時間である。
雪明かりの園
けぶる草葉色の、盲いた瞳。

かつて彼は、港という港をめぐり
あらゆる殺生を重ねたものだ。
三日前の朝のこと
天球が、稲妻と共に砕け落ちた時
ついに彼にも、その日が来たのだと知った。

だが
老猫は今、晴々と
月を観ている。



その月影の
青ざめる一つの景色。
眠る双子の窓の向こう。
鐘楼の上に、悪魔がいる。

頭から爪の先まで夜闇の黒
大きな翼もあるのだから、きっと悪魔だろう
誰もが寝静まるこんな夜に
たった一人で月の下
憂鬱なる不眠症

びゅうと
天から風が吹く
影は鐘楼から消えていた









地上300m。
摩天楼の頂点に立ち、ブルースは眼下に広がる “ゴッサム” を眺めている。
眠っているように見えて、この街は生き物だ。
隅々に張り巡らされた神経を無数のシグナルが行き来し、
代謝は絶えることなく行われている。
そこに、いつどのような変異が生じるか。
見定めようとする自分もまた、巨大な獣の腹の中にいると、ブルースは理解している。


しかし、静かな夜だ。


不在にしていた間の様子は、既にロビンから聞いた。
ジャスティスリーグの案件に決着が付くまでの間、ゴッサムを
ロビンとナイトウィングの二人に委ねるのは、珍しいことでない。
彼等は有能だ。
たとえ事態が予測を大きく超えて悪化したとしても、
対処するだけの柔軟性と、彼等を助ける仲間がある。

「でも、って言いたいんでしょ?」

と、胸の前で両腕を組み、
けれどロビンは、笑った。

「いいよ、いってらっしゃい。
 その代わり、朝までに帰らないようなら一度連絡すること。
 約束だよ?」


統計と心理学的見地に立てば、今夜の犯罪発生率が平時よりどの程度低いか計算出来る。
だが、そんな理論や合理的判断が、人間の行動を常に決定するわけではない。
ブルースのそれは、言ってしまえば、習性だ。

どれほどディックやティムを信頼し、評価したとしても。
そして、彼等が察する以上にブルース自身が疲弊していたとしても。
地上にゴッサムという街が存在する限り、
どうしても。

その夜闇の暗さは
自分の肌で知らねばならない。



もしも、それが徒労に帰すというなら
こんな喜ばしいことはないだろう











結局、ブルースは常よりも大分早く、自分の屋敷に戻った。
はずなのだが。
ケイブでシャワーを使った後、もう一度コンピュータの前に座っていると、
気付けば、時計の表示は4:58になっている。
彼は、小さな吐息一つ。
ようやく椅子から自分を引き離す。
しかし、朝までに戻っていたのだから、“約束”は履行されただろう。


地下からの、明かりのない階段を
仄青い闇の漂う廊下を
俯きがちに
やがて両の瞼を上げることもなく
夢遊病患者のように


音もなく寝室のドアを開けた時、ブルースはもう半ば眠っていた。
だが、緩慢な足取りで部屋を横切り、ベッドに近づくと、
彼はぴたりと足を止めた。
その眼が、開く。
まだ夜は明けない。
彼の輪郭も、彼の部屋も、朧な影の底。
しかし、ブルースは僅かに眉を顰め、独特の表情を浮かべると、
無造作にそのシーツをめくった。

「ハル」

自分のベッドに寝ているのが誰か、灯りがなくてもブルースには分かる。
その声に、感懐はない。

この、万事風任せのような旧友が、屋敷に滞在することは承知した。
カイルも含め、世話をするのはアルフレッドだ。
しかし、ブルースの私室で眠ることを許可した覚えはない。
許可しない、とも言ってないが。

ハルは、すっかり寝入っていたのを邪魔されたようで、
遅ェよ、とか、ドコほっつき歩いてんだ、などと不明瞭。
ベッドに腰を下ろしたブルースは、
静かに あくび。
スリッパを脱ぎ捨てると、寝ぼけたハルの隣にもぐりこんだ。






夜は明けておらず
けれど、もう夜ではなく
そのうちに夢は終わり
思い出すこともないのだろう

ブルースは
そっと目を明けた
ハルがそこにいた
耳を傾けると
世界は茫々たる沈黙の彼方
目を瞑る
人と交わる温みに包まれ

手指から
爪先から
ほつれて
形は消え

朝には小さな繭になる


そう空想したのは夢の中の誰かであって
自分ではないと、ブルースは信じている。


















++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


(了)



あなたに抱かれてわたしは蝶になる
ではない。
ぼっさまの想像によれば、むしろ目覚めたら毒虫になってる系
が、変身したとしても、なんか白くてふわふわの可愛い生き物になってるから問題ナシ!

おハルさんは別に、カイル君をびっくりさせようとか
そんなことは考えてなかったと思います。
じゃあ何を考えてたかって?
あんまり何も考えてないんじゃないかな。







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