たいとる : 『だって、ねェ?』
ながさ :ほどほど。
だいたいどのあたり :ディックが駒鳥だった頃〜ティムが駒鳥だった頃。 二人ともお話には出ませんが、目安として。
どんなおはなし :↑の頃のおハルさんと蝙蝠。 変わったような、変わらないような、長い目で見てようやく友達のような。




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ハルがバットマンを嫌いなのは、別に理由のない話ではない。
まず、あの頭ごなしの物言いだ。
あれは、自分以外はバカかノロマしかいないと思っている時が必ずある。
ちゃんと訳を話せば、こちらも聞かないわけじゃないのに。
説明もなしでいきなり勝手に物事を進め、解決するとまたすぐにいなくなる。
しかも、大抵、裏がある。
こっちが気づかないと思って、とんでもない隠し事をしていて、
はめられたんだと分かるのは、何もかも終わった後でようやくだ。
腹が立つのも当然で、言い合いから掴み合いになることも間々ある。
挙げていけば、きりがない。
だいいち、バットマンは他人を信頼しない。

が、それでも。
ハルの知る限り、あのダークナイトは "間違える "ということが無いのだ。
まるで、あらゆる問題の答えを、問題が発生する以前に解き明かしていたように。
その頭脳と行動力のおかげで危うい場面を切り抜けたことも、何度もある。
ジャスティスリーグのメンバーとして、無くてはならない存在だと思ってもいる。
ただ、やっぱり気に食わないことは、多い。


そんなことを、ハルが寝起きのぼんやりした頭で考えたのは、
つけた記憶のないテレビが、どうやら "ブルース・ウェイン "の話題で、
もう一眠りしたい人間としては、音量を下げるかテレビを消してもらいたい。

別に、あいつが誰と付き合ってるかに興味ないんだ。
どうせ全部、嘘なんだろ。
だってあいつ、いっつも、世の中に面白いことなんか何一つございません、みたいな顔してるぜ。
まともに素顔も見せない奴だけど。

と、熱心にテレビを見ながら身支度をしている彼女の背中に言いたいが、
昨日会ったこの彼女、名前は何だったろう。
惜しいところで間違えそうで、ハルはシーツの中に潜りこんだ。


5時間後に自分がバットケイブに行くことになるとは、思ってもいなかった。



『あいつが呼んでるぞ。 おまえ絶対何かやっただろ』

そう連絡してきたのはグリーンアローで、バットマンから頼まれたという。

「してない。 見当もつかない」

本当かァ? と電話の向こうの笑い声が。
オリーは、ジャスティスリーグが創られる前から蝙蝠とつるむことがあったらしい。
あのオリーの性格を考えると、なんだか不思議な話だ。
クラークは、あれは特別だろう。

そういえば、ハルはバットマンと話してみたことがない。
口は利く。 時には交わす言葉にお互いの生死が懸かっている時だってある。
だが、そうではなくて。
たとえば、昨日何を見て、何が楽しくて、何がつまらなかったのか。
そんな話は、したことがない。
出来る奴だと、思ってないのかもしれない。










「ちょっと待て。 今、何て言った?」

話の途中で思わず口を挟んだハルを、バットマンは無感動に眺めた。

「……まあ、平たく言えば 実験協力だな」
「実験て、洗脳だろ? 頭がおかしくなるんだろ?」
「大雑把に物を言うな。 その二つは大きく違う」
「どうだっていい。 要は、その実験台になりに行きたいわけだ、おまえは。
 それを俺に協力しろって?」


ゴッサムシティの北、広い森に囲まれたウェイン邸は19世紀に建築された屋敷で、
現当主のスキャンダラスな風聞など素知らぬように、優雅な佇まいを見せている。
それでいて、奥底に当主のもう一つの世界を孕んでいるのだ。

漆黒の仮面とケープを纏い、コンピュータの前にいたダークナイトは、
やってきたハルを一瞥すると、

「欧州のG民主共和国のことは当然知っているな」

いつもどおり、愛想の欠片もなく話し出す。
しかし、今日は客人として扱われているようで、
すぐにウェイン邸の執事が現れると、ハルのために紅茶を淹れてくれ、また上に戻った。
今日こそ "ジョーダン様 "と呼ぶのを止めてもらおうとしたが、今日も至極慇懃に、却下された。

上品な白磁のカップに、澄んだ紅玉色の波紋。
蜂蜜はたっぷり。
ハルは、口に入るものに特にこだわりはないが、それでも美味いかどうかぐらい分かる。
しかし、至福の一口、二口、三……、
淡々と"仕事 "の説明をするバットマンの、その話が、予想を大きく外れた方角に急旋回した。

「おまえ無茶だろ、ソレ」

話を掻い摘んでみると、こうだ。
欧州の東西対立の最前線である某国で、
秘密裏に開発されていた"究極"の洗脳法が、遂に完成したという。
その情報を掴んだ合衆国は、"向こう側"に危険な技術が存在することを恐れ、
是が非でもその詳しい効果を知ろうとしたが、潜入させているエージェント達では、
具体的なデータを手に入れることは出来ず、既に少なからぬ人数が命を落としている。
そこで、バットマンに依頼が来たということだが。

「それが何でおまえが洗脳されに行く話になるんだ?」
「最良のデータは生きた被検体だ。 今回は、私自身がそうなることが最も効率的だと判断した。
 だが、お前の表現は正しくない。 私はその精神操作がどの程度作用するのか調査しに行くのであって、
 洗脳されに行くわけではない」
「やっぱりどっちも同じだろ!」
「違う。 私は、その"究極"の洗脳法とやらでも、私の正気が保たれ続けることを証明しに行くんだ」

自分なら攻略出来ると断言するその自信は、何だ。

「勝算は」
「あるから話している。
 それに、お前は無茶と言うが、普段のお前の行動の方が余程無謀で無計画だ」
「一緒にすんな。 俺はちゃんとリスクを考えてるし、おまえみたいに悪趣味じゃない」
「お前のリスク計算は大概根拠薄弱だ。 それに私は趣味ではやってない」
「でも結局、これは自分のためなんだろ」

バットマンの、唯一表情を窺わせる唇が、ほう? と意外そうに動いた。
大抵、裏があるんだ、この蝙蝠には。
東西両陣営の対立や、国と国との主義主張よりも、本当は "自分"が興味があるからなのだろう。
ハルがそう思ったのは、勘に過ぎない。
だが、時にそれは、勿体ぶった言葉よりも遥かに信頼できる。

「……個人的関心があることは、否定しない」
「だからって自分を実験台にするバカはいない」
「まあ、確かにこの計画は、ある種の "賭け "だ」
「ホラ、やっぱり自分でも無茶だって思ってるんだろ?」
「だから お前を呼んだんだ」
「ん?」
「無茶でも、お前ならやる。 私の賭けは、お前が乗るかどうかだ」

ハルは、目元を隠すマスクの下、明るい鳶色の両目を大きく瞬きさせた。
今、何か意外な言葉を、聞いたような気がする。
目の前にいるのは、相変わらずの無愛想。
漆黒の仮面が表情を隠し、口許しか分からない。
ハルは眉根を寄せると、胸の前で腕組みした。

「ブルース」

何故か、名前の方が口をついて出た。
おかしいとは思わなかった。

「そのマスク、ちょっと外せ」
「……それは何かの条件か?」
「そんな面倒くさいもんじゃない」

バットマンは、仕方ないと言うように軽く頭を振ると、
事も無げにマスクを後ろに外した。

「気が済んだか」

素顔になったブルースは、大儀そうにハルを睨む。
けれど、その瞳は、とても静かな藍色をしていた。
ハルは、しげしげとその顔を眺める。
やっぱり、テレビもゴシップ誌も当てにならない。
本物の方が、ずっと手に負えない。

「乗った」

にかっと笑ったハルを、ブルースは奇妙な生物と遭遇したような目で見ていた。





元々、ハルは分の悪い方に賭ける性質で、
その事件も、バットマンに協力したおかげでやはり散々な目に遭い、最後にまた一杯食わされ、
しかし、第三次世界大戦を引き起こすこともなく。
世界一無愛想な探偵は、その後も明晰な頭脳を駆使し、
ゴッサムの異常犯罪から、宇宙の存亡を懸けた戦いにまで立ち向かっている。


時は、留まることなく流れ行くもので。
ハルは死んだこともあり。
生き返ったこともあり。


ある日、一人でヤンキースの試合をテレビで見ていると、ドアのベルが鳴った。
誰かと思って開けてみると、そこにブルースが立っていた。
が、何か様子がおかしい。

「ブルース? どうした?」

普段、ブルースはベルを鳴らさない。
本当に用事があるなら連絡するし、でなきゃどこからでも勝手に入ってくる。

「……どうすれば良いのか、分からない」

ボソボソと口の中で呟くブルースは、珍しく色の薄いサングラスをしている。

「何だ? とにかく入れよ」
「お前の部屋なんか、何がいるか分からない」

そんな奴の部屋のベルを鳴らしたのはどいつだ、と思いつつ、
やっぱり何かがおかしい。

「いいから入れ。 今日は一人だ」

腕を取って中に入れようとすると、その身体がぐらりと傾いだ。
慌てて支えると、サングラスの下から、真っ赤に充血した目がじろりと睨む。

「眠い」


ゴッサムシティで立て続けに起きた事件の全てを、勿論バットマンは解決した。
が、その間の七日七晩、一睡もしなかった主に、ウェイン邸の執事は遂に本気で怒った。
自室で休むことを強制的に勧められたブルースは、大人しく従おうとしたらしいが、
睡眠というものの存在を一週間すっかり忘れていたせいか、
何をどうしても、眠ることが出来なくなっていた。
困った末にブルースは、逃げた。

逃げたとブルースは言わなかったが、きっと逃げたんだろうとハルは思う。
あのアルフレッドが本気で怒った姿など、ハルだって想像したくない。

ブルースは、とにかく遠くに行かねばと思ったらしく、
普段のブルースなら、この時点で、自分の行動がおかしいと気づいただろうが、
不眠はとっくに限界を超え、鈍った思考のまま、どこに行くかも定めずに、
タクシーに乗り、バスに乗り、鉄道を使い、飛行機に乗って、
彷徨い流離った末、

「いつのまにか、アメリカに戻って来てしまった……」

つまり、目的を完全に間違えている。
結局、逃避行の最中も寝てないらしい。
これはもう、人間はどこまで眠らずにいられるか、
という新たな苦行にでも挑戦しているつもりなんだろうか。

「ブルース、おまえ自分の言ってることがおかしいの、分かるか」
「分からない」

ハルの肩に額を置き、不機嫌な声が唸る。
邪魔なサングラスはその辺にポイっと投げ捨てた。
そして、音のない、深い呼吸を、一度。
ハルは、その緩やかな動きを、背中に置いた手で感じながら、
しみじみと声を上げた。

「おまえ、本当に、バカだなァ」

馬鹿らしくなるぐらい偏屈で、気難しいこの男は、
相手が何だろうが、舌先だけでペテンにかけるほど頭の良い奴だが、
自分のこととなると、とてつもなく不器用になる。
そんな友人を、ハルは遠慮なく笑う。

「ホント、バカだ」

すると、ブルースは目を瞑ったまま、ぼそりと。

「ハルのくせに生意気だ」
「自分の足で立って言え」























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出会って結構経つけれど、落ち着く気配のないエキセントリック三十路。
意外と良く正気を失う。 意外と良くふらふらしてる。 でも、ぐれいてすとな探偵さん。

前半の洗脳云々の元ネタは昔の『THE BRAVE AND THE BOLD』 #134(1977年)です。
とっても冷戦中。 People's Republicと書かれてる国があるんですが、やっぱり東ドイツじゃなかろうか。
んで、↑で書いたとおり、主に酷い目に遭ったのはお春さん。 脱出で頑張ったのもお春さん。
蝙蝠は、うん、寝てたかな。
しかし、#134といい『Robin dies at dawn』といい『52』といい。
蝙蝠は自分からそういうおかしな方向に進む傾向がありますね。

ところで、途中、お春さんの死んだり生き返ったりの辺りには、パララックスがあったりスペクターだったりするわけですが。
そこらへん一気にすっ飛ばして、『INFINITE CRISIS』から一年経っちゃったよ気分で後半書きました。
もー、なんだか全く気を遣う必要のない友人ということで如何か。
でもそれって多分昔と変わらない。




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